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分析思考>19380711
中华民国史事日志>19380711
7,11(六,一四)
甲、广东自卫团大队长洪之政袭克南澳。
乙、参政会通过节约运动大纲。
丙、敌舰犯九江,与我狮子山江防炮队接战。
丁、敌机三次袭广九及粤汉路。
戊、俄军进入图们江下游之张鼓峰。
相关人物:洪之政
中华民国史大事记>19380711
07月11日
国民参政会第1届会议继续举行。
经济部书面答复参政员关于经济部之询问九件;
兼财政部长孔祥熙答复参政员对财政部之询问七件;
政治部长陈诚报告关于民众组织训练事项;
行政院副院长张群说明国民政府交议之《节约运动大纲》,并获通过。
△ 第4战区余汉谋部及南澳县长洪之政率领之广东民众抗日自卫团第9区第4大队渡海突破敌舰防线,分向隆澳等处袭击,居民亦纷持刀械冲杀,卒将敌击溃,遂克南澳县城。
次日撤出南澳。
八路军简史>19380711
11日
朱德、彭德怀、傅钟发出训令,要求各部队首长按照兵员条件、人枪比例等,对所有新扩大的部队重新点验和检查,严格执行部队编制。
第2战区大事记>19380711
1938年07月11日
二战区
我军在离石东九里湾游击,遇敌百余,激战半日,共毙伤敌五十余,毁敌汽车二辆。
敌军四、五百名侵入万泉县城。
敌机十五架分四次狂炸垣曲,投烧夷弹至多,全城尽成焦土。
临汾敌八百余由涧头强渡西犯,我军正在迎头痛击中。
国内
敌舰十余只,越湖口西犯。
日伪统治东北时期大事记>19380711
07月11日
伪满制订“劳动统制要纲”。
陆海军年表>19380711
1938年07月11日
大本营下令,将骑兵集团(集团司令部、骑兵第1、第4旅圑)从关东军隶下编入华北方面军战斗序列,以及派遣第23师团至【满洲】。
周恩来年谱>19380711
△07月11日
△得知阎锡山以调干部受训为借口,解除牺盟会、动委会领导的游击队的武装等情况后,和刘少奇联名致电八路军第120师动委会,指出:
准备由周恩来给阎去电抗议。
望你们通知各游击队警戒,并让便于转移的部队准备向雁北、绥远和其他地方转移。
但事先须同保安司令续范亭商议并取得他的同意。
△07月
△下旬和林伯渠先后会见蒋介石、何应钦,讨论扩大八路军编制事。
蒋、何借口二百师已满额,不愿给师的番号。
26日,周恩来致电毛泽东、朱德、彭德怀说,准备向蒋提出两个方案:
(一)仍请编三军6个师或三师9个旅二十七个团;
(二)请委五台聂荣臻,冀热宋时轮、邓华,津浦线徐向前、陈再道,河防肖劲光以司令名义。
当日,收到毛泽东复电:
加编三个师如不可能,以第2方案为适宜。
收到朱德复电:
三军6师计二十四个团,如蒋、何拒绝,则以报三师二十七个团为好。
聂荣臻,宋时轮、邓华,徐向前三部另给纵队名义,肖劲光为河防司令。
刘伯承、贺龙两师已各有九个团,林彪师已七个团,也拟编为九个团。
聂区的赵尔陆、刘道生、杨成武、陈漫远四部共编九个团,太行山地方武装共有四个团。
△07月
和董必武、叶剑英等会见白崇禧的机要秘书、中共秘密党员谢和赓,对谢在广西的工作作指示。
黄克诚年谱>19380711
1938年07月11日
根据朱德、彭德怀指示,率第687团及旅部进驻端氏镇,并组织开展高(平)、沁(水)路南北地方工作。
徐海东随后率第688团也进驻端氏镇。
陈赓日记>19380711
1938年07月11日
为避免敌机扰乱,今日3时出发,10时许各部到达林县以南合涧附近之原康及连家坡一带,旅部住连家坡。部队快要进入宿营地时,敌机11架,甫从东北飞来,经我头上,我隐蔽迅速,未被其发现。
资(66)率步兵1连到平顺接运弹药及慰劳品。派772团敌军股长及李明(67)等3人检查4支队工作。发出5天工作纲要。
(66)资,即资建侯。
(67)李明,时任第386旅司令部第4股股长。
常任侠-战云纪事>19380711
(07月11日 星期一)
下午,为战时日本研究会写文一篇。晚间送交宋斐如处。至汪和康处,赠其中国苏维埃银角一枚。至汪漫铎处,通知其率队来编政治部直属抗敌演剧队。归寝已夜二时。
竺可桢日记>19380711
07月11日 星期一 (汉口)晴热SE
上午晤唐臣。
中午金兆均、葛正权在海军青年会请中膳。
下午晤叔永。
下午遇辛树帜、胡庶华。
晨七点半起。
八点早餐后至江汉关附近,觅老名利榄晤士芳,不值。
至上海银行购票,据云二等卧铺已售至二十号,头等则十五号。
幸余等已于昨托卢作孚定购,得三号房。
往大陆银行晤唐臣,知渠初自贵州回,谓贵州只安(仁)(顺)可容大学,在乡下有三十万元所造之兵营,可容学生千人,教职员百余人,家眷则可住城内云云。
渠颇愿浙大与唐山间往安(仁)(顺),但交通极不便。
唐山元设备,故不成问题。
至大智门打电报往泰和。
回寓,则葛正权与金兆均二人已相待。
渠等皆在航空委员会办事。
余以雨岩嘱,往雨岩处一转,接鲁珍电。
遂至海军青年会,与金兆均、葛正权中膳,刚复亦先到。
膳后至黄阪路76号,即参政会招待所晤叔永,遇迪生。
一年以前与叔永在枯岭相遇,不图一年来山河依旧,面目全非矣。
回。
知何之泰曾来寓未值。
下午七点过江,由徐家棚上车,遇立法院张君。
车上遇范宝华,华安职员也。
八点四十分车开,车上极挤。
至宾阳门,沈次由与许鉴明带气象仪器四箱上车。
接 鲁珍电振公函学生自治会函 电浙大函 吴俊升
张宗和日记>19380711
1938年07月11日
月。
天气奇热,办公效率大减,坐着就出汗。
中上谢要请我们在“美的”吃饭,天太热吃不下去,只想吃冷水。
回来许多信都没有写,带到办公室,想写也没有写,又带了回去。
萧军日记>19380711
1938年07月11日
在广元。
昨天到了这地方,今天落雨就不能走了。
这是一个不很小的城,只有三个门,西边靠着嘉陵江,一条较热闹的街还在城外,街道是洋灰和石板铺成的。
男人们缠头布背柴。
特征:茶馆很多,人民大部面带烟容,鸦片公卖。
我们坐的七十三号汽车,车夫nl以随便搭客,训练处补充团的军官们随便乘车。
我们怒了,要打他,他下去了。
城鼓楼下有“气死莫吿状”的一块石碑。
经过的城巾“剿灭赤匪”等标语还在,山头各形碉堡甚多。
我们是住在一个旅店后院,吸鸦片,小脚女人的家里。
在宁羌:
前天早晨,我去访了一个庙,一个坏了眼睛的老和尚说给我红军的故事。
他管毛泽东叫“毛东海”,朱德叫“朱培德”。
民国二十四年红军六将领:
毛泽东、朱德、徐向前、徐海东、贺龙、张国焘等及红军数I-万,曾由此地经过。
勾留三04日。
老和尚说红军曾烧了他庙上的门板,他对抗战很关心:
“日本人打到什么地方了”
“河南郑州……山西……马当……”
“啊!
