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吴新荣日记>19380822

昨日、吴登富氏(と)その次兄登芳氏一绪に来て、台中の张清分氏の娘と婚约式を举げるから、气势を上げる意味で参加して下れないかと云はれたので、私も植村荣宗氏と陈穿君が行くなら私も行くと、うっかり约束してしまった。
午后になるとその长兄の金龙氏が父亲を始めに方◇林、黄新章、陈辽其他二人を伴って来て、私を诱った。
父亲が行くとすれば私はもう行かなくてもいヽと思ったが陈穿君もとうとうやって来たので、私もつい三时过のバスで彼等と台中に向った。
车中で郑汉氏と黄百禄君に遭った。
郑氏の子供が【宫】原眼科に入院してゐると云ったし、黄君は台中法院で辩护する事件があると云った。
お荫で车中は淋しくなく过したが、途中农夫一人を轹死したのは气持が恶かった。
この日、台湾人余计に一人死んだと云ひたい所だ。
私は医者として何かの为めになれると思って、医疗道具を持(っ)てゐないにも拘らず、すぐ下车して见たが、如何にせん、汽车は又动き出した。
例へ殆んど无价值な人命でも息が又呼吸してゐる以上、一筒のカンフルと一卷の绷带を彼の死出の旅に捧げたかったのだ。
台中に着いた时、黄君はルビーが来て待(っ)てゐると云ふ好消息を知せて下れた。
我等も集贤馆に落ち付いてから、私かに荣宗氏と穿君を诱って、中央ホテルに泊ってゐる彼等を访ねた。
少谈の后、一绪に散步に出驱[挂]けた。
ルビーは先づ私达をカフェーオリンビ[ピ]クに案内して下れた。
それからカフェーキング、最后にカフェースイトホームへと饮み步いた。
可怪しいことに今晚は、颜も赤くならなければ醉も袭って来なかった。
けだしルビーはいヽ姊御だ。
昨日吴登富氏和他的次兄登芳【1】氏一同来访,要我参加他和台中张清分氏的女儿的订婚仪式,以壮声势。
我冒然答应说,如果植村荣宗【2】氏和陈穿君要去的话,我就去。
到下午,他的长兄金龙氏带父亲、方◇林、黄新章、陈辽以及另外两位来邀我。
本想既然父亲有参加的话,我就可以不必去了。
结果陈穿君也来了,只好和他们一起坐三点多的巴士往台中出发。
车中遇到郑汉氏和黄百禄君,郑氏的孩子在【宫】原眼科【3】住院中,黄君要去台中法院为事件而辩护。
好在车中有伴,不会太无聊。
火车在中途辗死一个农夫,心里毛毛的,心想今天台湾多死了一个人,身为医生的我想着是否能帮得上忙,即使身边没有带医疗器具,马上下车看看。
但还没做甚么,火车又开动了。
即使是一个微不足道的人的生命,只要有一口气在,至少总要奉上一筒强心剂或一卷绷带做为死亡之途的慰藉吧。
到达台中后,黄君告知我好消息说琉美已先到在等我了。
我们到集贤馆安顿好之后,便悄悄地约了荣宗君和陈穿君到他们投宿的中央旅馆见面。
稍谈了一下后,一起出去散步。
琉美先招待我们到奥林匹克咖啡屋,然后到国王咖啡屋,最后到咖啡甜蜜之家喝酒。
奇怪的是今晚喝了酒,脸却不红,也无醉意。
琉美毕竟是个好大姐头。

【注】
【1】登芳:即吴登芳(1908-?
)。
台南县将军乡人,曾任部落会长,将军庄协议会员。
1946年担任将军乡将荣村村长。
【2】植村荣宗:即吴荣宗(1908-1979)之日本名字。
台南县将军乡将富村人。
吴萱草堂弟,吴新荣的堂叔,而情似手足,为沤汪区公学校及台湾总督府商业专门学校豫科同学,1925年曾结伴东渡日本冈山黉中学留学。
后自明治大学法科毕业。
返台后曾任法院推事,辞职后为开业律师。
【3】宫原眼科:日人在台开业的眼科医院,日人医师为宫原武熊。

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