日本ニュース 第61号
1941年(昭和16年)8月5日
[1]大本営で増駐発表<皇軍仏印増駐> 01:07
昭和16年7月26日、日本仏領インドシナ共同防衛の取り決めに引き続き、7月29日、我が陸海の精鋭を南仏印に増派の旨、馬渕大佐によって発表。
<馬渕大佐>
「大本営陸海軍部発表。7月29日20時。帝国と仏国との間に今般成立せし、仏印仏領インドシナに関する共同防衛の取り決めに基づき、7月29日我が陸海軍部隊をついに増派せられたり。」
[2]大輸送船団<皇軍仏印増駐> 00:43
その日南シナ海の波穏やかに、仏印防衛の重要任務を担ってひたすら進むわが平和の前進、大輸送船団は、午前9時早くもその威容をキャップサンジャック岬の沖合に現す。この大船団を守って、世界の荒波を蹴たてるがごとく進むは、我が厳然たる海の護り(まもり)、舳艫相銜(じくろあいふく)んで鉄壁の陣を進める。
[3]サイゴン河を行く<皇軍仏印増駐> 01:23
右手に最後の防衛の第一線サンジャック砲台を臨みながら、陸海協力の大船団ならびに護送艦隊は、サイゴン河を一路さかのぼって東洋の小パリ、サイゴンへ進む。そのとき、我が海の荒鷲も鵬翼(ほうよく)を連ねて飛来、あるいは高く、あるいは低く、その戦艦の大編隊を空から迎える。突然、南海名物のスコールがやってくる。このスコールをくぐって目指す東洋の小パリは指呼の間(しこのかん)にある。思えば我が国が北部仏印に歴史的平和進駐を行ってよりおよそ1年。今ここに南部仏印の中心地サイゴンを見る。かつて北部において得たると同じ熱烈なる歓迎を、安南人は我らの雄姿に寄せれば、蓑田総領事をはじめ200余名の在留邦人は、手に手に日章旗を打ち振りながら押し寄せる。
[4]西貢入港<皇軍仏印増駐> 01:34
欧米勢力も圧迫に抗してインドシナの一角に毅然として守り続けた帝国臣民の、今ぞ巡り会うこの喜びはいかばかり。邦人の歓呼にこたえて最高指揮官飯田祥二郎陸軍中将は、柔和な微笑を浮かべながらいちいち挨拶をおくる。
かくて歓喜に溢れる在留邦人は、船から船へ民一億に代わって感謝を伝えていく。
[5]精鋭部隊上陸<皇軍仏印増駐> 00:34
7月30日午後4時、仏印側から仏領インドシナ軍司令官代理参謀長アレクサンドリー大佐、コーチシナ総督代理ルヌー氏、極東艦隊司令官代理ビシェラル大尉、コーチシナ地区師団長代理ポルタニエ中尉らが、我が軍指令部船を訪れ、極めて友好的雰囲気のうちに飯田最高指揮官以下との間に挨拶を交換。
[6]機械化部隊を閲兵する飯田指揮官<皇軍仏印増駐> 02:01
ここに我が精鋭の上陸準備は開始され、市民の賛嘆を集めて整然たる秩序と近代機械化部隊の威容を示して埠頭に整列。
かくて英気颯爽(さっそう)。軍旗を先頭に、すでに南海を飲むの慨ある上陸部隊は、陸続と自動車の列を連ね、新鋭銀輪(ぎんりん)部隊これに続き、快足また快足、市中に向かって行進を開始。
緊張のうちに、平和進駐の喜びをたたえて、部隊長の閲兵を受ければ、厳然たる軍律に一糸乱れぬ皇軍の威容を初めて目の当たりに見る安南人の群れは脅威の目をみはりながら、心からなる信頼を寄せて慕いよる。
[7]空から荒鷲の進駐<皇軍仏印増駐> 01:13
陸軍部隊の海からのサイゴン上陸と時を同じうして、海の荒鷲が空から平和進駐。31日朝、基地を離れた航空隊の精鋭は快晴に恵まれた南シナ海を横断。シマザキ隊長機を先頭にサイゴン付近の飛行基地に着陸。堂々たる空軍の陣容を示す。ここにわが陸海軍増派は、在留邦人の感激と安南人の感謝に包まれながら、仏印防衛の第一段階を無事に終了した。いまや英米を中心とする民主主義国家群は、あるいは蘭印、あるいは豪州と結んで、聖戦完遂の理想に邁進(まいしん)する我が国を包囲せんとするがごとき体制を示している。
[8]西貢市街風景<皇軍仏印増駐> 01:06
このときにあたって今回の平和進駐は、あくまで自らを頼む確固たる皇国の決意を世界に物語るものであり、同時に我が国が衷心(ちゅうしん)より世界平和の将来を望むがゆえに行われたものである。人口18万、サイゴン河の流れにヨーロッパの文明を映すサイゴン。灼熱の太陽のもとに明けては暮れていくカンボジアの平原。その平和こそは皇軍の堅き防衛によって守られ続けるでありましょう。
