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吴新荣日记>19420114

夕方、病床を举げて外出の仕度をした。
重病と云ふ程でもないが、それから[そうか]と云って全快したとも云へない。
然し明日の奉公医师团结成には是非行きた【い】ものである。
それで六时半のバスで台南に行き、先づ毛昭癸兄に会った。
彼は或る伤害事件があってから晚には出ないことになったと云ふ事である。
それで黄奇珍兄を访ねたら、タイ国语讲习の为め不在との事だ。
それで又黄百禄君を[と]会ってから一绪に“一平”へ行って天妇罗を食ひ、“南风”へ行って红茶を饮んだ。
傍晚,下了病床准备外出。
虽不是重病,但也不能说已完全康复,但明天的奉公医师团的成立典礼非去不可。
搭六点半的巴士到台南,先去拜访毛昭癸兄,他因有件伤害事件发生过,所以晚上不再出门。
去看黄奇珍【1】兄,他去参加泰国语讲习不在家。
去找黄百禄【2】君,一起到“一平”吃天妇罗。
之后到“南风”喝红茶。

【注】
【1】黄奇珍:台南县白河镇人。
吴新荣就读台湾总督府商业专门学校豫科时的同学,为吴新荣的终生契友,最称莫逆。
原名“寄珍”,吴新荣改称呼“奇珍”。
又,日本名为宗原宽。
吴新荣所著《震瀛随想录》仅有二序,冠首即为寄珍序。
【2】黄百禄(1903-1985):台南市人,吴新荣就读台湾总督府商业专门学校豫科的同学。
毕业于日本中央大学法学部,日本高等文官考试行政、司法两科合格。
返台后,于台南市为开业律师。
战后曾任律师公会理事长、汽车商同业公会理事长、台南区合会董事长、兴南客运公司董事长、台南市参议会议长、台南中小企业银行董事长。
旭翠会成员之一。

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