日本ニュース 第63号
1941年(昭和16年)8月19日
[1]興亜への協同新聞記者大会 01:38
東亜弁論界の代表が一同に会して、意見を戦わせる歴史的な催し、東亜新聞記者大会は8月04日から1週間、中国革命の発祥地、広東の中山記念堂で開かれました。
日本から23名、中国から50名、満洲国から7名、合計80名の代表者が出席。
国民政府からは特に汪主席が林宣伝部長らを従えて大会に乗り込みました。
林伯生(りんはくせい)氏の開会の辞をもって大会の幕は切って落とされ、汪主席の特別訓示をはじめ、終始真剣なる態度をもって東亜共栄の実践方法を協議し、東亜新秩序を建設のうえに幾多の大きな収穫をあげました。
大会第4日には中山記念堂前広場において、新中国建設の意気軒昂(いきけんこう)たる中国童子軍を汪主席自ら閲し、その前途を祝いました。
从8月04日开始,在中国革命的发源地广东中山纪念堂举行了为期一周的东亚新闻会议,这是东亚新闻界代表交流意见的一次历史性聚会。
共有80名代表出席了会议,其中包括23名日本代表、50名中国代表和7名满洲国代表。
国民政府方面,特别是汪主席在林宣传部长等人的陪同下专程前来参加大会。
大会开幕后,林伯生致开幕词,随后汪主席发表了特别演说,与会者自始至终认真讨论了如何落实东亚共同繁荣的问题,在东亚新秩序建设方面取得了一系列重大成果。
大会第4天,汪主席在中山纪念堂前广场亲自检阅了为建设新中国而意气风发的中国童子军,并向他们表示祝贺。
[2]軍旗飜る炎熱の南仏印 01:19
南国の強烈な太陽に照り映える壮麗の王宮と仏教文化の精髄を誇る寺院の屋根。
南仏印に名だたるこの町は幾度か兵火を被り、インドシナ民族と興亡を共にしてきましたが、8月07日、小林部隊の堂々の進駐によって町の姿にも僧侶の足取りにも、何かしら新しい時代が感じられるのでありました。
かくて8月08日、先遣部隊に引き続き、燦(さん)として輝く軍旗を迎えて、ここに堂々の入城式が行われました。
小林部隊長の閲兵を受けながら、都大路をわが飛行部隊が厳然たる軍律のもとに軍列を開始すれば、住民の皇軍に対する信頼はますます強まっていきます。
南仏印の旧都に歴史的進駐を終えた小林部隊長は、9日午前10時、進駐部隊の一部を伴って、フランス無名戦士の碑に詣で、第1次世界大戦のみぎり、祖国に命を捧(ささ)げた人々の冥福を心から祈りました。
壮丽的王宫和蕴含佛教文化精髓的寺庙屋顶在强烈的热带阳光下熠熠生辉。
这座南法印有名的小城,曾数次遭受兵火,与印度支那人民同兴衰,但8月07日,随着小林部队气势如虹的推进,从小城的面貌和僧侣们的脚步中,可以感受到一个新时代的到来。
因此,8月08日,随着先头部队的到来,这里举行了盛大的入城仪式,迎接灿烂辉煌的军旗。
在小林司令官的检阅下,我们的飞行中队在严明的军纪下沿着首都大道开始列阵,居民们对皇军的信任与日俱增。
9日上午10时,在完成对法属南印度群岛前首都的历史性占领后,小林司令官在部分占领军的陪同下,瞻仰了法国无名战士纪念碑,并真诚地为第1次世界大战中为祖国献出生命的战士们的英灵安息祈祷。
[3]南支陣中野戦料理<週間話題> 00:54
(南支)
南支の炎熱はことのほか厳しく、その中にあってわが皇軍の勇士は、警備に掃蕩(そうとう)に休みなき日を送っています。これは悠々たる将兵の陣中風景で、敵陣を眼前にして野戦料理の準備です。
もうすっかり料理の手際も板につき、自給自足の素晴(すば)らしい生活ぶり。
大地も焼ける8月の炎熱の中に、明日の戦いを控えて、緊張のうちにも頼もしい休息のひとときを過ごす我が精鋭の姿であります。
南中国海酷暑难耐,我帝国军队的英雄们终日守卫、搜刮,没有休息。 这是营中士兵在敌营前准备野战菜肴的悠闲景象。
士兵们已经掌握了烹饪技巧,过着自给自足的美好生活。
在烈日炎炎的08月,大地也在燃烧,我们的精英们正在度过紧张而又可靠的休息时刻,为明天的战斗做准备。
