吴新荣日记>19410428
开山神社新筑参拜。
“国姓爷合战”参观。
数日来、降ったり昙ったりして暑くもなく寒くもない天气であった。
春の01日の行乐としては适当な日だと思って、一族揃って开山神社参りに行った。
即ち妻子合せて七人の大势であるが、又未曾有の同道でもあった。
自分は小さい时から无目的に南鲲鯓庙を敬い、妻は同じく赤山岩寺を信じてゐた。
然し今日开山神社に参拜したと云ふのは民族的意义からも国家的意识からも目的があったからだ。
南鲲鯓庙の道教的にして、赤山岩寺の佛教的に对して、开山神社には英雄崇拜、祖先崇拜の意味に于いて、吾々の[が]最とも信仰すべきであると思ってゐるからだ。
又开山神社は政府から祭られ、今度神社を新筑したから、吾々は当然その庙貌を拜观する光荣を得たいからだ。
午后四时のバスで行ったが、台南に着いて先づ王乌硈先生の留守宅を访ねた。
それから伡三台に分乘して开山神社に至り、一先づ旧殿を参观してから新殿に参拜した。
然し只惜むらく基谟[规模]は小さく、そして旧殿ほどの庄严さも感じないことだ。
それは敷地の关系もあるだらうが、树木が[を]もっと植えたら又相貌が变って来るでせう。
その点を见ると佳里の北门神社は基谟[规模]は小さくても背景が良かった为めに、非常に立派に见えた。
参拜后、黄平坚君经营の天乐茶庄へ行って晚食を摄り、それから世界馆へ行って“国姓爷合战”を观览した。
日本近古の剧作家近松の原作であるが、映画としては高く评价することが出来なかった。
映画を[が]济んでから雨の中に王宅に归って泊った。
参拜新筑的开山神社【1】。
看电影“国姓爷合战”【2】。
几天来,都是时阴时雨,不冷不热的天气,是春天行乐的好日子,遂带全家到台南开山神社参拜,加上妻子,声势庞大的七人,却也是首次的同行。
自小我就毫无目的的崇敬南鲲鯓庙【3】的神明,而妻子信奉的是赤山岩寺【4】的佛祖。
而今日要参拜开山神社的目的是,因为民族的意义及国家意识。
南鲲鯓庙属道教,赤山岩寺属佛教,我想开山神社是英雄崇拜及祖先崇拜,是我们最值得信仰的。
又,开山神社是由政府祭祀。
由于这次神社的新建筑落成,我们当然希望有这份荣幸来看看神社的新面貌啦。
于是,下午四点坐巴士到台南市,先到王乌硈先生家看看,之后分成三辆人力车到开山神社,先参拜旧殿,再参观新殿,可惜的是规模太小,而没有旧殿之庄严,可能是限于建筑基地太小,如果多种植一些树木,应可以对风貌有所改观。
反观之,佳里的北门神社规模虽小,而背景宏伟,非常壮观。
之后到黄平坚君的天乐茶庄吃晚饭,再到世界馆【5】看电影“国姓爷合战”,是日本近世的剧作家近松【6】的原作改编,电影评价不高。
散场后,雨中到王宅住宿。
【注】
【1】开山神社:原称“开山王庙”或“开台王庙”。
清光绪帝谥封郑成功为延平郡王,福建巡抚沈葆桢扩建旧宇,改称“明延平郡王祠”。
明治30年(1897)改称“开山神社”。
战后恢复旧称“延平郡王祠”。
【2】国姓爷合战:原著者近松门左卫门之书名为《国性爷合战》。
后人改名为《国姓爷合战》。
【3】南鲲鯓庙:台南县北门乡“南鲲鯓代天府”。
庙址在北门乡鲲江村蚵寮,主祀李府、池府、吴府、朱府、范府五府千岁。
本庙原创建于南鲲鯓屿,清嘉庆22年(1817)始迁建桄榔山虎峰今址。
土地面积十九公顷。
信徒遍布全台各地。
【4】赤山岩寺:即赤山龙湖岩。
位于台南县六甲乡七甲村赤山之麓,距林凤营车站约里许。
赤山龙湖岩位于龙湖村,创建于明永历19年(清康熙4年、1665)间,由郑氏参军陈永华所倡建,相传陈永华登赤山,闻钟鼓诵经之声,遂建庙于此,命名为赤山龙湖岩,奉祀观音菩萨暨延平郡王郑成功。
【5】世界馆:应指“世界座”,在台南市田町,所有者为古矢纯一,经营者为矢野嘉三。
【6】近松:近松门左卫门(1653-1724),《国性爷合战》为其1715年完成的作品,内容以郑成功反清复明的史实改编。
