日本ニュース 第109号
1942年(昭和17年)7月07日
[1]江西作戦 03:01
支那事変記念日を前にして皇軍の威武、大陸にあまねく、重慶を震撼せしむ。浙江の沃野(よくや)に、重慶軍第3戦区を席巻した皇軍は、なおも敗走する敵を追って6月17日、ついに江西省との境を突破、破竹の進撃を続行する。このあたり、すでに雨季も過ぎて水田の植え付けも終わったが、同時に猛烈な暑さが始まろうとしている。我が空陸一体の巧妙な作戦に浮き足立った敵は歯向かう術も無く、サンケイチンの高地に拠ってわずかに抵抗を試みたが、我が軍はたちまちそれを潰走(かいそう)せしめた。
(音声中断)は、さらに西に向かって追撃。南昌南方より東に進む友軍との握手の日も近い。
[2]泰·仏印国境確定 02:00
昨年の10月、日本側委員立会いのもとに、泰、仏印間に国境画定の現地作業が始められてからおよそ8ヶ月。あるいは未開の土地を切り開き、悪疫と戦って行われた三国現地委員の努力はようやく実を結び、最后に残されたカンボジア王国の古跡、アンコールワット付近の作業がこのほどめでたく完了するにいたりました。一番后に残されたこの地方は、このあたり最大の湖タイ湖にまたがり、湖の上に平和の標柱を打ち立てる。付近はまったくの湿地帯で、一行は水牛に車を引かせて目的地に向かう。
時には象を操って困難な測量の旅が続けられましたが、三国が相協力して行う現地作業は、米英撃滅の戦いの最中に、新しい東亜の礎を象徴するかのごとく、いと和やかに進められていったのであります。
[3]前線移動病院 03:41
ビルマの前線に現れた3台の大型自動車。愛国号の名が示すとおり、これは銃后の人々の感謝から生まれた組立て式移動病院です。前線から前線を駆け巡って、時には敵の弾を浴びながら傷病兵の応急処置に素晴(すば)らしい威力を発揮しているのです。
消毒装置も完備して、その技術と設備は、我が国の軍事医学が敵に比べて、格段に優れていることを示しています。
南の海にぽっかりと赤十字の印も鮮やかに待ちに待った病院船が訪れてきました。遠く祖国を離れた海の兵が、激しかったあの戦いに傷つき、思いもよらぬ頑強なこの病に倒れて前線基地で無念の涙を飲みながらも、再び各地に希望をかけて待っていた病院船。基地から基地へ、レントゲンの設備までも申し分なく、さながら一つの大きな病院を形作って平和な姿を滑らせていくこの船の中で、次々に元気を取り戻していく兵(つわもの)たちにまもなく第一線に立ち働く日が巡ってくるでありましょう。
[4]ニコバル諸島戡定 02:54
インド洋の朝まだき、6月13日である。すでに季節風の時期に入った洋上に、黒煙を吐いて海の艨艟(もうどう)は、新たなる地点ニコバル諸島へと行動を開始した。先に戡定(かんてい)をみたアンダマン諸島をはるか南に下って、スマトラ島に対するニコバル諸島。インド洋から退却を続けるイギリス軍がこれらの島に、東インド洋の防衛をわずかに託す。南海の夜は明けた。我が海軍陸戦隊の精鋭は大軍艦旗を奉じて、まず小ニコバル島へ。頼もしや、空から航空部隊が協力する。
イギリス軍守備兵はいち早く守りを捨てて、その影もない。住民は髪や髭だけは文明国仕込ながら、いとも南海向きの服装で我が軍を歓迎する。その案内でまたたくまに島内戡定(かんてい)を終わり、墨痕(ぼっこん)鮮やかに大日本帝国海軍占領の標識は打ち立てられた。英国旗に代わって赤道近く、またもはためく大軍艦旗に銃剣を捧(ささ)げて祖国に伝える占領の感激は、東インド洋完全制圧の喜びでもあった。
