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吴新荣日记>19390728

天气は依然として晴れない。
おまけに暴风の气配である。
雨天になると例の恶友达も暇で持て余してゐると见えて麻雀を诱ひに来る。
おかげで一昨日の晚も昨日の晚も夜明け顷迄打った。
三还[环]をぶっ通してやるものだが、案外体にはこたへない。
然し考へて见ると实に无益で徒劳で且つ恶德である。
あの连中を[に]胜って报酬を取るのも气の毒だし、又自分が负けていらん浪费をするのも癪だ。
吾々はこれからこの非生产的な事业から足を洗はねばならない。
この恶友と云ひながら郭水潭君と徐清吉君だけは自分のなくてはならない盟友である。
思へば盐分地带全盛の时代には多士济々であった。
而るに今は只この两友だけが社会的地位を获得しつゝ前进し续けてゐる。
黄炭、郑国津两君は已に经济的破绽をを生じて没落の过程にある。
王登山君は沉然を守って已に久しくなるも、林精镠君は“盗人猛々しく”今でも变な文学を叫[读]んでゐる。
叶向荣君は真面目に家业を守ってゐる(の)は赖もしく、庄培初君は尚低迷してゐる(の)は情けない。
曾对は相变らず义理深く生活してゐるのは心强く感じ、黄平坚君は消息绝え久しくなったのは淋しい。
而して陈培初君は依然たりだ。
天气尚未放晴,加上有些台风味。
一到下雨天,老恶友们手闲得慌,相邀打麻将,使得我在前晚、昨晚打到几乎天亮。
三环连打,意外地身体还挺得住。
想想,这实在徒劳无益,也是恶德。
打赢了伙友,拿了他们的钱也觉得不忍心;
自己打输了,又觉花费不必要的开支。
我应该从此洗手不干此等非生产的玩乐才行。
言及恶友,郭水潭君和徐清吉君两位,毕竟仍是我不可或缺之盟友。
想起盐分地带全盛的时代还是人才济济的。
其中这两位友人已有社会地位,并且还在继续往前进;
黄炭、郑国津两位已呈经济破绽,正在没落中;
王登山【1】君沉寂已久,林精镠君则“盗人猛猛”【2】,现在还在大嚷[读]怪异文学;
叶向荣君则认真地守着家业,稳重可靠;
庄培初君尚在低迷状态,真可惜;
曾对一如往昔,重情义,可强烈地感受到;
黄平坚【3】君久无音讯,令人怀念;
而陈培初君依然如昔不变。

【注】
【1】王登山(1913-1982):台南县北门乡人。
有“盐村诗人”之称,被日本的诗人黑木讴子誉为“新感觉派诗人”。
郭水潭的妹婿。
“佳里青风会”成员之一。
盐分地带的文学同仁。
1934年加入多田利郎主持的“南溟艺园”。
1935年加入“台湾文艺联盟佳里支部”。
曾任台湾文艺联盟执行委员、台湾新文学编辑委员。
终战前后投身高雄“大都新剧团”担任文艺部主任。
随团流浪全台,从事剧作生涯。
【2】盗人猛猛:日语。
盗人之物而佯装若无其事。
【3】黄平坚(1911-?
):台南县西港乡人,盐分地带的文学同仁,曾加入台湾文艺联盟佳里支部。
日治时期警防团干部。
曾与庄松林、王永河创立台南木桶株式会社,又与庄松林及颜水龙创设台湾生活工艺研究所。
晚年时常返乡参加“南鲲鯓台语文学营”及“盐分地带文学营”,并参加王昶雄主持之“益壮会”多年。

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