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吴新荣日记>19400820

南の古都に一夜を过すことは自分の永年の心の粮だ。
この心の粮を充さん为めに一昨日、台南へ行く计画があった。
然し旧历の07月15日と云ふので、“普渡”“孝门口”等がある为め遂に中止した。
それで徐清吉、叶向荣两家族を招待して一夜の欢を尽した。
徐夫人だけは来なかったが、丁度陈穿君も来たので一时は赈はした。
翌日即ち昨日は台湾新民报社台南支局长林衡权君と陈培狱[岳]、庄培初两君が来访した。
一绪へ[に]台南へ行こうではないかと诱はれたので、午后七时のバスで台南へ行った。
林君は东京时代から自分の名前を知っていると云ふので特に怀しかった。
台南に着いてすぐ郭秋煌君を访ねて麻雀を一胜负することになった。
盖し郭君は何时も憎れ役、友人は谁でも彼と输赢したいからだ。
战の最后まで郭君は一人负けだったが、彼恶运强し、遂に北环北に数回连庄して一人で胜ったのだ。
お腹もすいたので、负けた人は松竹へ招待することになった。
然し最近はビールを制限してゐる上に十二时迄严守と云ふので、小半时を饮んだ后引き上げた。
元は太平生命台南出张所の二阶で彻夜して再战する计画だったが、余り疲れたので遂止めた。
自分は林君の好意で新民报社に宿ることとなり、又そこで彼の弟と培狱君等四人で今朝の三时迄饮み语った。
能在南部古都过一夜,是我长年的精神粮食。
为充足这精神粮食,前天就打算到台南去,然而正是旧历07月15日,要“普渡”【1】和“孝门口”,就取消计画了。
于是招待徐清吉、叶向荣两家族来家里,以尽一夜之欢。
徐夫人没来,正好陈穿君来了,一时热闹起来。
隔天,也就是昨天,台湾新民报社台南支局长林衡权【2】君和陈培岳、庄培初两位来访,邀我一起到台南去,就搭下午七点的班车去了。
林君说早在东京时代就知道我这个人,使我感到亲切。
到了台南,先到郭秋煌君家打一场麻将。
友人都想赢郭君,但郭君总叫人憎恨。
不过今天他噩运临头,最后一人独输。
肚子饿了,输家到松竹花钱请客。
最近啤酒的配给受限,加上营业时间限制在十二点,只喝了半小时就走了。
本来想到太平生命保险台南分所的二楼打通宵,因过分疲劳,只好作罢。
因林君的好意,到新民报社住一晚。
在那边又和他弟弟、培岳君等四人,一起喝酒聊天,聊到今晨三点。

【注】
【1】普渡:即古代之盂兰盆会,俗称“普度”或“普渡”。
农历7月15日为中元节,各地宫庙均会举办“普渡”活动,其目的是为祭祀无人供奉的所谓“孤魂野鬼”,也就是俗称的“好兄弟”。
照台湾习俗的说法,农历7月1日称为“开鬼门”,7月30日称为“关鬼门”。
【2】林衡权(1908-1960):战争后期改名林克信,南投县人,父林崧雨。
台中一中毕业后,先后进入日本中央大学豫科、法学部、大学院就读,专攻经济学。
并且活跃于东京台湾同乡会,担任常任理事职。
1935年进入台湾新民报社社会部服务,其中曾任高雄支局长兼任屏东支局长、台南支局长兼任嘉义支局长、台中支局长。

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