吴新荣日记>19410503
数日来、食饵性下痢と荨麻疹に恼まされてゐた。
一层何处かへ行って一休みしようと思ってゐた所だ。
05月に入ってから精神的に物质的に支払ふべきものは皆支払ってしまった。
お荫で出纳簿には一钱も残ってゐないので、总ては再出发の样な形になった。
この再出发の为めに、何处かへ行って一休みしようと思ってゐる所だ。
それで昨夕は丁度六甲の车が来てゐるし、台南から昭癸兄も来てゐるので、一绪に六甲へ行くことになった。
六甲は一ヶ年以上の久し振りなので、岳母と昭川兄と色々な事を欢谈した。
晚餐后、昭癸兄と台南に行き、今朝早く佳里に归へる为めに彼の宿舍に泊まった。
今朝初发の车で归って来たら思はざる雨に出逢った。
晚には数日前、海南岛から归って来た石锡纯君が来访したが、后に共に绫部郡守を访ねた所、不在であった。
それで共に酒仲卖所へ行ったら、徐清吉君の他に河崎又一君と郭水潭君がをったから、酒菜を呼んで久し振りに语ることになった。
今夜は别に话题に出なかったが、石锡纯君を中心とする一派と方沁氏を中心とする一派が共に郡下の制油事业を计画してゐるものであった。
石派は郭秋煌、李耀干、郑国浈の他に、自分を引き入れようとしてゐた。
又方派は徐清吉、陈清汗、黄庚申、叶向荣等の他に自分をも加へようとしてゐた。
而して石派には经济的背景の确实性と经营的理论の优秀性があるが、方派は党派的紧密性と青年的飞跃性があった。
吾々は周缚、杨万禄、杨金城等の周派を[に]强固的に反对する为めには、石派と方派の连携を策ねばならない。
几天来,被食饵性下痢和荨麻疹弄得很懊恼,真想找个地方,好好休息一下。
进入05月份,精神上、物质上该支付的都已付清。
结果出纳簿一毛不剩,只好重新出发。
为了重新出发,想先到甚么地方休息一下,充充电。
正好昨晚六甲那边开车来了,而昭癸兄也由台南来了,就决定一起到六甲去。
已差不多一年未曾到六甲,和岳母、昭川兄谈得很愉快。
晚餐后与昭癸兄同赴台南,为了今晨能早些回佳里,就住在他家。
今朝坐上第一班早车回佳里,正遇上一场雨。
晚上,数天前从海南岛回台的石锡纯君来访,一起去拜访绫部郡守,正巧不在,就一起到酒配销所。
除了徐清吉君之外,还有河崎又一君和郭水潭君,叫来酒菜,好好聊一聊。
今夜没什么话题,谈到以石锡纯君为中心的一派和方沁氏为中心一派,同时在规划郡下的制油事业。
石派除了郭秋煌、李耀干【1】、郑国浈之外,也计画把我拉过去。
又,方派有徐清吉、陈清汗、黄庚申、叶向荣等之外,也想起把我拉进去。
不过,石派有确实的经济背景以及优秀的经营理念,而方派则有党派的紧密性和年轻人的干劲。
我坚持反对周缚、杨万禄、杨金城【2】等周派,因此一定要和石派、方派连手为策。
【注】
【1】李耀干(1910-1977):台南县新营市人。
台南州立台南一中、日本九州医专毕业。
日本久留米医大医学博士。
1940年起,于新营市开业明眼堂眼科医院。
1968年应聘担任台湾省政府参议。
1972年当选国民大会代表及应聘担任中华医专校长。
亦曾历任过公医、台南县医师公会常务理事学术部长、新营区分会长。
【2】杨金城:台南县佳里镇人,实业家。
