吴新荣日记>19390807
一昨日、焜洲、碧梅、碧霞等六甲から自动车で来た。
岳父の命日忌とて迎へに来たわけだ。
自分は扁桃腺もすっかり愈ったし、休养の意味で行きたかったが、これから天气がよくなるとの见透しで行くのを止めた。
その代わり雪芬と南星弟妹は揃って行った。
然し晚になるとやはり淋しいもんだ。
昨晚はそれ程でもないが、耳が痒くて仕样がなかった。
反转して时计が三时を打つ音がきこえた。
仕方がないから起きて赤玉葡萄酒を一コップ位饮んで见た。
それでやうやく眠られたらしい。
午后、苏子蘅君が突如访ねて来た。
中央研究所を止[辞]めて、友人と饴の制造事业を始めたとのことだ。
今日もその事业で台南に来た序に访ねて来たわけだ。
长く语った后、石锡纯君を访ねると云ふので、一绪に自转车で会社迄行った。
彼は现在小さい事业を经营し、平和に生活し得ればいいと云ふのだ。
そして近き将来に大きな稀[希]望を怀きながら精神的に自戒しなければいけないとも云った。
その点少なくとも自分と同意见だ。
而も彼は自分は民众と接触する为に出来るだけ社会的に进出すると云ふ意见を赞成して下れた。
思へば彼ほど体が虚弱であるにも拘らず、不动の意志と高迈なる节操のある人は少ないと思ふ。
石君と会って工场を见学した后、彼は台南へ戻って行った。
先日(07月15日)に整理した人名簿の中に◎、○、
△、の记号について、◎はもう一つ增すことが出来る。
今具体的にそれを书けば、
家族
吴丙丁
吴国卿
吴寿山
亲戚
张善惠
毛昭川
沈堤元
林
枪
朋友
辛西淮
王乌硈
黄
干
黄奇珍
以上は又我が家族会议のメンバーでもある。
その场合、父亲は议长である。
晚、佳里の同志が满支の旅行を终へた石锡纯君の洗尘会を乐春楼の别馆に[で]やった。
集ったものは左の如し。
郑国浈
周约典
郭水潭
徐清吉
叶向荣
吴新荣
石君はよく北京の良さ、大陆のスケールの大きさを语って下れた。
血のある者谁か涌かざるを得んやである。
结局吾等の最后の土はやはり中原ではなからうか。
されど尚待机を、后继者が出る迄に!
前天焜洲、碧梅、碧霞等从六甲开车来佳里,因为是岳父【1】的忌日,要来接我们去。
扁桃腺炎已愈,想和他们一起去,当做休养;
但看到天气好起来了,就打消同行。
代之,由雪芬和南星弟妹同赴六甲。
到了晚上,身边没家人,还是很寂寞。
昨夜虽然好些,但耳朵痒得很厉害,使我整夜辗转难眠,还听到深夜三点钟的钟声,干脆起床,喝杯“赤玉”【2】葡萄酒,上床后,逐渐入眠。
午后,苏子蘅君突然来访。
原来,他辞去中央研究所的工作,与友人合伙做糖果制造事业,今天南下,顺道来访。
长谈之后,他要去访石锡纯君,就一起骑单车前往公司找他。
苏君说现在经营一个小事业,能过平和的生活就好,但以后还是满怀远大希望,所以精神方面仍必要保持自我警戒才行。
这点和我看法一致。
我对他说为了和民众多做接触,尽可能参与社会事务。
他深表赞成。
我感到像他身体虽然纤弱,却有坚定的意志,高迈的节操,这样的人很少见。
见过石君,参观了工厂之后,他就到台南去了。
前几天(07月15日),在整理的人名簿中,关于◎、○、△的记号,◎的部份还能增加,具体记录之。
家族
吴丙丁
吴国卿
吴寿山
亲戚
张善惠
毛昭川
沈堤元
林
枪
朋友
辛西淮
王乌硈
黄
干
黄奇珍
以上,也是我的家族会议的成员,其场合,父亲是议长。
晚上,佳里的同志办洗尘会,为结束满支【3】旅行回来的石锡纯接风。
席设乐春楼别馆,参加者有:
郑国浈
周约典
郭水潭
徐清吉
叶向荣
吴新荣
石君详细地述说了北京之美,大陆之大,大家听得热血奔腾。
结果,我们最后之土不还就是在中原吗?
只好待机,等到后继者出现为止。
【注】
【1】岳父:毛维麟(1886-1924),台南县六甲乡人。
曾任六甲庄长。
其先祖毛士剑,为清道光年间廪生,后入祀台湾府学文庙孝子祠。
其后裔渐次昌盛,多为当地之领导人物,成为六甲望族。
【2】赤玉:为商标名。
以红色圆形为标帜,故曰“赤玉”。
【3】满支:满洲与中国。
