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日本ニュース 第93号

1942年(昭和17年)3月17日

[1]儼たり北洋の護り 02:50

(音声中断)攻防、実に2万キロ、遠く南方、赤道直下の洋上より、遥か北の方。アリューシャン列島の近海に至るまで、我が無敵海軍鉄壁の防衛陣は、厳として敵の蠢動(しゅんどう)を許さず、我が本土に襲い来るものあらば、断固一撃のもとにこれを粉砕すべき備えを固めております。物みな凍る北洋の酷寒に、砲身はさながら巨大な氷柱と化し、ともすれば足を取られる甲板に、元気いっぱい結氷と戦う、我が海の勇士の姿。南に北に、この皇軍将兵ありて、国土の守り、全(まった)し。我ら一億国民、挙げて感謝の誠を捧(ささ)ぐるものであります。

[2]パレンバン油田地帯確保 02:13

帝国陸軍落下傘部隊が、初の奇襲降下を行って一躍、世界の注視を浴びた、蘭印スマトラの要衝パレンバン。このスマトラ第一の都会は、シンガポールと豪州を結ぶ航空路の中継地として知られ、眼前に黒煙をあげて燃え続けている重油タンクは、いわゆるパレンバン油田として米英が巨額の資本を投じて経営にあたったところ、その年産、実に280万トンにおよぶといわれております。敵が得意の焦土戦術も、我が空からの奇襲部隊の活躍により功を奏せず、製油工場のもっとも重要な施設は、我が軍の確保するところとなって、猛火をくぐり早くも復旧作業が雄々しく続けられております。

由来、南方の宝庫と言われるこれら天然資源の開発は、偉大な戦果の発展と平行して進むに従い、東亜の新しき建設はいよいよ快調を加え、逆にこれら重要資源を失った米英の苦悩はますます深まりつつあります。

[3]海軍落下傘部隊チモール島奇襲 01:32

02月20日、突如、海軍落下傘部隊、蘭領チモール島に奇襲降下を敢行す。(音声中断)をついて奇襲部隊、援護の重任を帯び、長駆蘭領チモール島目指して壮途にのぼる。

降下地点間近し。爆撃部隊はまず敵の軍事施設に巨弾の雨を降らせ、これを粉砕。眼下に燃えさかるクーパン市の黒煙を望みつつ、一方奇襲部隊は大空に真白き大輪の花を開かせ天下る。かくてセレベス島、初の降下に武勲を輝かせた海軍落下傘部隊は、再びここに戦史を飾る敵前奇襲降下に成功、敗戦にあえぐ米英蘭をして、顔色なからしめました。

[4]ニューギニア攻略 02:56

(音声中断)ジャバ島蘭印軍の降伏せる后、大東亜海域にあって我が皇軍の占領下に入らざるもの、ひとりニューギニア島を残すのみ。船上では、この威風あたりをはらう皇軍の勇姿を銃后に伝えんものと、懸命に筆を走らす従軍画伯の姿も見られます。(音声中断)早くも我が軍の襲撃を知って浮き足だった残敵を掃討しつつ、奥地へ奥地へと進軍。かくてニューギニアの一角に軍艦旗翻り、全島制圧は目睫(もくしょう)の間に迫っております。

要衝サラモアの敵軍事飛行場は、我が荒鷲の的確なる爆撃により完膚なきまでにたたかれ、むなしく残骸をとどめております。豪州は大東亜戦争勃発以来、一衣帯水の、このニューギニア島をもって、防衛の第一線と頼んでいたものであります。今にしてその態度を改めずんば、豪州は今日の蘭印とまったく同じ運命をたどることとなるのであります。

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