吴新荣日记>19391021
恩师旧金川中学校々长服部纯雄先生を台中に于いて欢迎せり。
近顷は03日小宴、05日大宴の骚ぎではない、午前小宴、午后大宴と云った方が适当だったかも知らん。
どうも宴会や酒席の机会が多い。
この方[分]だと当分の间、每日酒席の间に时间を过ごさなければならない。
赈やかな生活であるが、悲しむべき人生である。
最后に得る所は只疲劳と睡眠(不足)のみであった。
こんな无轨道な生活の间に、吾々はこの日にもっとも有意义な人生の一瞬を得たことは特笔すべであって、又永久の记念ともならう。
即ち台中の醉月楼に于いて、吾々は恩师旧金川中学校々长服部纯雄先生を欢迎し得たことであった。
自分は午后一时过ぎの佳里发协成バスに乘ったが、途中、林云山君と会って、台中驿に着いた时は丁度定刻前であった。
醉月楼に行くと、おゝ睑の恩师、あゝ何时もの通り元气で吾々を迎へて下れた。
それが十三年前と全く变わりなく、吾々は只抱き付かんばかりに、胸は感激で一杯であった。
それから已知未知の同窗と会ひ、昔の思い出が走马灯の如く眼前に展开したのだ。
その中に今日の主催者の胡万立君や京都时代の黄德辉、刘庆利两君や东医の同窗である林泰料、林元沧两君や、金川の同期たる林云川、康金火两君、それから简金吾君の外に、实に三十名も全岛の南北から集ったのだ。
殆んど皆が一年违ひの同窗であった为めお互いが未知であるが皆が先生の德を慕ひてこの日この时集ったのだ。
定刻が来ると记念写真を撮った后、三阶の和室で宴会が行はれた。
久し振りに先生の侧で心の琴线が响くまゝに语り、お互いが情爱の一点に融け合ったのだ。
それで皆が先生を中心に何か会合を持(ち)たいと提议したので、先生も喜び、その会名と组织を先生に一任した。
それから宴会が终り、皆で中央ホテルに引き上げたが、吾々もそこに止泊した。
やがて又同期の康金火、林云川、林云山三君と又醉月楼に出て十三年间の思い出を语った。
もう迟いので又ホテルに戻ったが、感激し过ぎた为めか一睡もし得なかった。
已むなく《医事新报》を二册も读んで夜を明かした。
于台中迎接恩师旧金川中学校校长服部纯雄先生的来台。
最近不仅03日一小宴、05日一大宴那般欢闹,这句话错了,应改为上午一小宴,下午一大宴更妥切。
酒席、宴会接连不断,这么一来,酒席浪费很多时间,活得这么热闹,应说是人生的悲哀,最后的所得只有疲劳和睡眠不足而已。
如此脱轨的生活中,在今天得到了很有意义的人生的一瞬,特纪录之,以资永久纪念。
即在台中醉月楼,我们迎接恩师旧金川中学校校长服部纯雄先生之事。
今天下午搭一点多的佳里协成汽车,途中林云山君也上车了。
到了台中正好是约定的时间,到达醉月楼,啊!
记忆中的恩师,啊!
壮健如昔,在门口迎接我们,和十三年前完全一样,紧抱着他,心中一片感动。
之后和已知、未知的同窗见面,昔日回忆如走马灯似的在眼前一幕幕展现。
其中,今天活动的召集人胡万立【1】君,京都时代的黄德辉、刘庆利两位,东医同窗林泰料、林元沧两位,金川的同期林云川、康金火两位、简金吾君,总共三十人由全岛南北齐聚一堂。
几乎是前后期只差一年的同窗,但有几位并不熟,为了敬仰老师,大家都来了。
时间一到先拍纪念照,之后到三楼的和室进行宴会。
难得的相聚,在先生身边心弦回响,感情融合为一。
大家以先生为中心,提议继续维持这个聚会,先生也很高兴,这个聚会的会名和组织,就金田先生去决定。
宴会终了,很多人住到中央旅馆,我也跟着去了。
不多久和同期的康金火、林云川、林云山三位一起又折返醉月楼,促膝高谈十三年来的往事回忆。
很晚了,又折返旅馆,心中冲动无法成眠,就拿起《医事新报》阅读,看了两册,天也亮了。
【注】
【1】胡万立(1906-1992):字正道,彰化乡田尾乡人。
台中一中肄业,日本冈山县金川中学毕业后,考进岩手医科大学,为田尾乡留日习医第一人。
返台后先于台中县大甲行医,后择永靖街开设“长生医院”。
当选彰化县首届县议员,曾任永靖国校家长会长20年,永靖农校校医五十年,为永靖乡老人会及长生网球会创会长。
其次子胡嘉南为张良泽之小学同学。
