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日本ニュース 第110号

1942年(昭和17年)7月15日

[1]賀陽宮殿下台臨 ダヴィンチ展開く 04:03

盟那、イタリアが生んだルネッサンスの天才レオナルド·ダ·ヴィンチの業績を、模写その他によって一堂にわかりやすく集めた展覧会が、かしこくも賀陽宮殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ奉り、7月11日東京で開かれました。我が国では科学者としてよりも画家としてのダ·ヴィンチがよく知られておりますが、これは彼の最大傑作、キリストを中心にきわめて精密に描かれた「最后の晩餐」。これとともに「モナ·リザ」の像はもっとも広く愛好されているものでありましょう。しかしながら今日、我々がより深く彼に注意を向けるゆえんは、すでに500年の昔、我が室町、戦国時代の頃に、驚くべき数々の機械設計図を残したことであります。これはその一つ、水力を巧みに利用した水揚げ機。次にネジり切り旋盤。原理はまったく今日のものと変わりません。巧妙なる造幣機。橋梁に見る力学もなんら矛盾を認めないのであります。科学者レオナルドは当時、築城の大家でありましたが、同時に彼の才能は兵器設計においても発揮され、大砲に初めて照準機を取り付けたり、三列式速射砲を考えたり、近代兵器の狙いをすでに持っていたのでありました。当時の砲弾は球形のものでありましたが、彼は抵抗と炸裂(さくれつ)力から割り出して、現在の砲弾と同じ形のものを考えていました。西暦1452年に生まれ、1519年に世を去った彼が既に飛行機や落下傘の原型を考案していたことは、レオナルドの想像力がはるかな大空にまで展開したことを知り得べく、彼の広く深い全人的活動とその脈々たる精神は、大東亜戦完遂へ向かう日本人のものとして深く省みるべきでありましょう。

[2]再建に孜々昭南の俘虜 02:44

かつてイギリスがインド兵を駐屯せしめた昭南島の兵舎。ここに収容されて我が部隊長の指揮を受け、ありがたくも厚恩に浴し、感謝の日々を送るイギリスの俘虜(ふりょ)たちが、昭南島の再建工作に使われ、孜々(しし)として働いています。我が軍はこれを俘虜(ふりょ)の知能に従って、トラックなどの輸送部隊、体力による労務部隊、および特殊技能を持つ技術部隊の3つに分けております。さて、点検を終わった各部隊は、一斉に営門を出発、作業場に向かう。その昔、傲然(ごうぜん)と構えてこの町に君臨した彼ら、今、手車大隊となって半裸体の姿を街頭に進める。自らが構築し、自らが破壊した建築物を、自らが取り片付けに勤しむ俘虜(ふりょ)の群れ。中に特殊技能を持つものは、土木工事に使われています。このようにして、あらゆる力を集めて、日01日と昭南島は復興し、日本の実力は住民たちの間に無言のうちに心から頼りうる安全感を与えているのであります。

[3]ナツナ諸島戡定 01:49

マレー半島とボルネオ島の間に浮かぶナツナ島。すでに南方オランダの領土がことごとく皇軍の制圧下にある時、この諸島のみ最后のオランダ領として敵潜水艦の本拠地となり、わずかに蟷螂(とうろう)の斧にも等しき抵抗を試みていました。06月21日、我が海軍陸戦隊は蠢動(しゅんどう)する残敵を掃討すべく南の海を押し渡る。攻撃を控えて海の精鋭、少しも迫らず、悠々甲板洗い方の日課に励む。目的地は近づいた。日頃の訓練を2つの腕(かいな)に力込め、陸戦隊の勇士らは颯爽(さっそう)と上陸地点に漕ぎ進む。皇軍来ると聞くや、オランダ守備兵は早くも山中深く遁走(とんそう)し、跡には自ら焼き捨てた無線電信機がくすぶるのみであった。彼らはこの島から潜水艦に連絡し、我が兵站(へいたん)線撹乱(こうらん)を夢見ていたのである。暴虐オランダ兵去って、今までデマに迷わされていたロシア人を加えて約4000の住民たちは、東亜民族解放の真意を初めて悟り、瞳を輝かして皇軍に協力する旨、誓いました。

[4]アリューシャン作戦米機撃墜 01:47

皇軍、アリューシャンに上陸して、本土を脅かされたアメリカは、双発コンソリデーテッドを始め最優秀機を我が占領下のキスカ島に送って、我に挑戦し来る。しかも敵の爆撃は功を奏せず、かえって的確なる我が防御砲火に次々と撃破され、北の守りいよいよ固し。これは敵の猛爆と敵機撃墜の瞬間をとらえた貴重なる記録であります。

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