年月日:1941:19410310:19410310-h-roc-s27-006-吴新荣日记



吴新荣日记>19410310

佳里恳话会发会式。
夕方、台南から郭秋煌君、林衡权君等が来たので西美楼で饭を食べることにした。
往诊などを[が]济んで行って见ると、仲田商工主任の他に、郭水潭君、邱添宝君、蔡连从君、陈穿君、庄培初君等が集まってゐた。
主に产业组合关系の者であるが、殆んど我が事业の友人であったので面白く饮んだ。
やがて终发バスが出るので、郭秋煌、林衡权两君を台南へ送った后、自分は公会堂へ赴いた。
今日陆军记念日を卜して、佳里在住の有志が集って恳话会を组织すると云ふのである。
七时半から开会して、集ったものは郡役所の干部连、制糖会社の干部、小公学校长、医齿医师、代书业者、协议会员、信用组合干部、保正其他を合せて三十何名あった。
先づ规约审议の时、二、三の问答があったが、すぐ宴会に入った。
国策に副ふて地方振兴の为めに研究し、并せて会员の亲睦を图るという目的であるが、结局饮み会に终るだらう。
而して饮み会なるが故に吾々は古闲小学校长、高山公学校长、山形邮便局长、平柳老等(と)交欢した。
终って第二次回[会]として李荣阶、谢得宜两君と主体になって富士阁に赴いた。
集まって下れる者は肥后庶务课长、近藤工场长、高街长、郑组合长、森助役等の要人格であった。
而して彼らが要人なればこそ时间外迄、饮み通して、一时过ぎになり、实に久し振りの豪饮であったが、体は案外平气であった。
佳里恳谈会创会。
傍晚,郭秋煌君、林衡权君从台南来访,就带他俩到西美楼吃午饭。
外诊结束之后,赶过去一看,除了仲田商工主任之外,还有郭水潭君、邱添宝【1】君、蔡连从君、陈穿君、庄培初君都在场。
主要的都是产业组合相关人员,也几乎都是我事业上的友人,所以就高高兴兴地喝了些酒。
不久,因往台南最后一班的巴士的搭乘时间到了,送走了郭秋煌君、林衡权君之后,我自行到公会堂去了。
今天是陆军纪念日,于是聚集住在佳里的有志之士,组织一个恳谈会,七点半开始开会。
到会者有郡役所的干部、糖厂的干部、小学校及公学校的校长、牙医、医师、代书业者、协议会员、信用组合干部、保正等等,总人数约三十多人。
首先在规约审议时,回答两三个提问之后,马上开始宴会。
本会主要是为了地方的振兴,其次是为了国策,而进行研究讨论,并谋求会员之亲睦为目的。
结果还是落得变成饮酒会。
席上与古闲小学校长、高山公学校长、山形邮便局长、平柳老等饮酒交欢。
散席后以李荣阶【2】、谢得宜两位为主体,到富士阁继续第二次聚会,加入者有肥后【3】庶务课长、近藤工场长、高街长、郑组合长、森助役等人。
因为这些是要人们,才得以通融营业时间之限制,喝到午夜一点多。
好久以来未曾如此豪饮,身体没有任何不适。

【注】
【1】邱添宝(1901-?
):台南县七股乡笃加人。
台中商业学校毕业。
曾任七股庄协议会员、七股庄助役。
【2】李荣阶:或写“李荣凯”、“李荣楷”,台南县麻豆镇人。
于佳里镇开业之西医师。
娶日妇。
二二八事件后,逃亡日本。
【3】肥后:即肥后武夫。

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