郑州?
郑州失……西安就不好”
“你们见过日本兵吗?”我问“没有……听说”
“FI本兵很厉害,奸淫抢掠无所不为……,不过起先他们假意对老百姓好……”
“红军也是这样啊!
起先十天很好……越来越凶了……这里埋过五十八个坑,每坑一百人,还有没死的……就埋了……”
“尽是些什么人?”
“有钱的和居官的……”
“穷人呢?”
“跟他们男的女的跑了很多啊!”他又恶意的捕充了一句:“全是没有钱的啊!”
“红军所好,就是不奸淫……要钱,听说日本兵奸淫……还要占物…“”
老和尚是在宣统年出的家,因为他到了民国,知道天命已尽,他还背三字经“不再传,失统绪”作根据。
他们也知道了红军改称八路军,打日本打的很好。
红军在时,屋里有人不住,住在外面。
庙墙t的诗:
客本苏省彭城氏,供事洛阳一年余,只缘日本妄侵犯,离胧逃难入蜀中。
1938.4.6
郑天挺日记>19380711
07月11日 阴历06月14日 晴
六时起。读《唐书》第五琦、刘晏、杨炎诸传。下午授课一小时,述安史之乱原因及当时河北、河南、河东情势,以为无平原常山之讨贼、睢阳南阳之拒守、太原之歼敌,则两京之收复未必如是之易也。下课后诣雪屏、莘田,谈至五时归。晚饭后莘田来,同出散步,与廉澄、从吾、佛泉遇于堤上,同坐石桥,久之归。读《唐书》。月色甚丽,数倚栏而望,不忍即睡也。
蒋中正大事长编>19380711
11日
于三民主义青年团中央团部举行首次总理纪念周中,讲「青年团的组织精神和根本任务」,旋召开临时干事会成立会。
附录
讲词要旨
(一)青年团的根本任务在培养本党新的生命,从新建立革命基础,完成国民革命的大业。(二)精神由生活表现,故本团应详定生活规律,澈底改造个人和团体的生活,以发挥革命的精神。(三)要注重管理和训练,使人人有管理事务的学识和能力,务使团内一切「人」「事」「物」澈底组织化。(四)机关即学校,办事即训练,主管干部应以训练管理人才为第1要务,尤应以身作则实行身教言教行教事教。(五)应切实养成「迅速」「确实」的办事精神,戒绝「迟钝」「敷衍」的积习。(六)青年团以「实」「速」「严」「整」为团训,亦即以此为革命办事的唯一守则。(七)希望大家开诚布公,团结一体,互助互信,共同奋斗,领导中国新进的青年,完成伟大的革命使命。
手示军令部徐永昌部长,研拟各战区游击干部训练办法。盖抗战以还,经由沦陷之志士义民所组织之游击武力,为数已达八十余万人,为统一指挥,团结一致,公已令军政、军令、政治等部研拟办法,加以整饬,兹则更着重于游击干部之训练,以求组织之强固也。
相关人物:徐永昌
出处:卷4上 232-233页
蒋中正日记>19380711
07月11日 星期一 气候晴
雪耻 义人之路,犹如黎明之光,越照越远。
预定 一、见陈文渊、朱友渔。二、派祝绍周为豫鄂陕边区绥靖主任,派刘峙为鄂湘川边区绥靖主任兼预备军司令长官。三、保护九江英法产业,勿在其房屋内作工事。四、问广西荆嗣佑之人。五、训练计划速呈核。
注意 一、敌军总司令部已由南京移芜湖。二、晋南战事。三、正太与平汉北段及芜湖与湖口间之遁动炮兵及别动队。
上午到(旧咨议局)三民主义青年团之本部纪念周,训练临时干事会成立开会,回寓会报。下午批阅,会客。
07月11日
板垣与近卫面谈至二小时之久,12日互相会议后,近卫与板垣、朱(米)内又续谈甚久,随后近卫即参见倭王,若非为对华态度与政策有所变更,决不至急速与重要如此也。而其国内之水灾天祸之严重,亦足以警戒无法无天之军阀有所悔祸也。
陈克文日记>19380711
1938年07月11日
星期一 晴
还没有起床,子封来电话,再到长江饭店,盘桓了半天。
下午因为筹备参加明年纽约博览会的事,又开了一次会。
我们存在贵州、四川的国宝,故宫的古物,要借此机会送到美国去暂时保存。
可怜这些国宝到处搬藏,竟没有一处是安全之地。
晚饭后到商业银行访李浩驹,彼最近才从香港来,任参政会秘书,谈至十一时回寓。
阎锡山日记>19380711
07月11日
打仗要先胜后战,处事要先成后做。
徐永昌日记>19380711
07月11日
11日
十一时会报,余主第1战区应向道清路及新乡以北。
第5战区应向合肥以东扩大游击。
第3战区对芜湖至香山之江面,应特指定负责司令官,配以相当平射炮及其他必需之兵械,专截击敌人运送舰
(对长江如隘路然,可以处处截敌,此法肯豪森临行一再言之者。)
以上即令行之。
昨今两日大晴,为月余来所少有,午后极燥热,室内九十度。
昨晚肠胃不适,时作疼,今日仍不愈,[泻](泄)五次。
相关人物:法肯豪森
刘友凤日记>19380711
六月十四日〔7月11日)
山西虽被日人侵占,而群黎百姓之心概不悦服,只是盼日军之败,并不盼其胜。
谓新民报所登日军之胜,多属不实。
一闻红军打死日军,莫不欣喜,众口同音。
谓日军将来必定死在中国,不得回其东洋也。
吴虞日记>19380711
06月14日 星期一 07月十一号 阴
《新闻夜报》今日满期,不再续订,以其消息类反宣传且不确实故也。
王世杰日记>19380711
07月11日
