年月日:1940:19400611:19400611-h-roc-s27-006-吴新荣日记



吴新荣日记>19400611

曾祖父吴大の三子に吴玉瓒(祖父)、吴齐教、吴金敦が三房に分れて以来、世の变迁は实にすばらしいものであった。
この三房は第一次欧州[洲]大战后の大恐慌时代に一时的に破产状态に陷った。
その内、幸に叔父丙丁が医学校を出てから第一房を支へる样になった。
第二房は本成の无能に依って住居地と祖茔地のみ残すことになった。
第三房は三子とも立派に学校を卒へたが、彼等が社会に出た时、家は已に倾いてゐた。
然しそれでもどうにか现在はやって行けるが、第二房の本成は赌博と游荡[荡]の为めに今やその住宅地も祖茔地も将に他人の手に渡さうとしてゐる。
それで父上は叔父と相谈して苦んでもそれらの土地を引き受けねばならないことになった。
吾々は利害を无视して叔父と四千何圆の土地を买はねばならない理由は次の如しである。
一、本成一家の居住、生活、职业等に保障を与え得ること。
一、本成の住宅地は我が本家の旧宅で、自分の生家でもある。
一、本成の祖茔地は曾祖父母を葬むる所で第一房の所有に归するのが当然なること。
一、其他の土地(后壁园)等は缘故地で、他人に渡すことは耻辱であること。
一、吾等はこれら旧厝地、后壁园、口寮后等を取得することは、死人に对する慰めであるばかりでなく、生人の口に[を]も封じ得るのである。
欧洲大战も今度のイタリー参加に依っていよいよ本格的に扩大された。
これでドイツ=イタリー对イギリス=フランスの阵营が整ったわけだ。
ドイツ一国でさえあんなに败战续だったイギリス=フランス联合国は又イタリーの参战に依って、或は决定的な瞬间が来るとも限らない。
然し若しもトルコの参战が现实化すれば、或は几分か救はれるかも知らない。
もともと吾々はこの战争に兴味を持つこそすれ何れにも味方する气持ちがなかった。
开战当初は勿论ドイツの侵略的な霸道には不快な气持ちがあった。
然しドイツのあの电击的胜利はこの民族の必然的な飞跃だと见取ってから、吾々は宁ろ惊异な目で见直す样になった。
されど今度のイタリー参战は例へ军事同盟の义务履行とは云へ、その火事泥棒式には极めて不快な印象を受ける。
この上はアメリカの联合国援助はむしろ手ぬるいと云はざるを得ない。
アメリカは日本がドイツ=イタリーを[に]同情する以上にイギリス=フランスを[に]同情してゐるが、その参战が实现すれば战争の见透しは极めて困难である。
その间、极めて有利な地位に立っているのはロシヤである。
ロシヤは恐ら(く)最后迄参战しないだらうが、若しも参战するとすれば弱者の味方になるだらう。
その时は又日本の立つべき顷であるが、世界大战の完全な姿が现はれるであらう。
折しも本日、佳里街から佳里街防卫团救护班副班长に[を]委嘱してきたが、こんな地球の苦恼时代に独り吾のみ晏然たるを得ないと思ってゐるから引受けた。
勿论これは世界の如何なる微细の点に对しても贡献することが出来ないが、自分もこの时局的な一担当者として当局が认めねばならないことを满足するものである。
されど吾々はフィリッピンからインドシナから、又インドからアメリカを、フランスを、イギリスを追い出すことを热望することは他人に劣らない积りである。
それからと云ってドイツがヨーロッパを制霸し、その凶暴性的武力を以てアジヤを抗て付くことは嫌ひである。
曾祖父吴大【1】的三个儿子是以吴玉瓒(祖父)、吴齐教【2】、吴金敦分为三房。
随着世事的变迁,各自有可观之变化。
这三兄弟在第一次欧战之后的大恐慌时代,有一阵子陷于破产的状态。
在此情况下,幸好叔父丙丁从医学校毕业后,把第一房支撑住了;
第二房则因本成叔的无能,只留下了居住地和祖坟地。
第三房有三子,都堂堂正正地完成学业,但等他们出社会时,家道已中衰了;
虽然如此,现在尚能想办法维持。
第二房的本成叔好赌成性,游手好闲,看来住宅地和祖坟地终将落入他人之手。
因此父亲和叔父商量,无论有甚么困难,这些土地非留住不可。
我之所以无视于损益,和丙丁叔凑出四千多圆向本成叔收购的理由如下:
一、给本成叔一家居住、生活、职业有个保障。
二、本成的现住宅地是吴家祖厝,也是我的出生地。
三、本成名义的祖坟地,葬着曾祖父母,归第一房管理是理所当然的。
四、其他土地(后壁园)是血缘地,一旦归属他人,是吴家的耻辱。
五、取得这些旧厝地、后壁园、口寮后等地,不仅可以安慰死人,也可封活人之口。
欧洲大战,因意大利的加入,战区更形扩大。
由此,德国联手意大利来对付英国和法国,其阵营已明显形成。
只一个德国就让英法联军吃了败仗。
现在又加上意大利,说不定决定性的一刻就要来临了。
如果土耳其也参战,也许有几分助益也不一定。
本来我对此次的战事,只是有趣地观察推测,并未把自己归向那一边。
开战之初,对于德国的霸道侵略甚感不快,而后对德国迅雷似的胜利,我看出是此一民族必然的飞跃。
只以惊异的眼光来重新观察。
但看这次意大利的参战,虽说是履行军事同盟的义务,但给人的印象等于是趁火打劫式的,令人不快。
日本同情德国、义大利,美国则更同情英国、法国。
一旦美国参战,其结果极难以推测。
其间,站在最有利的是露西亚,露西亚也许到最后也不会参战吧。
但是如果一旦参战,露西亚会站在弱者的一方吧。
到时候是日本出头的时候吧。
世界大战的全貌将一切呈现出来吧。
恰在今日,佳里街方面委任我担当佳里街防卫团救护班副班长。
在此全球的苦难时代,不能唯我安然无事,也就答应照办。
此事对世界上的任何小事,也不能做出甚么贡献;
但在此时局中,能被当局认定我还可以担当时局的一角色,自觉很满足。
另一方面,从菲律宾、中南半岛、印度等地,把美国、法国、英国等势力赶出去,我跟任何人都同样热烈地期待着。
尽管如此,如果有一天德国称霸欧洲,然后以其凶暴性的武力来对付亚洲的话,则会令人厌恶。

【注】
【1】吴大:吴家第五代祖先,户籍登记为“吴大”,然神主牌位上写“吴汇大”。
【2】吴齐教(1873-1938):台南县将军乡人。
吴玉瓒之弟。
曾任沤汪区长、将军信用组合长。

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