吴新荣日记>19400420
陈邦贤着、山本成之助译《支那医学史》读了。
支那文化史大系《支那医学史》を读了した。
ほんの拾ひ读みで十分研究し得なかったのは残念だ。
それでも中国医学发达史の大略を知ることが出来た。
上古と中古は大体正常の发达をして来た。
然し近世になってから朝廷医学になり御用医学になって非科学的な方向に走した。
幸いに近代になってから政治的革命の影响を受けて、又正常の轨道に乘ることとなった。
然し将来は中医(汉方)が西医に对立することにあらずして中医が[を]西医的方法に依って研究しなければ独特な业绩が得られないであらう。
とにかく久し振りに单行本を读了してさっぱりした。
これから尚四册の单行を读んでしまってから、01月以来の《医事新报》を读み、これも济んだら昨年の09月以来の《中央公论》を读もう。
土曜日の晚でありながら淋しい晚だ。
徐清吉君を访ねて、来たる学校组合议员の选举に就いて相谈しようとしたら不在だ。
又郑国浈氏を访ねて信用组合のゴタゴタ事件を闻こうとしたらやはり不在だ。
次に江藤利男君を访ねて善行堂の幼稚园经营不许可に就いて闻こうとしたら同じく不在だ。
次に吴水君を访ねて同安寮の伤害事件に就いて和解させる样赖まうとしたら同じく不在だ。
最后に相原邮便局长を访ねて今年度の电话引迂を愿はうとしたが、この人だけ会った。
色々食粮问题や邮信问题を语って归って来た。
家に着いて见ると、妻子皆休眠して独りラジオが语ってゐる。
淋しいであるが静かな晚だ。
これから永井潜著《人及び人の力》を读破しよう。
读书のみ我を慰める友だ。
陈邦贤着.山本成之助译《支那医学史》读完。
读完了支那文化史大系《支那医学史》。
其实只是随便翻阅并未充分的研究,有些遗憾。
但略了解了中国医学发展的历史演进。
上古与中古大体正常的发展,但到了近世演变成朝廷医学、御用医学,走向了非科学的方向,幸好到近代受到政治革命的影响,又重归正常的轨道。
将来的中医(汉方)即使未与西医对立,中医仍需以西医的方法做研究,才能得到独特的业绩。
好久没好好读完整本书,心中颇感舒畅。
接着要读的是这四册的单行本,再读01月以来的《医事新报》【1】,读完后才看去年09月以来的《中央公论》【2】。
是周末的夜晚,也是孤寂的夜晚。
去找徐清吉君谈谈学校组合议员选举相关事宜,结果他不在。
然后去找郑国浈氏,想问他一些信用组合的纠纷小事,结果还是不在。
再去找江藤利男君,打听善行堂要开办幼稚园而未能得到许可的原因,还是不在。
再去找吴水君,想拜托出面和解同安寮伤害事件,又是不在。
最后找相原邮局局长,找到人了,请他帮忙今年度中安装电话之事,并针对粮食问题、邮信问题谈完后告别。
回到家中,妻小皆已入眠,只有收音机在讲话。
孤寂的夜晚。
就抽出永井潜【3】著《人与人力》来看。
唯有读书是我慰藉之友。
【注】
【1】《医事新报》:创刊于明治11年(1878年),爱知公立医学校发行,为日本最早之医学校专门杂志。
【2】《中央公论》:1899年由《反省杂志》改题为《中央公论》,发行迄今已一百年以上之综合性杂志,为日本言论界之重镇。
【3】永井潜(1876-1957):日本广岛县人。
生理学家、医学博士。
东京帝大医科大学毕业后,先后留学德国、英国、法国。
1937年3月东大教授退休后,转任台北帝大医学部部长。
1938年转赴中国北京大学,主持医学院,致力于中国人医师之培养。
战后返国。
著有《人生论》、《生命论》、《生物学与哲学之境界》等多种。
