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吴新荣日记>19410730

〈飞蕃茔〉を《台湾文学》に投稿す。
今迄ずっとたまってゐた书籍も杂志も皆读んでしまって已に种切れた。
曾ってないせいせいした气持だが、それだけ淋しく感ずるものである。
今は只新闻やラヂオの【み】で心の粮に充たしてゐる。
杂志や单行本はこんな急激な世界の变化にはも早や认识的基础にはなり得ない。
吾々はこの精神的空间を原稿を书くことに依って埋めようとした。
それで〈飞蕃茔〉十八枚を书いて国山に清书さ【せ】て台湾文学社に投稿することにした。
沤汪へ二、03日も行った父亲は今朝归って来たが、本成叔との土地登记は未だ完了してゐないとのことだ。
雪金も内地から归って、午后台南经由で归って来たが、これで家族员は殆んど揃ふ样になった。
只国卿だけは宿命的と云はうか、彼自身の生活に追はれて屏东に行ってゐるので、皆迄は揃はなかった。
それに[で]も全部で十六名も揃って来るので骚然たるものである。
吾々はこの团栾の乐みを喜ぶ前に、この一族の将来を忧へざるを得ないのである。
殊に寿坤の成绩の劣恶さには实にあきれたものである。
投稿〈飞蕃茔〉【1】一文于《台湾文学》。
累积至今的书籍杂志全部看完了,一方面精神清爽,另外有种落寞之感。
目前只以报纸和收音机充为精神食粮,杂志或单行本的步调赶不上此遽变的世界局势的基础认识。
我以写些文稿充实此种精神上的空间。
写了十八张〈飞蕃茔〉文稿,令国山誊稿,投稿到台湾文学社。
到沤汪已两三天的父亲,今晨回来了,告诉我和本成叔的土地登记尚未完成。
雪金也从内地回来,可说全家到齐了。
只有国卿,由于他的宿命,逼于生活,到屏东去了。
全家齐聚,只缺他一个人,全部十六人,热闹滚滚,享受天伦之乐之余,对家族之未来也忧心忡忡,尤其是寿坤的成绩低劣的程度,令人灰心。

【注】
【1】〈飞蕃茔〉:原题为〈飞蕃墓〉,是吴新荣以“大道兆行”笔名发表于《台湾文学》第二卷第一号(1942年2月1日发行)之随笔,为早期研究平埔族之重要文献。

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