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日本ニュース 第106号

1942年(昭和17年)6月17日

[1]比島制圧の記念観兵式 01:34

馬上ゆたかに本間最高指揮官、諸兵を閲す。バタアン、コレヒドール、両要塞陥落して約1ヶ月。
6月03日、フィリピン派遣軍感激の攻略記念観兵式がマニラで挙行されたのであります。
軍戦まさに150日、フィリピン群島戡定(かんてい)の労苦は比類なく、しかも勝っておごらず、自らを語らず、ただひたすらに武勲をひめて、本間最高指揮官の馬前に堂々の分列行進を行う。
式を終わって、ルネタ公園広場を出でた皇軍機械化部隊は、威武厳然と市街を圧し、市民の歓呼にこたえる。かつてアメリカ軍隊がかっ歩したこの大通りを進む精鋭日本軍。
まさに比島作戦の終わりを飾るにふさわしい感激絵巻でありました。

本间最高司令官在马背上检阅部队。
6月03日,在巴丹要塞和科雷希多要塞陷落约一个月后,马尼拉举行了军事观礼,纪念菲律宾特遣队令人振奋地征服菲律宾群岛。
150天的戎马生涯和入侵菲律宾群岛的艰辛是无与伦比的,但他们并没有以胜利自居,也没有自说自话,而是在本间最高司令官的马前庄严地列队行进,气势磅礴。
仪式结束后,皇军的机械化部队离开卢内塔公园广场,在市民的欢呼声中,以庄严肃穆的姿态压倒全城。日军精锐部队沿着美军曾经驻扎过的大道前进。
这真是一幅鼓舞人心的画卷,无愧于“菲律宾作战”的结束。

[2]邦人再び活躍ダバオ麻生産 02:14

ミンダナオ島の美しい山、アポ山を背景に、ダバオ界わいをうずめる麻の畑。これは芭蕉の一種、アバカといい、砂糖とともにフィリピンの二大産物の1つであります。舟や魚の網のロープになくてはかなわぬものとして、我が国にはマニラ麻の名でつとに知られていました。南方進出の邦人はこのマニラ麻に着目し、ダバオに土地を卜して品質改良に研究を重ねたすえ、生まれたのはいわゆるダバオ麻で、戦前には全フィリピン生産額、約15万トンの6割近くを産出して、フィリピン経済を助けていたのでありました。大東亜戦争起こってわずかに12日目、ダバオは疾風のごとき皇軍の占領するところとなり、救い出された在留邦人はただちに血と汗の結晶であるそれぞれの耕地に立ち返って、このように再び作業は開始されたのであります。植えつけてから1年半、幹を切り倒して固い繊維を抜き出す仕事は、邦人の発明した機械で何の無駄もなく行われます。そして乾燥が済めば、水に強い純白の糸が得られ、ロープばかりか日本紙や帽子の原料にさえなります。

品質検査が終わると圧縮されて積み出されるわけですが、共栄圏を潤す麻糸の用途はいよいよ広く、それに引き替えてアメリカの苦悩はますます深刻となってきました。

[3]ジャバに漲る新生運動 02:10

おはよう、バタビアの子どもたち。君たちはどこへ行くんですか。チハヤ学校。とても上手な日本語でそう答えるジャバの子どもにつられて中へ入ってみました。するとちょうど国民学校でやっているように、朝のラジオ体操が始まりました。まだみんな1年生ですが、元気で溌剌(はつらつ)としています。この学校は軍の宣伝班で開いたものですが、早くなんでもお話できるようにと、涼しい木陰で毎日一生懸命、日本語の勉強です。こいのぼりのこともこの通り、ちゃんと習いました。チハヤ学校と並んで、バタビアには三A(さんあ)運動の付属学校というのがあります。御覧なさい。小さい子どもをはさんで、相当なおばさんまでいろはから覚えているのです。もちろん若い青年がこの学校では断然多く、三A、すなわちアジアの光明日本、アジアの母体日本、アジアの指導者日本の旗印を掲げて、いままでの間違った生活から立ち上がるんだと、大した張り切り方です。こうやって積もり積もった日本への信頼を表そうと、5月27日の海軍記念日に、三A運動の大行進がバタビアの少年や青年たちによって行われました。この運動を私たちはお互いに力強く伸ばしてやりましょう。