今日外长王亮畴、财长孔庸之在参政会报告外交与财政,甚为详尽。
即带秘密性之事实亦均坦然言之。
盖参政员中对于王、孔两公颇多微词,故两公发言特别详尽,以冀减少反感。
相关人物:孔祥熙 王宠惠
林献堂日记>19380711
昨夜十一时余睡去,二时半醒遂不得再睡,闻过于运动不能多睡云。
五时起床,如例通便、漱洗、运动,六时半乃往唤水龙,他已漱洗毕矣。
近七时朝餐,七时廿分由グリーンホテル出发,至中区土地会社事务所会上林国雄,观物品贩卖所,嘱其先安置「风吕」,次到「沓挂(クツカケ)驿」乘八时九分之汽车返东京。
十二时二十分抵上野驿,遂在是处食堂午餐,后余返西落合,水龙往万有制药会社出勤。
珠如、成章、阿密、富子俱出迎,略为休息。
一时余攀龙归来,遂将买别庄之事告之。
五时余水龙来,同晚餐后余招之及攀龙、珠如、成章同往目白散步,九时方返。
林献堂日记>19380711
昨夜十一时余睡去,二时半醒遂不得再睡,闻过于运动不能多睡云。
五时起床,如例通便、漱洗、运动,六时半乃往唤水龙,他已漱洗毕矣。
近七时朝餐,七时廿分由グリーンホテル出发,至中区土地会社事务所会上林国雄,观物品贩卖所,嘱其先安置“风吕”,次到“沓挂(クツカケ)驿”乘八时九分之汽车返东京。
十二时二十分抵上野驿,遂在是处食堂午餐,后余返西落合,水龙往万有制药会社出勤。
珠如、成章、阿密、富子俱出迎,略为休息。
一时余攀龙归来,遂将买别庄之事告之。
五时余水龙来,同晚餐后余招之及攀龙、珠如、成章同往目白散步,九时方返。
叶盛吉日记>19380711
澎湖岛に行く!
7月11日
星期一
床で眠が睡めた时目ざましはもう六时を指してゐた。
窗からほの明き朝の光がうつってゐた。
なんだか云はれぬ嬉しさが心から涌いて来る。
もう起きよう!
枕许には既にとゝのった荷物が行仪よくお早よう!
といってゐるかのやうにならべられてあった。
外に出て见ると颊にあたるしっとりと湿りを带びた朝の空气は凉しい。
朝食后行って来ます!
と下宿【1】のおばさんに元气よく云って出た。
足はかるく、心は勇み立つばかりであった。
朝日はその赤い颜を东にあらはした。
まぶしい光线は木々の叶の间、小屋のすき间に投げてゐた。
朝早き为か人もあまり目につかない。
驿前【2】に着くともう大分来てゐた。
必要もないのに御苦劳にも大きなトランクを下げて来てゐるのもゐた。
防水マント【3】をお巡さんのやうに肩にかけ、手提かばんと、大きなふろしき包を持ってゐて何んだか物々しい。
豫め指定のあったやうに仆达は三班に分れて列车に乘る。
もう八时すぎだ。
日の出早き夏太阳は既にまぶしく照ってゐた。
折りしも二中【4】生が列车に乘り迂んだ。
前々から犬猿の仲【5】だ。
同じく临海教育【6】の目的で行くのらしい。
汽车は间もなく台南を离れる。
窗から风が吹っこんで来て凉しい。
田は青々としてゐた。
くはをかついで呑气にてくてく牛の如く畠に向ふ百姓も少からず目につく。
泥どぶの川・水牛わらぶきの家・竹やぶがしきりに目をかすめて行く。
冈山では时しも战斗机飞び立った冈山飞行场【7】を遥かに眺める。
长くつゞく旧城【8】も异景だ。
お墓のやうな小山が长くつゞいてゐて气味がわるい。
高雄についてがや〳〵がさ〳〵下りたのは何んでも十时近くだった。
出帆におくれそうだとか云って大あわてに波止场に驱步で行く。
波壁には二、三千トン级の船から小さいボートに至るまで大小样々な船がごろごろしてゐる。
途中谁かゞトロッコ【9】のレールにつまづいてひっくり返り大笑ひした。
仆等の乘ったのは凤山丸【10】とか言ふ二千五百トン位の船でえらく古くきたない。
この船が自分の乘った船としては最大であると思ふと大きなことも言へない。
始めての大海への进出だ!
心が跃る。
朝日のあたらぬ阴のすゞしいデッキの上で友三・四人と语り合ひながら港内を眺める。
北には全山木で绿におほはれて寿山【11】が雄大なる姿で高雄を眼下に见下してゐる。
中腹には高雄神社【12】の镇座しまします神々しき森が拜される。
高雄驿【13】の屋根が黑く眠にうつる。
烟が盛んに上る!
ポンポン船【14】の音も闻える。
波の音もサーサーとひゞいてくる。
朝の空气は冷ややかだ。
眠を转んずれば、港は东に南につゞいて岛とも见えず、岬ににた、半岛でもないやうな、要するに一寸でばったところがあっちにこっちにあって、高いのやら低いのやら家がごろ〳〵建ち并んでゐる。
水色の军舰も一只目に付く。
天气清朗である。
日をうけて绵の如く浮云が小さくふわりと浮いてゐて美しい。
十时出帆!
ライオンのごとき汽笛はすごい。
ごう~~~船はゆるやかに动いて波壁を离れて行くが向きをかへるのか?
やかましい机关の音とがた〳〵ひゞくのみ。
それでもどうやら进んでゐるらしい。
长い时间して、西侧の防波堤を通过した。
いよ〳〵大海にのり出たのだ。
海ははてなくつゞいて青い。
遥かにジャンク【15】の帆や、船の烟のほそく上るのが见える。
波があらい!
