吴新荣日记>19410209
昨晚、长荣中学で旧友戴明福君と少し语った后、胧月の下をトボトボと町の方へ步いて归った。
淋しい郊外であるが、久し振りのハイキングなので乐しかった。
大东门を通って狱帝庙の小通りを拔け、古き府城の气分を满吃した后、翁朝喜君の家に辿り付いた。
小憩后一绪に出て松竹で晚饭を食べようとしたが、数日来の食欲不振で惜むらく佳肴美酒もどうすることが出来なかった。
昨夜、春の宿で河崎又一、陈穿、黄清泽三君と一绪に饮んだときも腹がすぐ膨れ、骨が痛み出した。
今度もこれと同じ症状を起したので奇珍の宅に归って寝た。
体は已に坏し[れ]たのだと、つくづく悟って今后の生活方式に多大の变化を要すると感じた。
昨晚在长荣中学,与旧友戴明福【1】君聊了一阵子后,在朦胧月下拖着沉重的步伐走向市街,路上冷冷清清的,好久未曾这样散步了,很愉快。
经过大东门,穿过狱帝庙【2】的小路,感受满怀的古老府城的气息,就这样地,走到了翁朝喜君的家。
小憩后两人一起到松竹吃晚饭,几天来的食欲不振,面对美酒佳肴竟毫无胃口。
昨[前]夜在“春之宿”,与河崎又一、陈穿、黄清泽三君一起喝酒时,也是腹部饱涨,骨头酸痛。
这次也是同样的态状,就回奇珍住宅倒头便睡,沉痛地了解到这身体已被弄坏了。
今后的生活须要很大的改变才可以。
【注】
【1】戴明福(1909-1992):高雄县内门乡人。
为吴新荣就读日本金川中学校之同学(五年级),也是室友。
曾任台南市私立长荣中学数学教师、长荣中学校长。
吴新荣六子中五人均在长荣中学接受教育。
于《震瀛追思录》中,回忆与吴新荣生活在一起的情形,描写得生动且详细。
【2】狱帝庙:东狱殿(狱帝庙)一带旧称元会境,清代以来此地士绅汇集,相传“元会“可能由“员外“一词转音而来;
东狱殿与府城隍庙毗邻而居,是台南两座著名职掌阴司的冥府,因此周边以超渡法事、民俗信仰等民生相关的产业特别兴隆。
狱帝庙前汇聚了数家雕刻、刺绣、香铺、佛帽、锡器、饼铺等行业。
