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日本ニュース 第69号

1941年(昭和16年)9月30日

[1]明治神宮大会 水の熱戦展開 01:49

かしこくも高松宮殿下を総裁に仰ぎ奉り、臨戦体制下に迎えた第12回明治神宮国民体育大会夏季大会は、秋の日も爽(さわ)やかな9月22、23日の両日、明治神宮外苑水泳場で開かれました。昨年までの記録競技から臨戦競技へ。鉄兜(てつかぶと)も勇ましく、実戦さながらの敵前渡河演習は、まさにその意気、熱烈火を吐く若人の戦陣訓精神を発露したものでありました。

また横浜の海洋訓練道場では、かしこくも高松総裁宮殿下台臨(たいりん)のもとに、銃後青年学徒が溌剌(はつらつ)たる海洋競技敢闘の跡を残しました。まず、中等学校生による分列競技。呼びものの大学、高等、専門学校対抗の帆走競技には、東京帝大が優勝。

[2]逞しき前進 三国同盟一周年 01:07

日独伊三国同盟の誓いを固めてここに1周年。9月27日、神田一ツ橋の共立講堂に、内外朝野の名士多数を集めて、盛大なる国民記念大会が開催されました。

<豊田外務大臣>

「三国条約の目的は、我が肇国(ちょうこく)の精神に基づきまして、しかも正義に立脚したる世界の新秩序を建設。恒久的平和を誇示せんとする崇高なる理想の達成に存しますることは、あえて私から申すまでもないのであります。」

豊田外相らに続いて、インデリ大使の挨拶があり、最後にオットー大使の主唱によって天皇陛下の万歳を奉唱。意義深き大会の幕を閉じました。

<オットー大使>

「天皇陛下万歳。万歳。万歳。」

[3]見事成功 皆既日食撮影 01:56

5年ぶりに訪れた黒い太陽。9月21日、北台湾各地に観測陣をしいた京都帝大の地磁気観測班をはじめ、コロナ探求の天文女性以下、いよいよ太陽攻略の戦いを開始しました。台北の近辺での観測は、お天気、すなわち気象や地磁気の変化を探ることが中心で、この日はだいたいにおいて成功。黒い太陽をいろいろの角度から捉えました。私たちのカメラもこの通り、見事に黒い太陽をつかまえました。

一方、治安いまだ定まらぬ中支賀勝橋の前線には、銃剣に守られた科学挺身隊(ていしんたい)が兵隊さんとの協力陣をしきました。雲よ遮るな、秋空晴れよと、わずか2分16秒に骨身を削るこの遠征は、東京帝大の田中教授、京都帝大の上田教授らの2班。大陸の征野に大きなアインシュタインカメラを据えつけ、プリズム、偏光写真機の操作も鮮やかに、科学戦士の天体への挑戦が始められます。これこそは戦時下、日本の実力を如実に世界に示すものであります。

[4]在留英人横浜港引揚げ<週間話題> 01:07

(横浜)

変転する世界情勢に備えてか、イギリスは在留英国人の引き揚げを行うため、9月26日、英国船安徽(あんき)号を日本に派遣。かくて370名の英国人は、数々の思い出も今は懐かしい日本を後に、横浜港を引き揚げていきました。これらはいずれも、シンガポール、インドなどへ送られていくことになっておりますが、出帆間際に急遽、帰国命令を受けたという豪州公使ベイサム氏が駆けつけて乗船、一同を驚かせました。

[5]仏印での交歓<週間話題> 01:04

(仏印)

我が皇軍の進駐のもと、明るい光が溢れるサイゴンへ、ハノイから乗り込んできたドクー仏印総督を、仏印方面派遣艦隊司令長官が9月10日、その官邸に訪問、親善の握手を交わしました。

また同じ日、飯田陸軍最高指揮官もドクー総督を官邸に訪れましたが、これに応えて総督は飯田中将を訪問。仏印防衛の固い誓いを結び、ここに我が軍と仏印最高首脳との意義深き交歓が行われました。

[6]仏印カムラン湾での訓練<週間話題> 00:52

(仏印)

かつて日露の戦役にバルチック艦隊を入れたという仏印南端のガムラン湾、その思い出の海に今翻る大軍艦旗。共同防衛の重任にあたる我が派遣部隊の勇士たちは、(華氏)130度の炎熱もものかは、日夜たゆまざる猛訓練を続けております。海に生きるも陸(おか)に生きるも、修める道は唯一つ。甲板上を道場に変えて武道大会が開催されます。勇気凛々(りんりん)、南海を圧する海の兵(つわもの)の姿です。

[7]岳南殱滅戦 01:56

湖南の野を席捲して長沙(ちょうさ)へ、長沙(ちょうさ)へ。頑敵、薛岳(せつがく)軍に鉄槌を下すべき、岳南殲滅(せんめつ)戦の火蓋(ひぶた)はきって落とされました。はるかに洞庭湖を望む岳陽南方、いわゆる岳南の地区一帯に渡って、治安の徹底的確立を期する皇軍は、9月18日、陸海空一体となっての緊密なる協力のもとに、捕捉殲滅(せんめつ)作戦を展開。精鋭なる皇軍の一撃するところ、たちまちにして敗退を急ぐ敵軍を蹴(け)散らし、作戦開始の18日、早くも新墻河(しんしょうが)の渡河に成功。かくて洞庭湖畔にひそかに集結した我が平野部隊の精鋭は、部隊長の訓示をひしと胸に刻み、敵前奇襲上陸の壮途に就きました。不意をつかれた敵は、狼狽(ろうばい)なすところを知らず、算を乱して壊走したのであります。一方、陸の荒鷲各部隊は、19日払暁より、勇躍鵬翼(ほうよく)を連ねて敵の堅陣を次々に急襲。熾烈(しれつ)なる地上砲火と密雲を冒して低空爆撃を敢行し、半永久陣地に拠る敵を粉砕して、多大な戦果を収めたのであります。

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