船は高くもち上げられたり下されたりでエレベーターのやうだ!
これにはよはずに居れまい。
まして、始めての仆等だ。
波はだん〳〵荒くなる一方だ。
もうたまらぬとてふら〳〵船室でごろ!
と横になってゐる者が多い。
どうも船室もくさい。
あつく地狱の如しだ。
勿论货物船【16】を变へた船の三等だからまあいゝとしてグウ〳〵横になってのびてゐる奴の气が知れない。
えらく无神经らしい。
同じ横になってのびてはゐるが、仆は二甲板でごろりと横になった。
横になると气持のよいもので凉しい风が寒くなる位に吹いてくる。
高雄の港はもうかすんで见えない。
独り寿山が台湾の代表なりとでも云ひたげな样子で船のあとを追って来てゐるやうだ。
头ががん〳〵する。
はけば气持がよくなるといふので指をのどに入れて无理やりつゝこむ。
はいた后は气持がよいが腹がへる。
あっちでもこっちでもはいてゐるのが目につく。
ボーイに冷サイダーをたのんだがうまいのは半分だ。
半分のむともうのむ气がしない。
なんだかにがい舌ざわりもした。
船より出した昼めしも食ふ气がしない。
もっとも食ふ人もほとんど居らんかったが!
午后になってから波は大へん静かになった。
四面どこを眺めたって海だ!
もう台湾の山々にはとうに别をつげた。
海又!
海!!
何一つ目に见えない。
この附近は深いのか海があゐ色のやうな真青な色をしてゐて、あざやかで面白い。
船室の丸い小窗からのぞくと、うねうねと波のたつ海面をすれ〳〵に行ってゐるやうだ。
大海がすぐ手さきに见える。
船のゆれるたんびに海が斜めに见える。
午后二时顷からは右に左に小さい岛が时々目にはいる。
气の早い连中は今度こそ澎湖岛だ!
と盛んに骚いだりデマをとばしたりしてゐる。
しかしそれは单なる一小岛にすぎなかった。
目ざす澎湖の岛は午后四时顷に北方にかすかに见えて来た。
船は盛んに白いペンキをぬってゐた。
もうこのときにはごろ〳〵连中も大分、“澎湖岛どれか!
あれか!”なんとか青い颜をしながら甲板に出て来た。
岛は一刻々々近づき来る!
やがてそれは巨大なる岛の几つかのあつまりだった。
溶岩台地【17】だと地理でおそはった如く、一面に头をけづったやうに平だ。
岛の腹は赤茶に见える。
夕日をあびたのか?
岛はだん〳〵近づき来る!
もうはっきり见えた。
渔村か!
小さい家のかたまってゐるのが所々に见える。
未だ见たことのないさびしい绝海の孤岛なるこの岛にこれから一周间も居るのかと思ふと、何だかたよりないやうな淋しいやうな气が起る。
故乡恋しの情迫る。
见る〳〵船は岛に近づき湾に{は}入りて定[停]はくす。
东の方は海军の要港司令部【18】の建物が雄大にそびえてゐる。
その向ひの西北の岸にごろ〳〵と家がつゞいて、しかも二阶建のわづかに目につくのは马公街だ。
湾内は军舰も大きな船も目につかなかったが小さい舟も多数つながれてあった。
小型蒸气船・ポンポン船・ボート等々……湾内のせいとんされざるきたないのに对し、神の与へか、海水はすきとほらんばかりにきれいだ。
海底は溶岩のかたまりらしい。
ポンポン船に乘りうつりて马公の地に第一步をふむ。
あまり龙宫だとは思はれない小さい街だ。
【19】部落のやゝ进步したところだ。
道はせまく、木々の绿りもあまり目につかない。
これは后に闻いた话だが、澎湖岛は冬风速十メートル位の风がびゅう〳〵吹くさうだ。
これぢや木の生えるわけがない。
しかし街はきたなくていやだが仕方がない。
马公!
马公!
この马公に仆等は一周间をたのしく送らんとするのだ。
ごそ〳〵と荷物をもって、二列にならび、马公の大通り!
といっても小道だがを步いて!
一分位!
ちょっと横っちよに入る。
“一・二・三”といふ札のかゝってゐる家【20】にはいって阶段を上り、休憩所のやうなちょっと广い二つにしきられた室に案内される。
うすぎたないなあ!
これが我々四〇何名かの一周间の本阵だ。
着いてごた〳〵しながら风吕にはいり、夕饭を食ふ。
船によひしか、うまくのどをとほらない。
中学生の饭时の骚は庄[壮]观な手のつけられないものだ。
夜先生より部屋の割合てやらいろ〳〵の注意をして疲れてゐるだらうからと云って早く寝る。
女中が下から赤い毛布をもってくる。
兴奋色だ!
早くから横になったものの旅の初夜尽きぬ话を语りつゝねむれなかったが、何时の间にやら梦路をたどった。
要去澎湖岛!
在床上醒来时,闹钟已经指着六时。
一道微亮的曙光由窗外射入。
心中涌出难以言喻的欢愉之情。
应该要起床了!
在枕头旁已放着准备好的、仿佛礼貌地说著「早安!”的行李。
一走出外面看看,湿润的清晨空气吹在脸颊上是凉快的。
早餐后,充满精神地向租屋处的阿姨说“我要出门了!”,就出去了。
脚步轻快,心情雀跃不已。
朝阳在东边露出了红色的容颜。
耀眼的光线从树叶间、小房子的缝隙间投射出。
不知道是不是因为时间太早,看的人也寥寥无几。
抵达火车站前时,大部分的同学已经来了。
虽然没必要,有的同学却还是辛苦地拿着大旅行包来。
又另一个同学如巡查般的将防水披肩(斗篷)披在肩上,且拿着手提包与大包袱,总觉得很夸张。
依照预先的指定,我们分成三班搭乘火车。
已经过八时了。
日出较早的夏天太阳,其阳光已经灿烂地照耀着。
正好(台南)二中的学生也上车了。
我们很早以前就已经水火不容了。
看来他们似乎也一样为了临海教育的目的而去。
火车即将要离开台南。
风由车窗吹进,感到凉爽。
稻田绿意盎然。
也看到不少农夫扛着锄、如牛一般悠闲地一路走到田园。
不断地看见浑浊的河川、茅草屋顶的牛舍与竹丛。
在冈山眺望恰好那时有战斗机起飞的冈山机场。
连绵的旧城也是特别的景象。
像坟墓般的小山连绵不绝,总让人有种不寒而栗的感觉。
抵达高雄,我们在鼎沸喧嚣的声音中终于下车时,似乎快十时了。
有人说恐怕赶不上启航时间什么的,于是慌慌张张地快步去码头。
在码头那边,从二、三千吨级的船到小船,有许多大小不一的船只。
前往码头的途中,有人被敞篷货车的铁轨绊到而翻倒,我大笑了。
我们所搭乘的是名为凤山丸的船,约两千五百吨,非常老旧又肮脏。
想到这艘是自己曾搭乘过的船只中最大的,就无话可说了。
这是我第一次出大海!
