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日本ニュース 第74号

1941年(昭和16年)11月04日

[1]逞しき銃后若人 神宮体育大会 02:39

第12回明治神宮国民体育大会は、全国からの参加人員4万3000余名をもって、秋空さわやかに晴れた10月31日、かしこくも高松総裁宮殿下の台臨(たいりん)を仰いで、外苑の神域を中心に、熱戦敢闘の幕を切って落としました。

かしこくも総裁宮殿下にはありがたき令旨(れいし)を賜(たまわ)り、聖恩旗を迎え祀(まつ)って、若人の意気益々健康、選手代表は感激の宣誓を行のう。

「我ら一同、選ばれて出場し、明治神宮のおお前に平素修練せるところを奉納するの栄を担う。相共に誓って、純正なる運動精神の神髄を発揮し、もって体力奉公の誠を尽くさんことを期す。右、宣誓す。」

かくて一億国民が日頃練り鍛えた銃后日本の意気と力をここに集めて、神宮のおお前に捧(ささ)げ奉る力闘を次々に展開。

若人の熱は火と燃えて、走る、飛ぶと戦時下にふさわしい鍛錬の妙技を発揮。国をあげての体育総進軍の頼もしき姿を示しました。

最后に全大衆、老いも若きも一丸となっての更生体操に、4日間にわたる大会が幕を閉じたのであります。

[2]泰·仏印間に新しき国境線劃定 01:03

熱帯のジャングルをぬって、延々5000キロに及ぶ泰·仏印の新国境確定の現地作業が10月21日から開始されました。遠くアンコールワットの遺跡をのぞんで北緯15度、泰·仏印両国間に激戦の戦わされたスツン、コンポト川を中心として、我が矢野委員長以下、日本側委員立ち会いのもとに、泰·仏印両国の現地作業班はそれぞれ専門的な測定作業にうつりました。

熱帯の焼け付く日差しを浴びながら、泰·仏印両国、永久の平和を打ち立てようとするこの難事業は、帝国の厳然たる決意と指導のもとに東京会談の精神に従って明春3月までに完成される予定であります。

[3]全蒙古体育大会<週間話題> 00:57

ラケットを握った徳王が、金井最高顧問を前衛にすえて奮戦しています。これは先頃蒙疆の張家口に開かれた第1回全蒙古体育大会における珍しい姿。

この大会には昨年の東亜大会で我が国にもおなじみの蒙古相撲をはじめ、数々の体育絵巻が展開され、全蒙古から馳せ参じた若人たちが新蒙疆建設の意気を示しました。

[4]ハノイで巡回日本画展<週間話題> 00:41

フランス領インドシナ総督ドクー氏夫妻らを招待して、10月21日、仏印巡回日本画展覧会が、まずハノイで蓋(ふた)を開けました。押し寄せたフランス人たちは、いずれも毛筆で描かれた美しい日本芸術の神秘に感嘆。本国のパリーで有名な藤田画伯の案内で場内を一巡りしたドクー氏夫妻は巧みな即席品を贈られて大喜びでした。

[5]中支前線の騎兵隊<週間話題> 00:55

軍馬のいななきも溌剌(はつらつ)と、河畔にむすんだ露営の朝があけました。「さあ、今日も元気で労苦をともに」と塩をはませ、飼い葉を与える兵隊さんたち。

馬の腹喰らいが終われば、今度は川へ乗り入れて「やあ、昨日はつらかったろう」と、ブラシでゴシゴシ戦塵を洗い落してやります。

前線弾雨の中に見る、美しくも馬をいたわる兵隊さんの姿の一風景。

[6]壮烈! 残敵撃滅戦 01:37

「番号!」

「1、2、3…。」

「命令1。情報によれば、小崗村には約100名の敵陣潜入し、領民を迫害しつつある模様なり。2。陸戦隊はただいまより小崗村南岸より上陸。この敵を掃討殲滅し、本日中に帰還すべし。終わり。」

命令一下、我が海軍陸戦隊の精鋭は揚子江の濁流をついて、安徽省小崗村付近に敵前上陸を敢行。

たちまち付近の敵匪賊(ひぞく)を掃討。大軍艦旗を先頭に敵トーチカ陣地の間をぬって、ことごとくこれを撃滅しました。

[7]巨弾の猛射に敵陣徹底的に粉砕 01:22

南支那の最大都市、広東を攻略して三周年。我が小笠原部隊の精鋭は思い出の10月21日を記念して、広東北方の残敵に対し猛烈果敢なる掃討戦を展開しました。

敵は小癪にも小高い丘に拠って我が方に抵抗すれば、我が砲門は一斉に開いてこれを木っ端みじんに粉砕。立ちどころに敵を潰走(かいそう)せしめて、記念日にふさわしい戦果をあげました。

(掃討戦の様子)

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