[4]大陸戦線~晋冀豫作戦~ 02:41

浙江ならびに南支の作戦に呼応して、支中作戦に引き続き北支派遣軍は、5月下旬、新郷一帯に重慶軍殲滅の火蓋を切る。山西、河南、河北、三省の省境、渉縣(しょうけん)を中心とする地区は、いわゆる赤色回廊として共産匪(きょうさんひ)の跳梁(ちょうりょう)するところ。
ここに盤踞(ばんきょ)する共産軍第18集団、および劉伯承(りゅうはくしょう)揮下約1万を包囲すべく、鉄道に沿って行動を開始。

壊走する共産匪を追って、平地より山岳地帯へ。峻険(しゅんけん)を越え、山海を征服し、快速部隊の目指すは敵の拠点、渉縣。
重慶が企図するいわゆる国共合作の持久作戦の根幹は、次々に破砕されていくのであります。
蒋介石が呼号する第3戦区は、はかなくも潰(つい)え、重要軍事拠点衢州の陥落、目睫(もくしょう)に迫る。

针对浙江和华南地区的行动,华北远征军继华中行动之后,于05月下旬开始在新乡地区歼灭重庆军。以山西、河南、河北三省交界和三省交界为中心的地区,被称为“红色走廊”,是共产党盗匪经常出没的地方。
他们开始沿着铁路行进,以包围驻扎在这里的共产党第18集团军和刘伯承麾下的约一万名士兵。

追赶逃亡的共产党强盗,从平原走向山区。翻越险峻的地形,征服山海,急速部队的目标是到达敌人的据点渡。
重庆所规划的所谓国共合作战略的根基正在被一个又一个地摧毁。
蒋介石所谓的第3战区很快就会被摧毁,衢州这个重要的军事基地就会陷落,濒临世界末日。

[5]大陸戦線~浙責作戦~ 02:13

トーチカを構え、山岳を頼む敵の頑強な抵抗をものともせず、決死の前進を続けた皇軍精鋭部隊は、6月03日総攻撃を開始。
たちまちにして衢州前面に大包囲陣を形成。
連日の豪雨に進撃は極度の困難を加え、あまつさえ敵は得意の戦術で橋を落とし、我が軍を阻まんと必死にあえぐ。
6月06日、我が軍はついにまず衢州東方の飛行場に突入しました。重慶がアメリカとはかって、日本本土空襲を夢見た拠点は、いまだ工事の完成を見ず、いたずらに泥沼と化している。
同日、皇軍は飛行場からさらに県城へ、一挙に踏み入りました。
本日作戦開始以来わずか23日目、400キロを突破したのでありました。
浙江作戦を目して、金華·蘭渓の占領にありと誤認した重慶軍の狼狽(ろうばい)は蔽(おお)いがたく、莫大な戦利品に加えて、無知なるがゆえに踊らされた捕虜の数もまたおびただしく、とどまるところを知らぬ皇軍の前進に、重慶の恐怖は想像にあまりあるものがあります。

皇军设立碉堡,不畏敌人的顽强抵抗,穿山越岭,步步紧逼、皇军精锐部队继续坚定前进,06月03日,发起总攻。
他们很快在衢州面前形成了一个大包围圈。
连日的大雨,使前进极为困难,敌人用断桥的特殊战术,拼命阻击我军。
6月06日,我军终于进入衢州以东的机场。重庆曾经梦想与美国联手空袭日本本土的基地尚未建成,已经变成了泥潭。
当天,皇军从机场一齐向县城进发。
今天只是行动开始后的第23天。我能够跨越400公里。
看到浙江行动,误以为占领金华、兰溪的重庆军的惊愕之情难以掩饰。除了巨额战利品外,还有大量因无知而被迫手舞足蹈的囚犯。
随着帝国军队势不可挡的前进,重庆的惨状超乎想象。

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