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吴新荣日记>19410127

东医学士会台南に于いて开かる。
昨日、郭水潭君が佳里信用组合の监事に指名されたから、官厅当局へ挨拶へ行く必要があると云はれた。
それで今朝先づ劝业课へは、
郡守
劝业课长
商工主任
を访ねた所、仲田氏以外は不在であったので午后に回した。
次に警察课へは、
警察课长
内勤主任
高等主任
等を访ねた所、鲤渊氏は非常な好意を以って、事の余り迟きを语った。
午后四时、东医学士会へ赴く为めにバスで台南へ行った。
先づ台南医院に入院してゐる王乌硈先生を见舞いに行った。
26日の晚、佳里から贵岛氏宅へ行った归りに、急に左眼の失明を感じたとのことだ。
检查した结果、视野の极度の狭窄であるが、病名が又[未だ]分からないとのことだ。
病院から出て、すぐ会场の招仙阁へ行った。
集まったもの二十七名であって、例年よりは少ないが、それでもよく集まったと思った。
然し、例のよき连中が殆んど来てゐないのはいささか淋しかった。
会后、吕成宝、陈少煌、陈惟罴、郭炳煌诸君を松竹に招待して第二次会を催した。
序でに毛昭癸君も呼んで来たので、会后彼の宿へ行って泊まることになった。
在台南举行东医学士会。
昨日,郭水潭君告诉我有关佳里信用组合被指名任监事一事,有必要向官厅当局拜会致意,因此今天早上先到劝业课拜访:


劝业课长
商工主任
但除了仲田氏外,都不在,故下午得再走一趟。
其次到警察课拜访:
警察课长
内勤主任
高等主任
鲤渊氏非常好意地说:早就该指名。
下午四点,为了参加东医学士会,搭乘巴士到台南。
先到台南医院探视住院中的王乌硈先生。
他是在26日的晚上,从佳里的贵岛氏宅出来,于回家的途中,忽然觉得左眼失明。
检查的结果,视野极度狭窄,尚不知病名为何。
离开医院,直奔会场招仙阁。
与会者二十七名,比例年略少,也算不错了,但一些同伙几乎都没来,心中有些失落感。
会后招待吕成宝【1】、陈少煌【2】、陈惟罴【3】、郭炳煌诸君到松竹继续第二次聚会,顺便找毛昭癸君来参加,会后就在他家住一晚。

【注】
【1】吕成宝(?
-1964):为吴新荣就读东京医专之学弟(低二班),亦是吴氏发起成立的旭翠会会员之一。
曾于塭仔内开业,之后移白河开业。
于白河大震灾(1964年1月19日)前已患“脑中风”,震灾不久即过世。
【2】陈少煌:吴新荣就读东京医专的学弟(低一班)。
【3】陈惟罴(1906-1975):麻豆庄(小埤头)保正陈振明哲嗣。
州立台南二中、日本东京医专毕业。
吴新荣东京医专低一班的学弟。
曾在麻豆、学甲等地为开业医师,1936年迁址高雄弥陀开业,终老于冈山。

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