吴新荣日记>19390113
今朝早朝、番子寮へ往诊した。
勿论人力车で行ったが、寒冷なること甚だしい。
风邪气味もあったが、私にとりては何だが非常に体にこたへる。
而も私は次の如き未曾有の厚着である。
即ち
アンダーシャツ、メリヤス‧セータ、パジャマ、
ハラマキ、アワセ、タンゼン、ハオリマント
等九重も身を固めてゐる。
而も头にはトリウチ、口にはマスク、足にはタビ等を被ったり、付けたり、穿いたりしてゐる。
充分变な风态だが、人间と云ふものはよくもこんな色々なものを着服するものだと思った。
それに私の身もそれを着服せねばならない程变なものになったと思った。
风邪气味とは云へ、もっと煅炼すべきだ。
晚、奇珍兄に“家庭と女性”に就いて手纸を书いた。
曰く、“一家の支柱の自由を夺ひ、一家の支配者に对して尊重しない者に对する抗议として、瞬间的自慰を求めることを肯定する。”
又、水潭君に“诗歌と友情”に就いて手纸を书いた。
曰く、“表面上の礼仪や形式上の付合で友は成立たない。
离れても又は死んでも心は语ってゐる者こそ友である。”
昨夜は南星と南河と一绪に睡った。
今晚は南星が朱里と变って来る。
一绪に睡る位なら厄介がないが、泣いてゐるのをなら[だ]べ[め]てやったり、小便をたらしてやったりするのはとってもきつい。
然し亲として时々やって见るべき事だ。
今晨到番子寮【1】去外诊,当然是坐人力车去的,但天气甚为寒冷,加上些感冒迹象,总觉得身体不适。
而且我也穿了一大堆衣物如下:
汗衫、针织毛线衣、睡衣裤、护腹带、夹衣、棉袍、斗篷。
共九层衣服。
而且头戴便帽、挂上口罩、日式布袜,穿的、戴的、披的,样样齐备。
这身打扮看起来应该是十分怪异的,只因觉得身体有点着凉不适,才穿得这么多。
看来应该好好锻炼身体才是。
晚上,就“家庭与女性”一事,给黄奇珍兄写了一封信。
信上写着:“剥夺一家支柱的自由,不尊重一家之主,为了向这样的人表示抗议,去寻求短暂的自我慰藉一事,应予肯定。”
又以“诗歌与友情”为题,写了一封信给水潭君。
信上写着:“单靠表面上的礼仪或形式上的交往,友情无法成立。
即使离开或是去世,尚可内心交谈者,才是真挚之友。”
昨夜和南星、南河同睡一张床。
今夜则和南星、朱里同睡。
以为只是一起睡,不会有什么麻烦事,结果一下子哭泣,一下子弄小便,有够麻烦。
不过,身为父亲的,是应该要亲身体验才对。
【注】
【1】番子寮:位于佳里西北方,又称为北势山寮。
今分为漳州里(由番子寮、后港脚组成)与海澄里(由番子寮、北头洋、莱寮村落组成)。
此地昔为平埔族聚落。
