吴新荣日记>19420527
今日は妻が亡くなってから丁度二ヶ月目になった。
不思议にも朝ば[っぱ]らから少らく绝えてゐた吊问客が二人も来た。
一人は元の七股庄长盐见夫人、一人は顶山子の同宗吴龟氏であった。
この02月忌の为めに私は碧梅に手纸を出して南河と南图のことを依赖したり、家では南星と朱里を连れて茔参りに行くことにした。
尚、妻の衣服は大きいトランクに诘め迂んで肉亲以外の人には开けさせないことになった。
それから物指屋を呼んで押入れを六つに仕切り、五人の子供と一人の亲が各一つの仕切りに普通着を入れることになった。
亲子は少らくこの样な状态で生活したいと思ってゐるからだ。
物指屋には序でに棋盘の足を直して贳ったり、煽风机の台を造って贳った。
かゝる备品の制充は精神生活の丰かさを保障するものである。
实に我々の精神生活は妻の死に依って非常に纯化されたことは少くとも一つの取柄である。
尚妻への供养の为めに台南の画家に赖んで肖像を油画に描いて贳ひ、又、埼玉县へは水晶制の遗牌を造って贳ふことにした。
妻逝世后至今刚满两个月,不可思议地一大早就有两位久未见面的追悼者先后来到。
一位是原来的七股庄长盐见夫人,另一位是顶山子【1】同宗的吴龟【2】氏。
为此02月忌我写信给碧梅托她带好南河、南图两兄弟;
家中则带南星、朱里去拜墓。
又妻子的衣物放进大皮箱,除了亲骨肉之外,禁止任何人打开。
同时找来木匠,把衣橱隔为六格,我和五个孩子每人分配一格,存放平常穿着的衣服,父子就暂时以这样的方式过日子。
顺便请木匠修好棋盘的脚,做一个电扇台子,这都是丰富精神生活方面的用品。
事实上我的精神生活,在妻子过世后已非常单纯化了。
这也能算是一个优点吧。
为了纪念妻子,请台南的画家把她的相片绘成油画肖像,并请埼玉县那边做了一个水晶制的牌位。
【注】
【1】顶山子:位于台南县七股乡大潭寮西南,海岸北边(顶头),故称“顶山子”。
为陈姓聚落。
日治时期,日人强征此地五百甲鱼塭改为盐田,故聚落四周皆成盐田。
今为七股乡顶山村。
【2】吴龟:台南县七股乡顶山村人,经营鱼塭致富。
