吴新荣日记>19420418
雪芬の茔前祭を举行す
。
昨日、雪の为めに“做功德”した。
“瞒生人目”と云ってゐる程だが、出来るだけ简单にやって贳った。
一寸も严肃な所がないから、吾々も道教の教义を疑ひたくなる。
とにかく晚の十一时过ぎ迄やって切り上げて贳った。
こんな时局に邻近所を骚ぐ[がす]のはよくないと思ったからだ。
然し流产か或は产褥中に死亡した者に限って特别な行事があった。
私はそれを见るに堪へなかった。
“做功德”に里方から昭癸と碧梅が来てゐた。
昭癸は子供の为めに台南へ归ったが、碧梅は泊まって下れた。
“做司公”が济んで二人で雪の思ひ出を今朝の三时过ぎ迄语った。
今朝は早く起きて“除灵”の式を行った。
“纸厝”を烧いた后、“神主”を部屋の佛坛に移っ[し]た。
子供の教育の为めに朝夕礼拜させる为めである。
それが终って一切の清扫を行ひ、总ての行事が一段落したわけである。
午后から前日招待した友人が殆んど集り、三时出发して雪の茔に向った。
“谢土”の序でにこの仲间连と一夕语らうと思ったからだ。
而して集って下れた者は左の如しである。
张再添君、
陈
穿君、
郭维藩君
李自尺君、
郭水潭君、
惜娇夫人
谢得宜君、
陈清汗君、
黄
腾氏
吴天梓君、
水上明君、
黄大友君
黄朝篇君、
毛昭癸兄、
黄庚申君
陈清晓君、
杨万寿君、
快夫人
随夫人、
秀琴夫人、
碧梅妹
徐清吉君、
等二十二名も来て下れた。
茔场にては夫人连中からは花束を捧げられた后、一同は线香を上げた。
そして皆で茔を围んで记念写真を撮った。
行きも归りもハイキングなので宁ろ壮观さへ呈した。
妇女子は牛车に乘ってたので又诗趣が丰かであった。
五时近く皆归宅したので、乐春楼から料理を注文して晚餐を共にした。
实に吾々はよき仲间を得たものである。
共に悲しんで共に喜んで下れた。
殊に台南又は麻豆の样な远い所から来られた方【に】は只感激するのみである。
雪よ、お前も满足すべきである。
お前の兄妹もお前の女友达も皆来て下れた。
私の同志も私の盟友も皆来て下れた。
そしてお前の茔を围んで吾等は花束や线香を上げた。
それで今日はお前の死に就いての总ての行事が济んだわけだ。
然しそれと同时に我が心の粮が[を]永久に失ったわけだ。
举行雪芬墓前祭
。
昨天为阿雪“做功德”【1】。
此举纯属只为秀给俗人看的把戏,故请他们做得越简单越好。
一点点肃穆气氛都没有,令我对道教教义存疑。
我要求最晚在十一点之前结束。
我不想在此时局下,对附近居民有所骚扰。
对流产者或生产中死亡者更有特别的仪式,看得叫人受不了。
为了做功德,娘家方面来了昭癸和碧梅。
昭癸为了孩子的事,先赶回台南,碧梅则留下来过夜,等“做司公”完后,两人谈起有关阿雪的回忆,一直到凌晨三点。
今晨很早起床,进行除灵式,烧了纸厝,把神主牌位移到佛坛。
为了孩子的教育,要他们朝夕礼拜。
之后进行清扫,所有行事遂告一段落。
下午,前日邀请的友人几乎全到,三点集合出发到墓地,“谢土”【2】后想和好友们作一夕之谈。
参加者有:
张再添君、
陈
穿君、
郭维藩君
李自尺君、
郭水潭君、
惜娇夫人【3】
谢得宜君、
陈清汗君、
黄
腾氏
吴天梓君、
水上明君、
黄大友君
黄朝篇君、
毛昭癸兄、
黄庚申君
陈清晓君、
杨万寿【4】君、 快夫人【5】
随夫人、
秀琴夫人、
碧梅妹
徐清吉君、
等二十二位。
在墓前,夫人们献花后,一起上香,大家围在墓边拍照留念。
来往都是步行远足,队伍看起来很是壮观。
妇女、小孩则坐牛车,富于诗趣。
近五时,回到家里,从乐春楼叫了菜,大家同进晚餐。
我有这群好友,同悲同喜,真是太幸运了。
对从台南、麻豆等远方来的友人,甚为感激。
雪啊!
你也应该满意吧!
你的兄妹、好友都来看你,我的同伙盟友也都来了。
大家围着你的坟,为你献花、上香。
到今天为你的逝世所做的一切行事都已完成了。
同时,我的精神粮食也将永远地失去了。
【注】
【1】做功德:卒后每逢做七或每月初一、15日,延请道士诵经,时有表演弄铙等节目,以慰往生者之灵魂。
【2】谢土:感谢土地公保平安,让逝者安心居住于墓中。
【3】惜娇夫人:即甘惜娇,时人多称甘党嫂,曾任镇民代表,相当活跃,为毛雪之至友。
其夫甘红党为台南县佳里镇人,台南师范学校毕业,曾服务于佳里国小。
【4】杨万寿:台南县佳里镇蕃仔寮人。
早稻田大学法国文学科毕业。
吴新荣于东京留学时代认识之友人。
第一银行经理退休。
有名藏书家,为画家杨启东之父。
【5】快夫人:本名许快,郭维钟之妻,台南县麻豆镇人。
郭维钟为吴新荣的战前好友。