[4]静岡伊東沖で海を学ぶ生徒<週間話題> 01:02
(静岡)
海国日本の少年は、まず海を科学的に知らねばならぬと、夏休みを利用して海に乗り出した少年の一隊が船の甲板を教室にして、まるで水産試験場の技師のように、水の温度やプランクトンの分布状態を調べています。これは温泉で名高い伊豆伊東の東国民学校の生徒たちで、将来一人前の漁師となったときに漁場を知るための修練です。また、この生徒たちは河童も顔負けするほどの水もぐりの達人ぞろいで、今まで海の雑草として省みられなかったカジメ獲りをやっています。男の子が潜って取ったカジメを、女の子が磯に並べて乾かし、やがて精製して昆布と同じような栄養価をもつ代用食として登場するはずですが、廃品利用の有効な勤労奉仕として好評です。
[5]長野万座で熊笹の実を食料に<週間話題> 00:43
(志賀高原)
海抜2000メートルにもおよぶ志賀高原の万座温泉に、50年に一度咲くという熊笹の花が咲き、その実が結んで小麦とほとんど同じ成分を持っているというので、食糧報国会が中学生を動員して採取に乗り出しました。800町歩の笹山から1坪1升として2万5千石が取れるわけで、ふもとの須坂村ではこれをひいて粉にし、パンやせんべい、さてはだんごまで作っていますが、鈴木長野県知事も視察激励に乗り出して、食糧報国におおわらわです。
[6]残敵を急追掃蕩戦展く 01:16
8月はじめ南支河源付近に討伐の軍を進めたイワサ部隊の精鋭は、焼けつく熱風をくぐり、猛然として頑敵の正面に攻撃の砲火を集中。
さすがの敵も我が猛攻に耐えかねて動揺の色を示せば、我が軍は一斉に立って突撃を敢行。
完全にこれを撃滅して大の戦果を収めました。
08月初,挺进到南支河源附近的岩佐兵团精锐,穿过炙热的寒风,气势汹汹地向顽敌正面集中火力。
敌人刚一出现动摇迹象,抵挡不住我军的猛攻,我军便齐头并进,发起冲锋。
我军将其彻底歼灭,取得了巨大战果。
[7]海鷲重慶連爆 02:35
<隊長>
「ここはまだ、相当向こうは重要視しているところであるから、それを今日は潰してしまう。
今言われたように、一中隊がこの町の中、これはこの真ん中へ、兵備司令部。それから憲兵司令部、
二つちょっと北側に県政府、そういうような重要な政府機関がたくさんある。
これを潰す。二中隊は北側のこの碼頭(まとう)、それから桟橋、この河口にいっぱいジャンクがついてるからこれを潰す。」
四川の空晴れて、重慶は絶好の空襲日和。
8月08日以来、我が海の荒鷲の連日連夜の爆撃に、抗日の牙城(がじょう)、気息まさに奄々(えんえん)たるものあり。
今日もまた重慶は快晴、さればとばかり腕に覚えのある海の荒鷲は、折から航空基地視察に訪れた嶋田支那方面艦隊司令長官の激励を背に受けて勇躍基地を出発。
目指す首都、重慶近し、我が荒鷲は悠然部署につく。(音声中断)
<兵士>
「けいかーい(警戒)」
(音声中断)重慶上空に達するや、巨弾の雨が轟音(ごうおん)をあげて市内の各所に炸裂(さくれつ)。しかも今や敵、防空砲火は全く沈黙。蒋政権没落の前夜を思わせるものあり。
<队长
'这里对对方来说还是一个相当重要的地方,所以我们今天要把它摧毁。
刚才你也说了,这个镇子里有一个连,这个连去这个镇子中间,就是宪兵指挥所。然后是宪兵司令部,
再往北一点是县政府,还有许多类似的重要政府机构。
我们将摧毁这些机构。
二中队要毁掉北边这个码头,然后是栈桥,这个江口有很多舢板。“
四川上空晴空万里,迎来了空袭重庆的好天气:
自8月08日以来,抗日的重庆在我军海鹰日夜不停的轰炸下,一直气息奄奄。
今天,重庆的天气也很好,在前来空军基地视察的中国地区舰队嶋田总司令的鼓励下,技术娴熟的海犀鹰从基地出发了。
首都重庆近在咫尺,”海鹰“也悠然地进行部署。
(声音中断)
<士兵:
“警戒”
刚到重庆上空,巨大的弹雨呼啸而过,炸遍了整个城市。
而现在敌人,防空火力,完全静默了。 这让人想起蒋介石政权垮台前夕。