心里激动不已。
在朝阳照不到的阴凉甲板上,我与三、四个同学边交谈边眺望港内。
在北边,整座被翠绿的树木覆盖的寿山,以高大雄伟的姿态,俯瞰着眼下的高雄。
又望见山腰处,高雄神社镇坐在神圣的森林中。
高雄火车站的黑色屋顶映入眼帘。
烟往上猛冒着!
也听到小型轮船的声音。
耳边又传来沙沙的海浪声。
早上的空气很清凉。
转眼看,港口从东边延续至南边,连岛屿也看不见,像是岬角,又不像是半岛,总之到处都有稍微突出的地方;
高高低低的房子也鳞次栉比。
一艘浅蓝色的军舰也引人注目。
天气清朗。
照到日光、看似棉花般的小浮云轻飘飘地浮着,很美丽。
十时起航!
像是狮子吼般的汽笛,非常大声。
吼吼吼……。
船缓缓地行驶,离开码头,但不知船会不会改方向?
只是机械咔塔咔塔轰隆作响的声音而已。
船还是好像在前进。
花了很长的时间,才通过西侧的防波堤。
终于出大海了。
蓝色的海,连绵不断、无边无际。
看得到在远方的戎克船的船帆、一丝丝的船烟上升。
波涛汹涌!
船身跟随波浪上上下下摇动,就像是电梯一样。
这样让人忍不住晕船。
况且是第一次搭船的我们。
波浪愈来愈猛烈。
很多人说已经无法忍受,倒在船舱起不来。
总觉得船舱也很臭,热到像是地狱一样。
当然这是把货船改装成客船的三等舱,这件事就暂且不谈了,不过我实在无法了解那些躺着鼾睡的家伙在想什么。
看来他们真是神经大条。
虽然我也跟那些人一样躺着动弹不得,但我在第二甲板上就随便躺下来了。
躺下后,真是舒服,凉风吹得令人感到寒冷。
高雄港已经渺渺茫茫看不到了。
看似只有寿山好像想说“我是台湾代表”的样子跟随船后。
我头痛得厉害。
因为有人说吐出来就会舒服些,我就将手指放入喉咙,勉强地再伸进去。
虽然呕吐后感到舒服些,但肚子却会饿。
到处看见有人在呕吐。
我向男服务生点了冰苏打水,但只有一半是好喝的。
喝到一半,已经不会再有继续喝的念头了。
舌感总觉得有苦味。
也不想吃船上提供的午餐。
总是,几乎没什么人要吃东西!
到了下午,波浪变得非常平静。
望向四周,都是海。
早已告别台湾一座座的山了。
海,又是海!!
看不到任何一个东西。
或许是因为这附近很深,蓝色的海带着宛如碧蓝的颜色,很鲜艳,引人入胜。
从船舱的圆形小窗窥见,船似乎贴近在波浪汹涌的海面上行进。
大海就像手指可触地近在眼前。
每当船摇摇晃晃的时候,海就看似斜斜的。
约下午两时开始,左右两侧的小岛偶而映入眼帘。
性急的同伴以为这次就是澎湖岛!
他们大声吵闹、胡说等。
但那只不过是一座小岛罢了。
到了四时左右,我们的目标澎湖岛朦朦胧胧地出现在北方。
船像刷油漆般的猛冒著白烟。
此时,原本倒下来的同伴也一边露出苍白的脸孔,一边说“哪座是澎湖岛?
就是那座吧?”,总算出来到甲板上了。
岛一刻刻地接近!
那正是由几座岛屿聚集而成的。
诚如上地理科时学过澎湖是熔岩台地,一大片像铲平过的头般平坦。
岛中央看来是红棕色。
是因为夕阳西晒的关系吗?
岛愈来愈迫近!
已经清楚地看见了。
是渔村啊!
处处看见小房屋紧紧挨在一起。
想到此后要在这座未曾看过的、远海上的孤岛逗留一周,心里就涌出一股又担心又寂寞之感。
不禁流露出怀乡的情思。
看着看着,船接近岛屿,航入港内而停泊。
海军要港司令部的建筑物巍巍耸立在东边。
在其对面西北海岸的房屋栉比鳞次,且要在马公街才能看见些许二层楼的建筑物。
不论是军舰还是大船在港内都很少看到,但许多小舟被停靠在岸边。
如小型蒸气船、小型轮船、小船等等。
港内杂乱无章,相对于此,海水清澈美丽,这或许是天赐的吧。
听说海底是由熔岩凝结成的。
再转乘小型轮船后,开始了踏上马公土地的第一步。
马公却是一个几乎无法让我联想到龙宫的小镇。
是个聚落稍微发展的地方。
道路狭窄,几乎看不到树木的绿意。
这是后来才听到的故事,听说澎湖岛在冬天吹风速十公尺左右的强风。
这样的话,树木不可能生长。
虽然街道肮脏,令人感到讨厌,但没办法了。
马公!
马公!
我们正要在这个马公度过愉悦的一周。
我们匆匆地拿着行李,排成两纵行后,走向马公大街去了!
虽说是大路,却只是小路!
走了一分钟左右之后,走进大街旁的巷子。
进入挂着上面写“一、二、三”牌子的家里,爬上楼梯后,被接待到像是休息室般的、稍宽且隔成两间的房间。
污秽肮脏!
这间就是我们四十几名未来一周的大本营。
抵达后,我们纷乱无序地泡澡后,吃晚餐。
或许是因为晕过船,我吃不太下。
中学生在用餐时的喧闹,很壮观,手足无措。
晚上老师提醒房间的安排等种种注意事项,也说大家应该疲倦了,于是我们决定早点就寝。
女侍者从楼下带红色毛毯来。
让人兴奋的颜色!
