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吴新荣日记>19390720

一昨日の夕方、毛昭癸义兄から电话が来て、彼の次女敏华爣が急逝したと报じた。
それで七时のバスで下南して见舞ふことになった。
着いて见ると、六甲から岳母を始め焜洲义兄や碧梅、碧霞两义妹も来てゐた。
样子をきいて见ると、偏[扁]桃腺もよくなったが、急に心脏麻痹を起こしたとのことだ。
多分ヂフテリアの后麻痹が本当だと思ふ。
それなら看护にも手落ちがあるではないかと思ふ。
とにかく六甲の一族も不幸である。
雪芬と结婚して以来七个年间、彼女の伯母、兄嫂、それから今度で三回の不幸である。
辛家の体面を重じてか佛式の葬式をやると云ふので、内地人の和僧が来て读经した。
自分は焜洲を诱って入棺后二人で外出した。
何处かで一杯やってこの重苦しい气分でも晴らさうと思ったからだ。
用事も济んだので、二人は王先生宅に参って泊った。
翌朝即ち19日の朝、雨を冒して三人即ち王先生と焜洲と六甲の车で佳里に归ってきた。
佳里では雨が上がってゐるので患者が泽山来てゐた。
约二时间に三十名位を诊ってしまった后、午饭を[が]济んで又台南に向かった。
敏华爣の葬式に间に合ふ为だ。
南门の葬仪堂で告别式をやってから火葬に付するとのことだ。
雨ながら式は割合に盛会だった。
费用がかさばることと无意义な花轮がなければ、佛式とは云ひながら简单で整备してゐた。
式后、焜洲と高雄へ赴く为にすぐ驿へ向った。
三时十八分の汽车で行って高雄に着いたのは四时过ぎだった。
それですぐ高雄市主催の兴亚展览会へ[を]见物することになった。
第一会场は新筑中の市役所にあったのでそれを先に见物した。
この事变に日支两国はどんな武器で战ってゐるかを见たかっただけだ。
中国は不统制ながら案外新式の武器で战ってゐたことが分った。
第二会场は商品の广告ばかりだから、それをオミットして又驿に戻った。
その边の食堂でお腹を医しながら黄明富君と林耳君に吾等の来高を电话で知らせてやった。
两方とも非常に喜んで迎へて下れた。
明富君は患者が多いから九时顷でないと暇にならないと云ふ(の)で、先づ耳君を访ねた。
商专の同窗张安然君が经营してゐると云ふ森源カフェーへ行って见た。
张君には会はなかったが、ビールを饮んで引き上げた。
それから同じく商专の同窗林秋贵君が经营してゐる美人座カフェーへ行って见た。
林君には会へたのでカクテルとフルーツをおごって下れた。
やがて明富君も来たので面白く饮んだ。
美人座の设备は前述の森源と云泥の差があった。
一般に高雄のカフェーは台南よりも立派である。
次に医专の大先辈黄瑞传君が桃源カフェーにをるらしいと云ふので、向ふへ行ったら果たしてをった。
皆がいよいよ嬉しくなって又大いに饮んで大いに食べた。
この大先辈も大いに发展してゐると见へて十二时过ぎにも拘らず、又オリンピクカフェーへ案内して下れた。
そこの名出门の看板娘を见せて[る]と云ふのだ。
然し自分も相当に疲れたし、焜洲もいい加减に醉ったので、やがて引上げて东洋ホテルに泊った。
今朝七时三十五分の机动车で台南に归り、九时のバスで佳里に归って来た。
数日来の雨天も今日からは晴れさうだ。
その为に患者も泽山来てゐた。
疲劳しきった体を鞭打って奔走したが、オートバイはなかなか走し[っ]て下れなかった。
前天傍晚毛昭癸内兄打来电话,告知其次女敏华急逝,马上搭七时巴士赶去探望。
到达时,从六甲来的岳母、焜洲内兄、碧霞【1】妹、碧梅妹,都已到。
听到的情况是扁桃腺已好转,但突发心脏麻痹,来不及救治,我想也许是白喉的后麻痹所致。
如果是如此,那看护方面也可说警觉性不够。
总之,是六甲一族的不幸。
和雪芬结婚七年以来,她的伯母、兄嫂,还有这是第三次不幸。
也许顾及辛家的体面,以佛教仪式办理,由日本内地的和僧主持读经。
入棺之后,我和焜洲二人外出,想找个地方喝一杯,排散心中抑郁的心情。
办完了事,两人到王先生宅过夜。
翌晨,即19日的早上,冒着雨和王先生、焜洲三人搭六甲的车回佳里。
回到佳里雨停了,已有好多患者在院里等着,花两小时看完三十几名病患。
午饭后又回台南去,以赶得上敏华的葬礼。
在南门葬仪堂,举行告别式之后火葬。
虽然下着雨,仪式还是人多的盛会。
如果不用很大的花费和无意义的花圈,佛教仪式应算是简单、隆重而完备。
仪式后,和焜洲到火车站,准备到高雄走一趟。
三点十八分的火车,到高雄时已过四点,两人直奔高雄市主办的兴亚展览会参观。
第一会场是正在新建的市役所,先在此参观,只想看此次事变中,日支两国各用何种武器在打仗,了解到中国物质虽无统制,很意外地,竟是以新式武器战斗。
而第二会场几乎是商品广告,略过不看,就走回车站。
在周边先果腹一下,并打电话给黄明富和林耳,告知我二人在高雄,他们都很高兴地表示欢迎。
明富君那边患者太多,不到九点看不完,所以就去找耳君【指的是林耳】。
他带我们到商专同窗张安然君经营的森源咖啡屋去。
张君不在,喝了一杯啤酒就走了。
然后到同样商专的同窗林秋贵君经营的一家美人座咖啡屋,一起去走走。
林君请我们鸡尾酒和水果,一会儿明富君也来到,一起高高兴兴地喝几杯。
美人座的设备和前述的森源真是天壤之别。
一般而言,高雄的咖啡屋和台南比较,豪华许多。
听说医专的大前辈黄瑞传君可能在桃源咖啡屋,一到那边,果然见到了人。
因相见欢,大吃大喝一顿。
这位大前辈看起来发展得很好,虽然已过十二点,还是招待大家到奥林匹克咖啡屋去,看看这家有名的招牌女郎。
觉得很累了,焜洲也有些醉意,就到东洋旅馆住宿。
今天早上搭七点三十五分机动车回台南,九点的巴士回佳里。
几天来的雨,今天应会放晴了。
患者来了许多,也有外诊,鞭策已累坏了的身子奔走看病,机车却不争气,跑不快。

【注】
【1】碧霞:毛碧霞(1925-
),毛雪最小的妹妹。
适涂荣慧。

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