吴新荣日记>19400211
花莲港に着く。
太鲁阁に着く。
こんな片田舍に迄游んで见たかったのは、同期の陈振祥君夫妇のその后の状态を见たかったからだ。
陈君等は东京时代割合に亲しかった一对であった。
然し昨夜七年振りに会って见ると、明理夫人は大分变ってゐた。
昔ほどの若さもなければ美しさもなかった。
然し振祥君は相变わらず畅气さうだから、思ひ出の为めに麻雀を一环やらうと求めた。
それで同郡出身の王海水氏ともう一人の中国人と一绪にやったが、胜败がなかった。
今朝起きて见ると、雨が降ってゐるのを知ってがっかりした。
それでもともかく花莲港迄行かねばならないので八时二十二分の急行机动车で上北した。
花莲港厅は一般的に台东厅よりよく开垦されてゐた。
或る所は内地の风景そっくりだ。
玉里を过ぎて十一时半に花莲港に着いた。
东部第一の港町で丁度旗日でもあるせいか何等活气があった。
然し知人朋友一人もないので、轻い昼食を摄った后、町を一巡してから东海バスで太鲁阁に向った。
太鲁阁は台湾の国立公园であるが、日本的に有名な所だ。
タロコホテル(雾立馆)に投宿することにして、日暮前を利用し太鲁阁峡を探胜した。
峡口で蕃妇と记念写真を撮った后、一人で奥へと步いた。
よく生蕃に出会ふが、台东の平地蕃と违って、こヽは高山蕃だから何んだか怖かった。
然し出会ふ每に“コンニチハ”と挨拶するから、やはり从顺らしい。
仙寰桥迄行った时、下に蕃童が大声を发し、举手して合图してゐる样だから下りて来た。
千刃の高峡、清丽の水流等は壮大なる景观であるが、自分にとりては惊く程のものでもなかった。
宿屋に归って一浴した后、お腹もすいたのでビール一本を拔き、白饭三杯を平げた。
それから妹や陈穿君にハガキを出した。
午过、花莲港で飞行便で家へ旅信を送り、南星や朱里等にも便信を送った。
思へば台东では厅协议会员の曾捷荣、王登科两氏と、唯一の法学士林源财君等の如き人物と会って来た。
然し花莲港ではタコロ[タロコ]峡、临海道路等の如き、山水を胜して来たし、又しようとしてゐる。
然し明日の临海道路はいささか不安である。
このスリルを味ひたいのはやはり现代人のせいか。
抵达花莲港/太鲁阁。
之所以想到此偏远乡下走走看看,是因为想看看同期同学陈振祥夫妇别后的样子。
我们两人在东京时代是很要好的同学,一别七年,昨夜才重逢的明理夫人已变了许多,没有上次见到时的那么年轻,其美貌也褪色不少;
而陈振祥君仍然像以前一样爽朗。
为了回忆往事,我提议玩一圈麻将,于是就找来同郡出身的王海水氏和另一个中国人,结果胜败不分。
早起一看,外头下着雨,心中愕然。
不管如何,一定得到花莲港【1】一行。
于是搭乘了八点二十二分的快车北上。
花莲港厅比台东厅开发得好,某些风景完全与日本内地一样。
车过玉里,十一点半到达花莲港。
花莲港是东部第一的海港城市,也许正好有某些庆典,看起来生气蓬勃。
可惜没有熟人住在这里,吃过简单的午餐,只好在街上走了一圈之后,搭东海巴士到太鲁阁。
太鲁阁是台湾的国立公园,在日本国内也是有名的名胜。
投宿太鲁阁旅舍(雾立馆)。
利用日暮之前探胜。
在峡口和蕃妇拍照留念之后,自己一人步行前往深处。
路上常遇到生蕃,他们和台东平地蕃不太一样,此地住的是高山蕃,令人心生畏惧之感。
与遇到的人都会用日语打招呼:“日安”,看起来都是很温顺的样子。
走到仙寰桥时,悬桥底下有蕃童大声喊话,举手指着某处。
于是我就下去看看。
果然千仞的峡谷、清丽的溪流,是如此壮丽的景观;
但对我而言,倒不是那么惊奇。
回旅舍洗过澡后,肚子也饿了。
喝了一瓶啤酒,吃了三碗白米饭,然后寄出风景明信片给小妹和陈穿君。
下午,到花莲港寄航空信给家人,另外也寄给南星、朱里这些孩子们。
想想此行,在台东见过的人物,有厅协议会员曾捷荣、王登科两位,以及唯一的法学士林源财君等人。
而花莲港就如太鲁阁及临海道路一般地,以山水取胜,也将以此方式继续建设下去。
但明天的临海道路之险峻,多少有些令人不安。
想体验刺激惊险,毕竟是现代人的毛病吧。
【注】
【1】花莲港:今称“花莲市”。