虽然很早就躺下,但与同学谈论旅游第一夜的聊不完的故事,导致睡不着,后来不知不觉地进入梦乡。
▇注解
【1】下宿:为“赁居处”之意。
根据〈叶盛吉文书〉之年表与南一中毕业名录所示,记主原先居住于新营,到位于台南市的台南一中距离较远,通学不便,因此到台南市租屋居住以便通学。
(台湾史档案资源系统,〈叶盛吉文书〉,2016.2.19阅览,http://tais.ith.sinica.edu.tw)
【2】驿前:日文称火车站、地铁站为“驿”,因记主当时就读台南一中,故同学集合出发地点应系指“台南火车站”站前。
当时台南火车站甫于1936年完成更新工程不久,且几乎保持当时样貌至今。
(宇敷赳夫,〈台南驿改筑工事に就て〉,《台湾建筑会志》,第八辑第三号(1936.6),页194-197)
【3】防水マント:防水的宽松外套、防水斗篷。
“マント”,manteau(法文),在日本特别是指没有袖子的外套。
为幕末传入日本的法式陆军用语,明治末期到大正初期的中小学校以及旧制高中男学生使用黑色的防寒斗篷,二次大战后的现在则成为一般女性等的时尚物件。
(ジャパンナレッジ(JapanKnowledge),《日本大百科全书》、《日本国语大辞典》,マント,2016.2.18阅览,http://japanknowledge.com)
【4】二中:即“台南州立台南第二中学校”,今日的国立台南第一高级中学。
1922年因新台湾教育令的颁布,在台湾各地设立内台共学制之中学校。
二中即为此背景下创设的中学五年制学校(战时缩短为四年制),专提供台湾本地人就学。
(台南第一高级中学,2016.2.18阅览,http://www.tnfsh.tn.edu.tw)
【5】犬猿の仲:日语惯用句。
如同狗跟猴子互相咆哮的交情,意指关系不好、如水火不相容般的关系。
一中与二中不和,可能因一中多为日籍学生,台籍是少数;
而二中多为台籍学生之故。
(ジャパンナレッジ(JapanKnowledge),《日本国语大辞典》,けんえんの仲,2016.2.18阅览,http://japanknowledge.com)
【6】临海教育:当时中学校所实施的一种生活教育课程。
夏季时期,在海边以增进健康、游泳训练、理解海洋为目的,展开特别的教育计画。
(《广辞苑》第五版电子辞典,临海学校)可说是因应日本与台湾四面环海的岛国环境,培养学生亲水的习惯与冒险精神。
早期于河川进行游泳训练,后来直接到海滨进行教育。
学生参与临海教育前需经身体检查方能前往。
台籍学生约至1910年代中期至1920年代开始参与临海教育。
(林玫君,〈日治时期台湾的临海教育〉,发表于国立台湾师范大学台湾史研究所主办之“近代东亚的教育与社会”国际学术研讨会,2015年11月13日,页1-7)
【7】冈山飞行场:位于今高雄市冈山区,于1936年开始筹建,1938年04月01日附属于马公要港部之“高雄海军航空队”进驻,故当时为军用机场,在当时之一级机场中跑道数排名第二,仅次于新竹机场。
1939年以后曾有民航机起降,同时为战后所保留的少数机场之一。
机场旁之六十一海军航空厂,为当时台湾最大飞机维修、装配厂,第二次世界大战末期成为美军主要攻击目标。
日治时期是驻台日军的航空重镇,1949年成为今日之空军官校与冈山基地,继续成为我国空军的重要基地与训练场地。
(杜正宇等着,《日治下大高雄的飞行场》,台北:新锐文创出版,2014,页118-198;
洪致文,《不沈空母——台湾岛内飞行场百年发展史》,台北:自刊本,2015,页167-187)
【8】旧城:指清代所营建的凤山县城,即今高雄市左营区所保留的凤山县旧城门与城墙遗迹。
清朝所建之凤山县城分有“旧城”与“新城”两处,旧城为清政府统治台湾后凤山县第一处县城所在,奠基于一七二二年间首次兴筑土城的基础上。
林爽文事件后县城迁移至今日高雄市凤山区,是为“新城”。
一八〇七年蔡牵事件平定后重修旧城,但县治却留在新城不愿迁回。
故留有旧城遗迹的左营又有“旧城”之称。
(刘淑芬,〈清代凤山县城的营建与迁移〉,《高雄文献》第二十、二十一期合刊(1985.1),页6)
【9】トロッコ:原指轻便铁道或是产业、军用铁道上所使用货车,或是以人力手压式的台车。
在此应系指连接高雄火车站与港边码头的铁路侧线,藉此将货物载送至港边,以人力或机械吊装至船上。
(ジャパンナレッジ(JapanKnowledge),《日本大百科全书》,トロッコ,2017.1.26阅览,http://japanknowledge.com)
【10】凤山丸:属大阪商船株式会社所有,由川崎造船所制造,于1907年下水启用,总吨数二、五〇九吨,最初航行福井—浦盐斯德(海参崴)航线,1937年02月09日,高雄马公间定期船只壹岐丸退役后,便改由凤山丸接替。
在《跃进台湾大观.续々篇》中介绍凤山丸为小型船,为高雄马公间的唯一连络船,每年04月至09月的每周一、三、五上午十时从高雄港出发,翌日早上七点到达马公。
(郭志成编,《澎湖县志杂志卷十五》,澎湖:澎湖县政府,1991,页117;
冈田俊雄编,《大阪商船株式会社80年史》,大阪:大阪商船三井船舶株式会社,1966,页94;
中外每日新闻社编,《跃进台湾大观.续々篇》,东京:中外每日新闻社,1941,页408)
【11】寿山:又称柴山。
原名打狗山,一向是打狗地区(今高雄)之象征。
随日人于1920年将地名由“打狗”改为“高雄”,此山亦于次年改称“高雄山”。
1923年04月29日,时任台湾总督田健治郎在当时皇太子(即后来的昭和天皇)巡视台湾,登高雄山后,承皇太子之命发布告示,谕令将“高雄山”改称为“寿山”(ことぶきやま)迄今。
(〈高雄山ヲ寿山ト改称〉,《台湾总督府府报》号外,1923年04月29日发行,页1;
高雄神社造营奉赞会编,《高雄神社造营志》,高雄:高雄神社造营奉赞会,1930,页23)
【12】高雄神社:初建于1912年之“打狗金刀比罗神社”于打狗山(今寿山)山脚,1920年增祀北白川宫能久亲王,并随地名而改称“高雄神社”,1928年迁至寿山之半山腰。
1932年升格为“县社”为日本当时的神社等级(社格)制度中,属于全县(相当于台湾当时的“州”)等级的神社。
战后拆除改建为忠烈祠。
(高雄神社造营奉赞会编,《高雄神社造营志》,页7-8)
【13】高雄驿:1938年当时之高雄站并非今日位于三民区之高雄火车站,而是位于鼓山区接近港边(今日之捷运西子湾站),启用于1900年的旧高雄站。
1941年新高雄站(今日之高雄车站)正式营运后,旧高雄站改称“高雄港站”。
原先之线路亦降格为临港支线,并于二〇〇八年废除。
二〇一〇年,原高雄港站(1941年以前的高雄站)改为今日之“打狗铁道故事馆”。
(林栭显,《台湾铁路管理局所属车站之沿革》,南投:国史馆台湾文献馆,2006,页276-281)
【14】ポンポン船:亦作“ポンポン蒸气(じょうき)”,装设热球式内燃机(发动机、柴油机)(hotbulbengine),以较便宜且较粗糙的重油为燃料的小型蒸汽船。
多用于小型渔船或驶行于河川、沿岸,用以载货、运输旅客的输送船上。
“ポンポン”为内燃机运转行走时的声音。
(ジャパンナレッジ(JapanKnowledge),《日本国语大辞典》,ポンポン蒸气,2016.2.18阅览,http://japanknowledge.com)
【15】ジャンク:英语将中国传统帆船称为junk,一说来自“船”的闽南语发音“tsûn”。
