吴新荣日记>19410911
昨今两日に渡りて友よりの消息で乐しい思ひ出で过ぎた。
先づ昨日では澎湖の陈才君が彼地の名产スルメを送って来た。
彼とは昭和二年上京の船中で知り合ってから十四年目である。
その间、时々澎湖の名物を赠って下れることは彼の盛情の致す所である。
昨日には又巫永福君から、今日には张文环、王井泉两君から先日来佳のお礼状を下れた。
彼等は口を极めて佳里の文学的氛围气を赏めた。
又同じく今日に东京から最初の元气な便りが来た。
コスモス笑く武藏野がさうさせたとのことである。
それから晚には吕赫若君が台中放送局から民谣や洋曲を放送してゐるので、子供达とラヂオの前で听取った。
彼が东宝に入ってからの初放送であるが、さすがに声量が丰かであった。
丁度谢得宜、陈其和两君も访ねて来たので、彼等もその名曲を赏することが出来た。
后で河崎又一氏も来たので、皆で十二时近く迄语り合った。
彼等の归った后、自分は陈才君に礼状を书いたり、吕赫若君に便りを上げたり、黄奇珍兄に明日台南へ行く知せを上げた。
明日は八反田氏を[と]贵岛氏【を】访ねる傍、藤原义江の音乐を听く[き]に行く积だ。
昨今两天,由友人得知了一些消息,过了快乐的回忆。
首先,昨天澎湖的陈才君寄来了当地的名产鱿鱼;
与他认识是在昭和二年,在上京的船中,相识至今已十四年了。
这期间经常寄来澎湖名产,表达他对我这友人之盛情。
昨日收到巫永福君的谢函,今日也收到张文环君、王井泉君寄来的谢函。
他们齐口赞赏佳里文学的气氛。
同样地,今天收到从东京寄来的第一封有精神的信;
大概是开满大波斯菊的武藏野,使他触动写信回家的念头。
晚上,吕赫若君的台中广播电台有民谣和西洋音乐的节目,我和小孩们坐在收音机前静听。
这是他进入东宝【1】之后的第一次广播,他的音量很丰厚。
正好谢得宜、陈其和两位来了,使他们也有机会欣赏吕氏的名曲。
不久,河崎又一氏也来了,谈话谈到快十二点了才走。
之后就写谢函给陈才君,写信给吕赫若君,并通知黄奇珍氏我明天要去找他。
明天除了拜访八反田氏、贵岛氏之外,打算也去听藤原义江的音乐。
【注】
【1】东宝:即东京宝冢剧场,1932年成立,为日本极具代表性的戏剧商业团体。
吕赫若于1939年进入日本东京武藏野音乐学校声乐科,1941年加入东宝,参与多次演出。
