日本ニュース 第96号
1942年(昭和17年)4月7日
[1]昭南島激戦地を偲ぶ 02:24
思い起こすシンガポール大攻略戦。なかにも血潮に彩られたブキテマ高地の戦いは壮烈を極め、硝煙いまだ生臭き新戦場に当時の激戦苦闘のありさまがしのばれるのであります。忠勇無双(ちゅうゆうむそう)の我が将兵の墓標の傍らに、雄々しくも報道戦線に倒れた同盟·鯉江、朝日·正木両君の英霊、永久(とこしえ)に眠る。シンガポール要塞の運命をかけたこの高地争奪戦に、敢然血路をを開き突入した我が将兵の勲(いさお)しを後世に伝えるべく、3月25日ここに牟田口中将以下、幕僚を迎え、厳かに記念碑除幕の式典が挙行されました。陽光燦(さん)たる昭南島の青空に、戦友の手になる皇軍将兵の像はひときわ映えて、仰ぎ見る将兵の胸中、万感こもごもいたって、靖国の花と散った戦友よ安かれと祈る。今は名誉の戦傷(せんしょう)癒えたた牟田口中将は、厳かに玉ぐしを捧(ささ)げ、部下将兵の勇戦奮闘をしのぶ。
「人訪(と)はば我すめらぎのつわものが雄叫び攻めし姿しのばん。」
[2]新ビルマ建設に起ち上る義勇軍 02:00
ビルマの首都ラングーンの陥落は、過去半世紀にわたり圧政と暴虐をもって臨んだイギリス勢力を事実上駆逐し、久しく独立を求めてやまぬビルマ人の、ビルマ建設第一歩を告げる輝かしい合図でありました。すでに皇軍の手により治安の回復を見た市街には、およそ20万の市民が復帰し、郊外の道端には呼び声もにぎやかに露天市場が立って、繁華な雑踏を取り戻しています。これは新しきビルマ建設に雄々しくも立ち上がったビルマ義勇軍の閲兵式であります。東條首相によって声明された帝国のビルマ独立援助の大方針が伝えられるや、50年にわたるイギリスの支配の下に、あえぎ苦しんできた彼らは、敢然銃をとってこれら義勇軍を編成。我がビルマ作戦にあたっては常に皇軍に協力して、涙ぐましい活躍を続けてきたものであります。
首都ラングーンの広場に、初めて銃を持って進むビルマ軍の勇ましさ。ビルマ人の歓喜は絶頂に達し、くじゃくの印も鮮やかな独立旗を先頭に行進する義勇軍兵士の瞳も、民族独立の栄光に輝いて、明け行く東亜の高らかな歩調を示しております。
[3]南支掃蕩戦 02:15
遠く南方各地の赫々(かくかく)たる戦果と並んで、大陸の戦野に蒋政権撃滅の軍を進める我が南支軍精鋭諸部隊は、3月17日、広東省中山県、順徳県(ジュントッケン)を中心とする珠江下流デルタ地帯一帯に渡り、活発なる粛正(しゅくせい)討伐戦を開始。付近一帯の水路を封鎖して、次第に包囲網を縮小しました。この討伐戦の主要目的は、敵第三挺身縦隊の別動隊約3千が、珠江下流地方の治安をかく乱しつつありますので、これを断固覆滅せんとするにあります。
猛撃を加えて、敵部落に突入すれば、さとうきびを利用して巧みに敵が隠した石油缶を発見。傍らに潜んでいた便衣隊(べんいたい)はことごとく我が軍に捕らえられ、兵器多数も鹵獲(ろかく)するところとなりました。
[4]ポート·ダゥイン爆撃 03:14
帝国海軍航空部隊は、豪州北岸の要衝ポート·ダゥインに対し、大爆撃を敢行す。3月16日朝まだき、ここ南方航空基地に初めて姿を現した海軍新鋭攻撃機。翼を連ね、一斉出動の時至る。明け行く南の大空に、一機、また一機、孤立無縁、なおも抗戦のあがきを続ける豪州に対し、長躯、決死爆撃の鵬翼(ほうよく)をのばす。
天駆ける荒鷲、敵あれば必ずこれを撃滅せん、の気をはらみ、積乱雲が低迷する洋上、堂々南下する我が無敵空中艦隊の威容。
敵陣間近し。白雲低く乱れ飛ぶ海原を脚下に、全機いよいよ高度を上げて戦闘態勢に入る。
目指すダゥイン軍港上空に達す。新鋭荒鷲の奇襲よく功を奏し、釣瓶(つるべ)落しの巨弾のもと、敵飛行場、格納庫、滑走路はしらみつぶしに爆砕され、天地も崩れる轟音(ごうおん)に、いまや豪州の運命、まさに決っせんとす。