日本则以音译套上汉字称为“戎克船”。
为中国水域广泛使用数千年的帆船总称。
因此亦有人反对原本属于中国之物却以“外来语”称呼,应称“中国帆船”、“华舶”之类的名称。
(ジャパンナレッジ(JapanKnowledge),《日本大百科全书》,ジャンク,2016.2.18阅览,http://japanknowledge.com)
【16】凤山丸在大阪商船公司的分类中属客货两用船。
此处应系记主本身之主观感受。
(冈田俊雄编,《大阪商船株式会社80年史》,页720)
【17】溶岩台地:澎湖地形属海底火山喷发凝结后所形成之玄武岩熔岩台地地形,远观如方正之平台,又称“方山”。
部分地区如西屿果叶、桶盘屿有高耸之柱状玄武岩节理地形,成为澎湖特有之自然景观。
记主对澎湖地形印象之描述可说相当逼真。
(澎湖国家风景区全球资讯网,2016.3.3阅览,http://www.penghu-nsa.gov.tw)
【18】要港司令部:即“马公要港部”,为台澎地区的第一个海军基地。
早在1897年,海军大臣西乡从道便建请将澎湖妈宫设为要港(《陆军省壹大日记》,1897年04月08日),1898年乃木希典总督将澎湖湾内的小案山岛规划为海军马公要港部,1901年天皇敕令核准设立“马公港要港部”基地,并更名为“测天岛”。
战后由中华民国政府海军接收并成立“海军第二造船厂”和“澎湖海军司令部”,目前为海军一四六舰队驻扎。
(〈御署名原本・明治三十四年・敕令第百四十号・澎湖岛马公ヲ要港ト为シ其境域ヲ定ム〉,JACAR(アジア历史资料センター),2016.3.2阅览,http://www.jacar.go.jp,档号:Ref.A03020504300;
澎湖县政府,澎湖开拓馆政治军事篇,2016.2.18阅览,http://www.penghu.gov.tw)
【19】根据日治时代澎湖大久保百货于1935年所发行的风景明信片,早在当时就已借用日本民间传说《浦岛太郎》故事典故,以“龙宫”作为澎湖的观光象征口号。
关于“龙宫”之称,于一九三三~1937年之间,澎湖马公小西门顺承门之旧照说明,亦提及日人觉得从海上观看澎湖城门和邻近海岸的马公市街有如海市蜃楼,令人联想到浦岛太郎的传说,故日本许多关于澎湖的文献皆以“龙宫城”称之。
(澎湖厅编,《澎湖事情》(三),澎湖:该厅,1936,页127-129)
【20】日本人会在住家门口挂上住户之姓名的门牌,称之为“门札(もんさつ、かどふだ)”。
(ジャパンナレッジ(JapanKnowledge),《日本国语大辞典》,门札,2016.2.18阅览,http://japanknowledge.com)
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| no | 入藏登录号 | 卷名 | 档案系列 | 题名摘要 | 卷件开始日期 | 卷件结束日期 | 数位典藏号 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 13229 | 002000000207A | 筹笔-抗战时期 (十四) | 蒋中正总统文物-筹笔-抗战时期- | 蒋中正电何应钦令各军注重马匹调养速定调养骡马奖惩与检查办法 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-010300-00014-021 |
| 13230 | 002000000207A | 筹笔-抗战时期 (十四) | 蒋中正总统文物-筹笔-抗战时期- | 蒋中正电林蔚取消巩洛警备司令祝绍周职务移交司令长官部 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-010300-00014-022 |
| 13231 | 002000000207A | 筹笔-抗战时期 (十四) | 蒋中正总统文物-筹笔-抗战时期- | 蒋中正电令康泽登报取消别动总队擅委司令以后不得再行擅委 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-010300-00014-023 |
| 31231 | 116000000142A | 全面抗战敌反攻晋南各役案(一) | 阎锡山史料-文件-电报-要电录存 | 阎锡山电蒋中正等下马西羊村茶坊等地之敌经旬血战毙敌甚众刻已成包围之势 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-091 |
| 31232 | 116000000142A | 全面抗战敌反攻晋南各役案(一) | 阎锡山史料-文件-电报-要电录存 | 阎锡山电金师长整军拒敌殊堪嘉慰希仍倍加努力 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-092 |
| 31233 | 116000000142A | 全面抗战敌反攻晋南各役案(一) | 阎锡山史料-文件-电报-要电录存 | 阎锡山电蒋中正等阳城方面之敌退回晋城即向清化退去刻晋城仍残留数百名 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-093 |
| 31234 | 116000000142A | 全面抗战敌反攻晋南各役案(一) | 阎锡山史料-文件-电报-要电录存 | 卫立煌电阎锡山闻喜香山寺被敌攻陷续向泉头进犯与我军激战中 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-094 |
| 31235 | 116000000142A | 全面抗战敌反攻晋南各役案(一) | 阎锡山史料-文件-电报-要电录存 | 郭宗汾电阎锡山敌在西河滩掩护割麦我便衣队袭击毙敌三十六 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-095 |
| 31236 | 116000000142A | 全面抗战敌反攻晋南各役案(一) | 阎锡山史料-文件-电报-要电录存 | 续范亭电阎锡山我军将清源城出城之敌百余全部击溃 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-096 |
| 31237 | 116000000142A | 全面抗战敌反攻晋南各役案(一) | 阎锡山史料-文件-电报-要电录存 | 王靖国电阎锡山离石之敌三十余进攻马茂庄被我便衣队击退 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-097 |
| 31238 | 116000000142A | 全面抗战敌反攻晋南各役案(一) | 阎锡山史料-文件-电报-要电录存 | 续范亭电阎锡山我军在平遥香乐村伏击火车毙敌二十余 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-098 |
| 31239 | 116000000142A | 全面抗战敌反攻晋南各役案(一) | 阎锡山史料-文件-电报-要电录存 | 蒋中正电阎锡山第二战区除以必要兵力扼守据点外须加紧游击战 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-100 |
