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日本ニュース 第43号

1941年(昭和16年)4月01日

[1]畏くも大元帥陛下陸航士卒業式に行幸 02:13

陸軍航空士官学校第54期生徒卒業式は、かしこくも天皇陛下の行幸を仰ぎ奉り、3月28日埼玉県豊岡の同校において厳粛にとり行われました。この日、狭山原頭燦(さん)たる新葉に映えて、快晴の飛行日和。仰げば一段高き玉座に凜然(りんぜん)たる陛下の御英姿を拝して、寺倉校長の指揮刀一閃(いっせん)、陛下親臨の光栄に勇み立つ卒業生は、晴れの御前に妙技を展開。

終わって、陛下には御少憩の御后、卒業証書授与式場に親臨あらせられました。

かくて陛下には陸の若鷲練武のこの地に、かしこくも「修武台」の御命名を給い、修練に一段の力を注げよとの御叡慮を示させ給う。学校当局、県民を挙げて皇恩の浩大に恐懼(きょうく)感激し、いよいよ銃后の奮闘を固く、固く誓い奉りました。

[2]波荒き洋上に巣立つ海の精鋭 01:44

海軍兵学校第69期生、晴れの卒業式は3月25日、かしこきあたりより御差遣の久邇宮朝融王殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ、及川海軍大臣、新見兵学校長、日比野呉鎮守府長以下臨席の下に行われ、感激にむせぶ優等卒業生6名に対して、恩賜品を御下賜あそばされました。

晴れの卒業式を終わった卒業生一同は、ここに憧れの士官服に身を固め、あっぱれ士官候補生となります。

親しく教えを受けた教官に、懐かしの学友に、また父や母、兄、弟に別れの挨拶を交わす。送る者、送られる者、ただ感激のひとときであります。

かくて若き士官候補生は波荒き洋上に颯爽(さっそう)と乗り出し、試練の航海につきました。海国日本を背負って立つ海の精鋭に栄光あれ。

[3]和平の光明輝き還都一周年の慶び 01:06

新生国民政府が和平反共の大旆(たいはい)をかざして、南京に還都して以来、たゆみなき建設、ここに満一年、南京還都一周年記念祝典は春たけなわの3月30日、2億民衆の心からなる歓喜のうちに、盛大に挙行されました。慶びの首都南京では記念典礼をはじめ、数々の慶祝行事が繰り広げられ、式后、汪主席は中央軍官学校における国軍閲兵式に臨み、第1方面軍総司令、任援道(にんえんどう)将軍の指揮する首都警衛旅学生隊と3千の精鋭部隊を閲兵、たくましい建国絵巻を展開しました。

かくて南京の慶祝気分は最高潮に達し、汪主席以下僚下一心、建設第2年への決意を新たにしました。

[4]米国海軍の新兵大量生産 01:19

ここはロードアイランド、ニューポートの水兵訓練所。午前5時半、鳴り渡る起床ラッパとともに、お尻をたたかれてベッドから目を覚まします。軍拡に狂奔するアメリカが今度両洋艦隊の整備のため新しく30万の水兵を養成することになり、これはその第1回の募集兵で、毎月8800人の志願者が集まって来ます。

アメリカで最も古い練習艦コンステレーション号で、デッキの掃除をみっちり仕込まれ、水兵第一課から始まって、2ヶ月たつと一人前の水兵さんとなって卒業するという、超スピードの速成水兵ができあがります。

果たしてこの速成水兵さん、どこまでお役に立つか。ともあれ、アメリカが軍拡へ、参戦へと驀進(ばくしん)する一端を知ることができます。

[5]海豊縣城奇襲援蒋ルート覆滅 01:23

南支沿岸一帯にわたり、大規模な奇襲上陸を敢行した我が軍は3月24日未明、海豊県城をめがけて汕尾西方海岸より無血上陸を行いました。コジマ、コバヤシ、クラバヤシ、モリズミらの精鋭は意気軒昂(けんこう)、電撃的に、海豊汕尾航路を進撃しました。

付近にいた住民は無辜(むこ)の領民を傷つけぬ我が軍を信頼して一人も逃げず、厳然たる皇軍の勇士を見送っています。

海豊はこの地方の政治の中心で抗戦4年、いたずらに抗日気勢を挙げておりました。我が軍の市内掃討によって弾薬1万発、小銃数百、拳銃、機関銃を鹵獲(ろかく)。さらにガソリン、セメントなど抗日拠点成都行きと記されたアメリカ、イギリスからの援蒋物資多数を押収しました。かくてこの地方の援蒋輸血路は完全遮断され、抗日にあえぐ重慶政権に大鉄槌を加えました。

[6]いよいよ始まった国民学校 02:27

04月01日から全国の小学校が一斉に国民学校となり、国民教育の制度と内容が改善刷新されました。この国民学校の目的は教育勅語の御趣旨を奉体(ほうたい)して、報国の道を修めさせ、忠良な日本国民を育てることです。改善の画期的な点は義務教育年限を8年制とし、国民、理数、体錬、芸能、実業の5課を設けて国体に対する信念を確立し、合理創造の精神を養い、剛健な心身を鍛錬し、情操と技能を醇化(じゅんか)し、産業報国の実践力養成を期した点であります。ではどんな風に勉強しているか、その教室をのぞいて見ましょう。

(先生)「今日は皆さんにきれいな絵を見せてあげましょうね。」

「あ、きれいだなあ。」

「あ、桜が咲いてらあ。」

「体操だ。」

(先生)「これは何をしているところの絵でしょう。」

「体操!」

「ラジオ体操!」

(先生)「そうそう、ラジオ体操ですね。ラジオ体操をやるときには何ていいますか?」

「1、2、3、4、5、6、7、8。」

「そうですね。大変お上手でしたね。今日はその半分、もっとながーく、しっかり『いーち、にー、さーん、しー』。言ってみましょう、はい。」

「いーち、にー、さーん、しー。」

(先生)「そう、お上手ですね。たかあきちゃん言ってごらんなさい。」

「いーち、にー、さーん、しー。」

(先生)「はい、上手ですねえ。じゃあさこだくん言ってごらんなさい。

「えーち、にー、さーん、しー。」

「『えーち』じゃなくて、もっと歯をつけて『いーち』と言ってごらんなさい。」

「いーち、にー、さーん、しー。」

「そう。そう上手ですねえ。」

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