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吴新荣日记>19411220

今度の大震灾で、その后判明したことは、震源は嘉义附近であった。
从って嘉义地方の被害は最も酷く、死者だけでも三百人以上に上った。
建物の如きは殆んど完全なものがなく、实に想像以上とのことである。
その后、佳里さへも时时余震があるが、实际いやなものである。
午后、佳里国民学校の父兄会があるので、雨を冒して出席した。
二百圆を寄付したので、学校当局も大に面目を施して下れた。
高文瑞氏は今日を以って过去十数年间重任した街长を辞任した。
これで所谓文瑞派、若しくは街长派が自然消灭したわけである。
新陈代谢の原理に依って、人世は沉浮してゐるとは云へ、いささか寂寞を感じないではゐられない。
何故なれば彼等は少くとも过去に于いては吾等の好敌手であり、我等も彼等の打倒を目标として来たのである。
これで佳里は党派的对立がなくなったが、又何かの形式で新しい形态の党派が发生することを预期せねばならない。
今の所、高锦德派、陈炳林派等の新生を警戒せねばならない。
这次大地震,事后的报导,得知震源就在嘉义附近,而嘉义地区的灾害最重,死者达三百人以上,几乎没有留下完整的建筑物,是难以想像的程度。
事后佳里地区也偶有小余震,让人心里发毛。
下午,佳里国民学校举办父兄会,冒雨出席。
因捐过两百圆,校方也给我很大的面子。
高文瑞氏今天辞去担任十数年的街长一职,就此所谓的文瑞派或街长派自然就销声匿迹了。
根据新陈代谢的原理,虽说人世沉浮,但不免让人感到些许的落寞。
这也是因为他们过去曾是我们的好敌手,我们也是他们打倒的目标。
这么一来,佳里党派的对立已不存在,但可预期一定还会有新形态的党派产生。
目前,对于新产生的高锦德派及陈炳林派,必须心存戒心。

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