吴新荣日记>19400219
张江淮君辞职す。
服部纯雄先生著《育英の父乃木将军》读了。
张江淮君が今度自分で商卖する为めに辞职することになった。
思へば开业以来殆んど八年间辛苦を共にして来た者である。
若しも吾等に多少なりとも成功してをるとすれば、彼に负ふ所も少なくない。
この功劳者が今去らんとする时に、吾等は彼も裕かな生活が出来るだらうと知ればこそ满足にも感ずる。
然し家族の一员の如く共に生活して来た者が去られると、やはり一种の淋しさが感ずる。
されど人事一新又は人心一变の为めに、吾等は新しい变化を要求し得ることが时ではないか。
これから总て新しい出发点に立ってやりなほさねばならない。
患者に对する态度、药局生に对する训练、药品に对する调节、收入に对する监查、等々。
今朝早起して恩师服部纯雄先生の著《育英の父乃木将军》を读了した。
先生は最后の一页に“私の教育しかすかにも独立を保てる我が我が学园の上に(玉木)文之进翁、(吉田)松阴先生、乃木(希典)将军等と、自然に流るゝ一脉の血管の生气を发して、愈々その仕事が静かに强く澄みわたらんことを祈愿した”と书いてゐる。
自分はこの一脉の血管に服部一木先生を加へて彼の清独な晚年を饰りたいと思ふ。
何故なれば、自分に恩师があるとすればこの服部先生と林茂生先生だけである。
后者は自分の思想の启开期の恩师に对して、前者はその发展期の恩师であらねばならない。
こうなったからには吾々は现状维持を甘受せねばならない。
何故なれば、吾々は已に手も足も出せないのだ。
药品、食料、日常用品の缺乏は吾々をして创造的意志を放弃せしむるものである。
吾々は已に创造から见弃てられたる以上、吾々は改造で我慢せねばなら(ない)ことになった。
それで当分の间はこの借屋の住人にならねばならないし、それに子供は段々增へる一方だから、せめて住间だけは扩大せねばならない。
それで本日大工を赖んで,この居间を全部座席[敷]に改造し、南星の勉强に适する样にした。
それから植木师を麻豆から呼んで来て白柚二株、レモン一株の接枝をして贳った。
これも一种の改造、即ち改良になくして何であらう。
张江淮君辞职。
服部纯雄先生著《育英之父乃木将军》读完。
张江淮君因要做生意,决定要辞去工作。
开业八年以来,一起辛勤工作,如果我有或多或少的成功,他给我的帮助不少。
一旦要离开,以后知道他能过得富裕的生活的话,我会为他高兴。
我们如同一家人共同生活了八年,一旦离开,总会有一阵寂寞之感。
为求刷新人事,振作人心,一切非站在重新的出发点不可。
对病患的态度、对药局生的训练、药品的调配、收入的监查等,都需重新调整。
今天很早起床,看完恩师服部纯雄先生所著《育英之父乃木将军》一书。
先生在最后一页写着:“在教育上,多少总保有独立的我,在我学园里,与(玉木)文之进【1】翁、(吉田)松阴【2】先生、乃木希典【3】将军等,自然地散发出血液中一脉的生气,祈愿其工作宁静、清澄而自强不息。”我希望自己在这一脉的血管中注入服部一木【4】先生,来润饰他清高孤独的晚年。
提到恩师,我只有这位服部先生和林茂生先生,后者是我思想的启蒙恩师,而前者则是我发展期的恩师。
事态既如此,我们只能安于维持现状,因为一切都被绑手绑脚。
药品、食品、日用品的缺乏,几乎会让我放弃创造性的意志。
我们既已被创造所遗弃,只好用改造来忍耐。
因此大概在这一段时间里,依旧是租屋的住户,然而小孩渐多,非把房间的空间扩大不可。
因而今天请来了木匠,将居间全改为和式,以适合南星的读书之用。
然后从麻豆请来植木师父,为二棵白柚和一棵柠檬接枝,这也是一种改造。
如果不算是改良,那又算是甚么呢?
【注】
【1】玉木文之进:日本幕府时代之汉学家。
吉田松阴之叔父,是玉木文之进的恩师。
【2】吉田松阴(1830-1859):幕府末年之志士、教育家。
为主张“尊皇讨幕、镇国攘夷”,而被幕府处死。
【3】希典:乃木希典(1849-1912):日本陆军大将、伯爵。
1896年任台湾总督,其母葬于台北。
1904年日俄战争时,任第三军司令,其两子战死于沙场。
1912年明治天皇逝世时,与其夫人自杀殉死。
【4】一木:服部纯雄先生之别号。
