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吴新荣日记>19410605

佳里信用组合监事として关子岭讲习会に出席す。
今朝九时十五分の协成バスにて佳里を发し、关子岭に向かった。
佳里信用组合の监事として讲习会に出席する为めである。
一组合に一人だが、全州下を二班に分れ[け]て、今日は南台南州の番である。
この行は自分の职业上、物质的牺牲が多大であったばかりでなく、精神的にも余り气が进まなかった。
然し监事としての职权を遂行する为め、又选ばれた一人として大众の利益拥护の为めに、利己的な打算は当然扬弃すべきであると思って、とうとうやって来たのである。
白河に着いて先づ吕成宝君を访ねたが、往诊で不在なので魏国君を访ねた。
それで素娥夫人の案内で亡友赖辉煌【1】君の遗族を慰问に行ったが、生憎不在であった。
そこから戻って来たら吕君も归って来たが、昼饭はとうとう魏君の所にした。
素娥夫人はさすが家内の亲友であればこそその接待は至れり尽せりであった。
やがてバスの时间が来たので、そこを辞して二时过、关仔岭に着いたがすぐその足で讲习所に向かった。
今日の讲习は组合の法规らしいが、自分は最后の五分间に只监事の权限に就いて、少し听讲したわけだ。
讲义が终って见ると、自分の知合では新丰の吴碷さん、学甲の谢有利さん、将军の吴三荐さん、七股の黄大丛さん达だけである。
旅馆は北门郡の方は清秀馆に割当ててゐたが、皆が不亲切と云ふので吉田屋に移って来た。
旅馆に落ち着くと、先づ一风吕を浴びてから南星に安着を知せ、奇珍に怀古の手纸をやった。
旅费を贳っての旅だから义务を负はされてゐるが、然し久し振りに温泉场で休めることはやはり乐しいことだ。
蝉の声,水の音、关子岭は何时来て见ても同じだが、来る每に吾々と共に语る人が变ってゐるのは淋しかった。
以佳里信用组合监事的身分出席关子岭讲习会。
搭上今早九点十五分的协成巴士,由佳里出发到关仔岭。
我是以佳里信用组合监事的身分参加讲习会。
全州之下,分为两班,而每一组合选派一人参加,今日是轮到南台南州。
此行对本人而言,在职业上、物质上的牺牲不小,精神上也觉得不起劲,但既然担任监事职务,必须完成自己的职责,为了维护大众利益,当然得扬弃利己之打算。
到达白河之后,先去拜访吕成宝君,因外诊不在,就去找魏国【2】君。
然后在素娥夫人的陪同下,去慰问亡友赖辉煌【3】君的遗族。
不巧的是,也不在家。
折返回吕家时,吕君正好外诊回来,就在他家吃午饭。
素娥夫人是妻子的至友,很热诚地招待我。
之后搭下午两点的巴士赶到关仔岭会场。
今天的讲习似乎是组合的规定,不过,只在最后五分钟听了有关监事的权限。
会后,看到认识的参加者只有新丰的吴碷先生、学甲的谢有利【4】先生、将军的吴三荐先生、七股的黄大丛【5】先生。
夜宿的旅馆,北门郡人分配在清秀馆,大家说此家不亲切,就换到吉田屋(旅馆)。
安排好了房间,浸泡温泉之后打电话给南星,告知我的下落,并写了一封信给奇珍,诉说怀古之情。
领有旅费的旅行,也背负着一些义务和责任。
不过,久未享受的温泉池的休憩也令人心旷神怡。
蝉鸣、水声,来了几次的关子岭,景色依然,然而每次一起来的同伴、友人都不同,心中总有些怅然。

【注】
【1】赖辉煌:原文写为赖辉煌,应为赖辉煌。
【2】魏国(1905-1971):台南县白河镇人,吴新荣就读东京医专的学弟(低一班)。
吴新荣的亲家,吴亚姬的公公。
曾任日本赤十字病院研究及台湾总督府立嘉义病院内科医员。
【3】赖辉煌(?
-1941):原文写为赖辉煌,应为赖辉煌。
台南县白河镇人,吴新荣就读东京医专的同班同学。
【4】谢有利(1884-?
):台南县学甲镇人。
1900年任巡查补,1920年任北门郡役所甲种巡查,1929年以刑事巡查退职,后改行经商。
【5】黄大丛:台南县七股乡大寮村人。
曾任台南县七股乡乡长。

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