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吴新荣日记>19390407

昨夜、昭川义兄と缶[岳]母及焜洲义弟等が见舞に来た。
昭川义兄の诊察に依ると肺尖は别に异状なく、感冒だと主张した。
气のせいか热は七度二分迄下がった。
然し今朝醒めてから计って见ると三十八度三分迄上がった。
始めて昭川の处方を服し、牛乳一合を饮んで又眠ると、今度は发汗して热は六度七分迄下がった。
发汗のせいだらうが发汗も始めてだし、七度以下になったのも始めてだ。
然し少らくすると、又例の七度七分前后になった。
この热の高低で着しく疲劳を感じた。
食欲も减じた。
今日来た叔父も、每日来てゐる王先生も、大低[抵]一周间经过すればよくなると云ふ。
然し自分は感冒が原因であることを知ってゐるが、实はどんな病气であるかを知らない。
昨日は采血もしたし、尿も持って行ったから、今日で分るだらう。
もう今日から杂志は读めない。
新闻を见ることさへきつい(の)である。
见舞に来る友达と语ることだけは元气さうだが、その后になるときつい。
六甲の连中は昨夜归って行かれた。
子供达はゐないから淋しいことは淋しい。
国山は寿坤の台南农业学校志愿のことであちこちに行かせてゐる。
寿坤はその身分相应に农学校へ入ればいいと思ふ。
他日一つ海南岛で大农园でも经营すればいい。
又国山は东亚医科大学に入れば他日、中原で活跃すれば兄としても满足だ。
若者よ、お前达に幸あれ!
今日迄见舞に来た友达は陈穿、陈其和、陈清汗诸君である。
昨夜,昭川内兄、岳母【1】、焜洲内弟来探病。
依昭川内兄之见,肺尖并无异状,应该只是感冒而已。
也许是心情的影响,热度降到三十七.二度。
但是早上起床,量了一下体温又升到三十八.三度。
服用了昭川的处方,喝了牛奶,睡了一会儿,发汗之后,这一次降温到三十六.七度以下。
也许是出汗的关系,第一次出汗就降到三十七度以下,但不多久又如前升到三十七.七度左右。
因为体温明显地时上时下,让人感到疲劳。
因而食欲也大减了。
今天来看我的叔父也是,每日必到的王医师也是,他们都说经过一周之后必然痊愈。
然而我自知病因是感冒没错,但事实上是不知道引起什么病。
昨日采血、采尿,带去检验,今天应能知道其结果。
今日无法看报、读杂志,真累。
朋友来探病,精神可提振不少,并高谈阔论,事后又疲累不堪。
六甲的亲友昨夜回去了,小孩不在身边,深感寂寞。
国山则为寿坤报考台南农业学校而奔波,寿坤应该选择跟其能力相称的学校入学较妥。
他日也许可以在海南岛经营一个大农场也不错。
又,国山如果能进入东亚医科大学,他日能活跃中原,为兄者已可满足。
年轻人,愿你们幸福。
今天来探病者有陈穿、陈其和、陈清汗诸友。

【注】
【1】岳母:毛黄趾(1887-1960),吴新荣元配毛雪之母。
台南县六甲乡人。
1953年曾膺选台南县模范母亲,晋省受奖,母仪足式。

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