日本ニュース 第46号
1941年(昭和16年)4月23日
[1]閑院元帥宮殿下アトリエに御成り 01:09
閑院元帥宮殿下には4月16日、滝野川の北村西望氏のアトリエにおなりあそばされました。殿下が参謀総長宮として皇軍ご統率の大任にあたらせられた御高徳をしのび奉り、陸軍参謀本部大本営陸軍部に奉職する将校全部が殿下の御銅像献上を願い出たところお許しになり、爾来(じらい)、半歳にわたり北村氏が心血を注いで献作を続け、このほどようやくその原型ができあがりました。御馬上颯爽(さっそう)たる御銅像の原型を御覧あそばされ、殿下には部下の真心をことのほかお喜びあそばされました。
[2]感激の対面へ遺族列車は走る 01:31
興亜の礎と散った護国の英霊よ安かれ。聖戦下七度迎える靖国神社臨時大祭も迫り、遺族を乗せた列車は海山はるか北から南から東京へ、九段へと走り続けている。
じっとつぶったまぶたに浮かぶは、今は亡き父や夫、兄、弟の面影。もうすぐに晴れの対面ができるのだ。この喜び、この感激に遺族達の面は輝いている。心ははや東京へ。思いは靖国の社頭へ。轟々(ごうごう)たる車輪の響きをのせて感激の遺族列車は走る。
[3]海軍航空部隊浙章線援蒋路粉砕 01:57
我が海軍航空部隊は連日の快晴を利して浙江省浙(せっ)かん線援蒋路の徹底的爆撃に縦横の活躍を続けていますが、嶋田支那方面艦隊司令長官は当基地に海の荒鷲を親しく訪問、勇猛果敢なるこれら勇士を激励、その労をねぎらいました。
今日もまた浙(せっ)かん線の要衝へ、鵬翼(ほうよく)を連ねて我が海の荒鷲は出動。目指す開化·江山の上空に迫る。
時はよし、一斉に放つ巨弾の雨。敵軍事施設を次々に爆撃し、濛々(もうもう)たる黒煙とともに援蒋の策源地は徹底的に崩壊。抗日陣営の動揺は日を追って激しさを加えています。
[4]松岡外相晴れの伯林着 03:07
硝煙と狂乱うずまく動乱のうちから、輝かしい明日の世界を建設せんとする重大使命を担った松岡外相一行は3月26日夕刻、歴史的なベルリンへの第一歩を記(しる)した。この日、アンハルター駅は雄渾な大日章旗とハーゲンクロイツの旗にうずめられ、リッペントロップ外相以下政·軍·党首脳、我が大島大使以下各国外交団がキラ星のように居並び、幾度か外国の巨頭を迎えたこのホームとしてもかつてなき大歓迎陣が敷かれている。暮れ行く盟邦春の夕べ、和やかにも印象深き歴史的な一瞬であった。
在留邦人の人群(ひとむれ)が大群衆にもまれている。沿道には十重二十重のベルリン市民が遠来の盟邦外務大臣に歓呼を浴びせんとして押し合っている。この時、市電もバスも運転を中止、商店は店を閉め、歓迎の真心を示している。この熱声は同時にまた、重大な戦局を控えたドイツ国民が運命をともにする日本国民へ呼びかける熱意の表れでもあろうか。
松岡外相はリッペントロップ外相と肩を並べて、自動車は駅前からウィルヘルム街に出て、ウンター·デン·リンデンを勝利の大通りへ回る。市民の歓呼の声は日独外相の車を包んで追いかける。
かくて沿道に渦巻く「松岡万歳」「日本万歳」「三国同盟万歳」の声の中を一行は宿舎ベルヴェ宮へ入った。
明けて27日午前、リッペントロップ外相との第1回会談をもって、全世界注視のうちに活動を開始した松岡外相は同日午後、総統官邸にヒトラー総統を訪問。官邸内庭に整列する親衛隊、儀仗兵の礼を受けて、官邸(ここで映像中断)
