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吴新荣日记>19410524

送陈培初君赴台北。
久し振りの雨天である。
农民は喜んでゐるであらう。
自分には暇が出来た。
庭园の点检が出来る。
书籍の整理が出来る。
友达と语ることが出来る。
昨晚、酒仲卖所で例の同志を呼び集っ[め]た。
来会せる者は郭水潭、徐清吉、陈清汗、叶向荣、李自尺と自分を合わせて六名である。
目的は今度家族を举げて台北へ赴く陈培初君の送别会をやる为めである。
培初君は彼の生来の乐天主义にも拘らず、近来は失意のどん底にあった。
然し、吾等はこの旧同志を送る为めに、一夜を语り尽くすことを惜まなかった。
宴会后、吾等は新会社组织に关して讨议した。
丁度河崎又一氏も来合わせたので、当局の许可方针を知ることが出来た。
この小企业の竞争相手たる两杨一派(杨金城と杨万福)は旧い商卖人だけあって、目的の为めには手段を选ばない辈である。
吾等はグループの名誉にかけて、彼等を排除してこの权利を取らねばならない结论に到达した。
それで正攻法として代表を举げて、郡守に当るのがもっとも得策であると主张された。
吾等は利权屋ではないが、吾等同志として精神的と同样に、经济的にも坚固たる同盟が必要であると强调された。
近午、眼病诊疗の为めに东京へ行ってゐた王乌硈先生が归台の挨拶に来られた。
顺天堂で治疗を受けた所、经过がよかったが、西港组合医院の事件で急据[遽]归って来たとのことだ。
午には酒仲卖捌所で御饭を食べると云はれたので、徐清吉、陈清汗两君と共に其处に集って、新会社组织の件に就いて王先生の意见をきいた。
王先生はやはり原料に就いて多小[少]不安な点があると云はれたが、大体赞成して下れた。
それでもっともよい方法はやはり郡守を动かすことが必要であると云われたので、その尽力を愿った。
送陈培初君赴台北。
久违的雨天,农夫一定皆大欢喜,我则多了闲暇时间,能够巡视院中的花草树木,能够整理书籍,能够和友人谈话。
昨晚,在酒配销所把常相聚的好友都找来了,有郭水潭、徐清吉、陈清汗、叶向荣、李自尺,加上本人,共有六个人。
主要是谈谈即将举家迁到台北的陈培初君,想为他开个欢送会。
培初君生性乐天主义者,近来却掉进失意的谷底,我们为了欢送惜别这位老伙伴,不惜聊了整夜。
宴会后,大家讨论起有关新公司组织的话题,正好河崎又一氏来,就可以了解当局的许可方针。
这小企业的竞争对手的两杨(杨金城、杨万福)一派是旧商人,是为了目的不择手段之辈。
我方的结论,为我们一伙人的名誉,必须排除对方,此经营权非得手不可。
大家主张正面进攻,推派代表,直接找郡守接洽才是对策。
我们同志在精神上、经济上,都得强调坚固的同盟之必要。
近午,为了治疗眼疾远赴东京的王乌硈先生已返台,特地来访。
在顺天堂【1】接受治疗时,过程良好,但是因为西港组合医院之事,急着赶回来。
他已约定于中午在酒配销所吃午餐,于是和徐清吉、陈清汗两位同去聚会,顺便听听王先生对组织新公司的意见。
他表示对原料来源之供应,有点不安之虑,但大体上表示赞同公司之成立,并表示最好的方法是直接说动郡守,我就请他尽力协助。

【注】
【1】顺天堂:其历史可溯及1838年开设于东京的荷兰医学学校,为日本最早传授西方医学的学校,迄今有多间附属医院,此处指的应是东京的本部医院。

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