吴新荣日记>19401028
“民族の祭典”を见る。
昨夕五时半のバスで台南へ行った。
台南は文化の古都である。
そして又我が心の故乡である。
今度は独逸の宣传映画“民族の祭典”を见る为めである。
同伴する筈の徐清吉君が都合で行かれなかったので独りで行った。
然しバス内で北门の王茂君に遇ひ、世界馆で沤汪の黄清舜君に出会った。
前者は北门庄唯一の文化人とすれば、后者は将军庄唯一の文化人である。
彼等も独りで同じくこの映画を见に来たのである。
吾々は前日见た佛兰西映画“美しき争ひ”を见て感伤し、今日はこの独逸映画“民族の祭典”を见て感激した。
第二次欧洲大战に于いて独逸の感激的な胜利と佛兰西の感伤的败北と好一对である。
この映画はオリンピクの记录だけあって见る价值があった。
そして名前の如く实に多民族が集まって竞技する国は伟大である。
わけて黄人种も黑人种も白人种に负けない体质を持ってゐることは心强いことである。
特に日本人が跳跃にマラソンに荣冠を取った瞬间は、泪がこぼれさうである。
これに依りて吾々は何时の间にか完全な日本人としての分子が我が身に入へてゐることが分った。
映画から退いた后、帝国商事へ行ったら黄奇珍君は台北へ出张したとのことだ。
黄百禄君に电话したら高雄から未だ归って来てゐないとのことだ。
陈清汗君も不在なので、翁朝喜君を呼び出して晚食を食べた。
后で吴加[嘉]思叔と薛宗君に出会った。
两人とも久し振りだったので又一绪に西市の盛场へ步いた。
そして四果茶と大草虾を食べた。
今朝早い内に起きて初发のバスで佳里に归って来た。
佳里では台南の如く台湾神社祭でお祭り气分が横溢していた。
午近くになって小学校の儿童が御舆をかついで来て、门前で万岁を三唱した。
町では二、三个所しかさう云ふことをしないから、当然の礼仪として金拾圆を包んでお礼にした。
午后将军へ归って风害修缮の终了を见た。
佳里のと合せて约二百五十圆の费用である。
晚、酒仲卖で清吉君、仲田氏、河崎氏と七面鸟を杀して素奇烧をした。
久し振りの会饮で皆醉ひさうになった。
看电影“民族的祭典”。
昨夕坐五点半的巴士到台南去。
台南是文化古都,又是我心灵的故乡。
今天就为了看德国的宣传电影“民族的祭典”。
约好徐清吉同来,但因有其他的事情,我只好自己来。
在巴士上见到北门的王茂君,在世界馆也遇到了黄清舜君。
前者是北门庄唯一的文化人,后者是将军庄唯一的文化人,他们也都是独自一人来看这部电影。
前天的法国影片“美丽的战争”使人感伤,今天的德国影片“民族的祭典”则令人感动。
第二次欧洲大战中,德国的感动的胜利,与法国的感伤的败北,成了强烈的对照,这部影片是奥运会的记录,值得一看。
正如片名,有许多不同的民族齐集竞技的国家,真是伟大。
不分黄种人、黑人,也都有不输给白人的体质,令人增强自信。
尤其日本人的跳远、马拉松得到荣冠的瞬间,让我几乎掉泪。
由此可见,我们已在不知不觉中将自己当做日本人的一分子了。
走出电影院到帝国商事,黄奇珍君出差到台北,不在家。
打电话给黄百禄君,他去高雄还没回来。
陈清汗君也不在,就找翁朝喜君出来吃饭,遇到了吴加[嘉]思叔和薛宗君,好久未见了,就一起散步到西市场的沙卡里巴。
吃了四果茶和大草虾。
今晨一大早起床,坐第一班车回佳里。
佳里就像台南,因台湾神社【1】祭而到处洋溢着一片热闹气氛。
近午,小学校的儿童抬着神轿到了门前,高喊三声万岁。
街上只有两三个地方是这样的,所以礼仪上当然包了拾圆的红包,以示答谢。
下午回将军看看屋子修缮的结果,和佳里的修缮合计花了二百五十圆。
晚上到酒配销所和清吉君、仲田氏、河崎氏杀了火鸡做寿喜烧。
多日以来的第一次聚会,大家都喝到几乎醉倒。
【注】
【1】台湾神社:位于台北剑潭山(圆山)中腹。
供奉日本神明大国魂命、大己贵命、少彦名命及能久亲王。
1899年建造。
1901年10月28日举行大祭,为日治时代台湾总镇守之神明。
战后改建为圆山大饭店。
