年月日:1938:19381112:19381112-h-roc-s27-006-吴新荣日记



吴新荣日记>19381112

午后四时のバスにて台南に向ふ、表面上の理由は大同生命保险会社の医务部长の案内であるが、第一の目的は、妻の不屈に反省を促す为めである。
第二の目的は、最近芽萌えした思想上の恶魔主义を友に语る为である。
台南に着いたら旅馆で医务部长に会って、诊查[察]上の问题に就いて语り、御驰走をして贳った后、许天成君の家へ行って约束してあった陈穿君を待ったが、とうとう来なかった。
次に毛昭癸兄を南部通运で访ねた。
そこで丁度秤があったので、量って见たら着服して百二十斤、昭癸兄は百三十斤あった。
后で一绪に新开业の松竹カフェーへ行って见たら、案外の盛况であるが、酒を一本を[も]平げずに帝国商事に引上げた。
そこで黄奇珍兄が待ってゐたのだ。
昭癸兄と分かれたので、二人で语りながら町に步いた。
天国食堂で红茶を饮んだ后、又ぶらぶら步いた。
大正公园迄来た时、私は末广旅馆のお客になるので、彼と别れた。
二阶の角の割合きれいな一室に、私は杂志を读みながら睡ようとした。
然し何んと目はだんだんさえるではないか。
外は季节风が树木を枯すばかりに吹いてゐる。
夜更の游客は已に绝えて、横町には足音もなく澄んでゐる。
あヽ已に鸡鸣ではないか。
停车场の机关车が蒸气を吐いてゐる响がはっきりと闻える。
もう何时顷になったか、起きて见る勇气もない。
今日は丁度往诊カバンを携带して来たから、おきて镇静剂でも一本射さうかと思ったが、やはり起きる勇气がない。
私はいよいよ自己を检讨せねばならない破目になった。
どうして私は一人でこの室に夜更け迄苦しめ(られ)なければならないのか。
谁が私(を)してこんなに迄总ての理性を失はしめ、只すら恶魔への一路のみ延[辿ら]しめたか。
若しも私は有神论者であったら、私は起きて神の前に跪き、私の凡ゆる罪恶を忏悔したであらう。
然し私は到底そんな喜剧じみた行动は出来なかった。
私は只自分の肉体的亨[享]乐に依って生ずる苦痛は、当然この精神的懊恼を招来するものと信じた。
私は一时的に决断と反悔したが、とうとう私は又トルストイの信条に反逆を营むことが必然かも知らない。
あヽ!
下午搭四点的巴士赴台南,表面上的理由是应大同生命保险会社医务部长之邀,而我的目的是:一、对妻子的叛逆性格,想促使其反省;
二、想把最近在思想上萌芽的恶魔主义,告诉友人。
到了台南,在旅馆中和医务部长见面,就诊察问题做探讨。
他请我吃饭之后,我到许天成君的家,陈穿君也约定要来,等了半天没看到人。
之后到南部通运去拜访毛昭癸兄,正好有一台磅秤,量一量,连衣服竟达一百二十斤。
昭癸兄是一百三十斤。
之后到新开业的松竹咖啡屋,竟然意外地盛况,一瓶酒没喝完,就回到帝国商事。
黄奇珍兄已在那边等着,昭癸兄先行离开,两人在街上边走边谈,到天国食堂喝了红茶之后,又继续漫步街头,来到大正公园【1】时,我要宿末广旅馆,就与他分手了。
我在二楼的角落的一个洁净的房间,看看杂志,正想睡时,却又渐渐的醒过来了。
窗外季节风强势地吹着,深夜里的游客已绝迹,小巷中没有一点脚步声,一片寂静。
啊,此时已近鸡鸣时刻,车站的火车头吐着蒸汽,发出的声响都听得很清楚。
不知几点了?
却没有勇气起来看。
身边带着往诊的皮包,想打一针镇定剂,也没有起床的勇气。
我已到了非自我检讨不行的地步。
为何我会整夜独自在此房间里,折磨自己?
是谁令我失去所有理性而一路延续走向恶魔之途?
如果我是有神论者,我会起来跪在神的前面,对我所有的罪恶做忏悔吧,但不会做这种带喜剧色彩的行为。
我知道这是由自己的肉体享乐,所带来的精神上的痛苦。
我突然间果断又反悔,到头来,我必然对托尔斯泰的信条做出叛逆。
啊!

【注】
【1】大正公园:位于台南市中山、民生、公园、中正、南门、开山、青年路交会处。
明治44年(1911),台南市实施市区改正时设立的因园中原设有日人总督儿玉源太郎雕像,故又名为儿玉公园。
战后改称“民生绿园”,该雕像亦改换为孙中山雕像。
现改名为“汤德章纪念公园”。

年月日/1938/19381112/19381112-h-roc-s27-006-吴新荣日记.txt · 最后更改: 2025/07/26 11:53 由 127.0.0.1