吴新荣日记>19390111
再加入千代田五千圆(共一万五千)。
昨夜、佳里に着いた时は今朝の二时过ぎだった。
今朝起きて见ると大分患者が多かった。
走し[っ]て诊て又走し[っ]て诊て日暮になってやうやくけりがついた。
晚食后、酒仲卖へ行って见れば郭秋煌、方沁、郭水潭、陈培初诸氏がそこにゐた。
少谈の后、郭秋煌君と谢得宜、林书馆两君を诱って石锡纯君の所へ行った。
目的は麻雀を打つ为である。
五人打ちで三人胜った。
一环だけやって已に又夜半の二时顷であった。
归って见ると、我が寝室は取り乱されたままであった。
若しそれが我が自由の行动に对する抗议であったら、それ程马鹿らしいことはない。
吾は妻子の捕虏ではない。
吾は家庭の奴隶ではない。
吾は一族の生命线だ。
吾は一家の支配者だ。
この生命の自由を防[妨]ぐ者は之を斥くであろう。
この支配を拒む者は之を去らしむであろう。
今日は父亲の诞生日(旧历)と云ふので昼饭には甜面线と炒大面の料理に养命酒を出した。
父亲は别に之を乐しむとか或は是非やらねばならないとかの意见はないが、吾等は子儿としては觉えているから、是非もっと有意义に之をやって见たい。
之は又善良なる家风でもある。
昨日、黄朝篇君の热望と要请で又千代田生命に五千圆加入した。
合せて一万五千圆になるから、万一のことがあれば三男に五千圆づつ分配する积りだ。
これだけあれば一人前になる迄の学资は先づ心配がない。
三男の分はそれとして、一女はその母の分を受取ったらいいだろう。
この田舍でのこの商买[卖]は吾人に大财を致しめるとは思わない。
又そうあっては先づ医者の本分も疑はれる。
然し子供达に一人前になる迄の学资を持たせ(た)いのは亲の心である。
前记の保险诊察で大体自分の身体の计数を知ることが出来た。
身长は五尺六尺[寸]五分である。
胸围はその半分位で、腹围は胸围より五分位少ない。
血压は一二○から八○で、总てが相当标准に近い。
只身长の五尺六寸五分は一寸惊いた。
今迄は五寸五分位だから、やはり申[伸]びてゐるのだ。
“女大至大肚、男大至廿五”は嘘だ。
再加入千代田生命保险五千圆(共一万五千)。
昨夜回到佳里已是深夜两点多,早上起床之后,来了不少病患,来往奔波,一直到傍晚,总算摆平。
晚饭后到酒配销所走走,郭秋煌【1】、方沁、郭水潭、陈培初等人都在座,小谈之后,邀郭秋煌、谢得宜、林书馆等人去找石锡纯【2】君打麻将。
五人之中,三人打赢。
只打了一圈,已是深夜两点多了。
回到家一看寝室,乱成一团,如果这是对我个人自由行动的抗议,没有比这种做法更笨的了。
我不是妻子的俘虏,也不是家庭的奴隶,我乃家族的生命线,一家的支配者。
凡是妨害我生命之自由的人,皆该排斥之;
凡是拒绝此支配的人,皆该摒弃之。
今天是父亲的生日(旧历)。
中午准备了甜面线和炒大面,配上养命酒。
父亲并未表明特别期待甚么或要求做甚么,但做为子女的我们,却牢记父亲的生日,一定要做有意义的事,这也是纯朴善良的家风。
昨日因黄朝篇【3】君的的热望请求,再加五千圆入千代田生命保险,合计是一万五千圆。
万一有什么情况,则三个男孩子可各自分配到五千圆。
有了这笔钱,孩子长大至成人的学费,就不用担心了。
一个女儿则可由母亲的一份取得。
我并不以为在此乡下的这种买卖能使人招致什么大财产。
即使有什么取得,身为医生的本分,也许会招来怀疑。
可是让孩子们在成人之前,储备学费,是身为父母的处心积虑。
由于保险而做的身体检查,对自己的身体有了相当程度的了解;
身高五尺六寸五分,胸围差不多是其一半,比腰围少五分,血压是120至80,一切都接近标准。
只是对身高五尺六寸五分有点讶异,因为至今都是五寸五分,所以好似还在长高。
看来“女大至大肚,男大至25岁”是骗人的。
【注】
【1】郭秋煌(1908-?
):台南县学甲镇人。
台南二中毕业后,考上台北高等学校。
1934年日本东京帝国大学经济学科毕业后返台,翌年任学甲庄协议会会员,其后历任北门郡土地改良组合理事、学甲信用组合长、南亚制粉公司专务取缔役、兴南新闻社相谈役等。
战后历任台湾省合作金库台南支库经理、中国合作事业协会台南支会理事长,并当选多届台湾省议员。
【2】石锡纯:彰化市人,石锡勋之弟。
实业家。
日本东京帝国大学农业科毕业。
曾来佳里创设“南亚制粉株式会社”。
曾任延平学院最早的董事。
与吴新荣交往甚密。
【3】黄朝篇:台南县将军乡人。
与吴新荣同为沤汪公学校第一届同学。
日治时期曾任刑事,战后曾任县议员。
吴新荣的围棋棋友。
按:日记中,偶而写成“黄朝扁”,今统一为正式名录上之“黄朝篇”。