| 26512 | 001000001606A | 兵役法案(二) | 国民政府-总类-国防法令-兵役法令 | 国民政府指令行政院据军政部呈送兵役法施行暂行条例修正草案请鉴核备案暂准备案 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-012330-00005-013 |
| 26513 | 001000001632A | 惩治偷漏关税暂行条例 | 国民政府-总类-财政法令-财政法令总目 | 行政院长孔祥熙呈国民政府据财政部呈以惩治偷漏关税暂行条例施行期间拟请再予延长一年等情转呈核准施行 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-012400-00001-021 |
| 26514 | 001000001815A | 电政法令制定(八) | 国民政府-总类-交通法令-电信法令 | 行政院长孔祥熙呈国民政府林森有关军事委员会函送非常时期全国电信统制办法呈备案 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-012720-00008-033 |
| 26515 | 001000002021A | 中国国民党地方党务案(一) | 国民政府-总类-地方党务-地方党务总目 | 行政院长孔祥熙呈国民政府为奉令发省党部省政府联席会议要旨已通饬施行 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-014200-00001-003 |
| 6276 | 002000000359A | 革命文献-抗战方略:敌后作战 | 蒋中正总统文物-革命文献-抗战时期- | 蒋中正条谕徐永昌研究办法令各战区长官召集训练整顿或来武汉受训 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-020300-00005-016 |
| 6277 | 002000000361A | 革命文献-抗战方略:整军 | 蒋中正总统文物-革命文献-抗战时期- | 蒋中正条谕白崇禧各军师旅团营长无论前后方部队必须抽调加紧训练 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-020300-00007-027 |
| 6278 | 002000000397A | 革命文献—对苏外交:军火货物交换 | 蒋中正总统文物-革命文献-抗战时期- | 杨杰电蒋中正第一第二两次借款条约草案苏俄已审毕即可签字生效 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-020300-00043-057 |
| 6279 | 002000000399A | 革命文献—对法外交 | 蒋中正总统文物-革命文献-抗战时期- | 宋子文电蒋中正有关孙科来电在法国与达拉第洽谈各节是否杨杰参预其间 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-020300-00045-024 |
| 2261 | 001000003640A | 民国二十五年国庆授勋(三) | 国民政府-人事-勋奖-颁授勋章(以勋章名称细分) | 国民政府文官处函考试院为陈介晋授勋章案兹准外交部函送相片送请转行铨叙部填给受勋证书 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-035111-00050-023 |
| 2262 | 001000003667A | 颁赠外员勋章(八) | 国民政府-人事-勋奖-颁赠外员勋章 | 国民政府文官处函参军处为蒲苏鲁马寿年勋章除送军委会查收转发外相应列单查照登记 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-035113-00010-018 |
| 2263 | 001000003667A | 颁赠外员勋章(八) | 国民政府-人事-勋奖-颁赠外员勋章 | 国民政府文官处电军事委员会铨叙厅为蒲苏鲁马寿年之云麾勋章经派秘书朱文中乘机专送适因该机损坏改于明晨乘机来汉 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-035113-00010-022 |
| 3277 | 001000003907A | 革命先烈先进褒恤公葬案(十四) | 国民政府-人事-褒恤、丧葬-褒恤、丧葬总目 | 国民政府主计长陈其采呈国民政府主席林森为黄隆生公葬费援照董修武公葬费案办理并令行政院监察院考试院分别转饬知照 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-036000-00125-021 |
| 737 | 001000004080A | {#刘湘#}国葬案 | 国民政府-人事-丧葬-国葬 | 国民政府文官处函行政院为奉颁四川省政府刘故主席湘国葬典礼办事处关防小章请查收见复 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-036320-00012-042 |
| 5658 | 002000000610A | 事略稿本-民国二十七年七月 | 蒋中正总统文物-文物图书-稿本(一)- | {#蒋中正#}赴三民主义青年团团本部纪念周训话以青年团的组织精神和根本任务为题,蒋中正手谕{#何应钦#}通令各炮兵团营长注重马匹之调养检查并由军政部速定调养骡马之奖惩办法与马政司轮流定期检查办法又手谕{#林蔚#}应即取消{#祝绍周#}之巩洛警备司令名义其职务移交可司令长官部等 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-060100-00130-011 |
| 4563 | 001000005763A | 军事学校申请保送 | 国民政府-国防(军事)-军事院校-军事院校总目 | 黄炜呈国民政府主席林森为请准入陆军大学将官班接受军事常识 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-074200-00001-006 |
| 4564 | 001000005849A | 中央机关人员疏散(四) | 国民政府-国防(军事)-民防-疏散 | 王汝翼呈国民政府文官长魏怀为撤回服务团登记表并检具现在工作证明文件 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-077550-00004-035 |
| 1444 | 001000005891A | 公教人员薪资所得税 | 国民政府-财政-直接税-报酬、薪资所得 | 国民政府文官长魏怀函财政部所得税事务处四川办事处为二十六年六月至十二月份薪给所得税表单查所送表单间有不符一案自应照办开单函达查照 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-081112-00001-019 |
| 50823 | 002000001888A | 一般资料—呈表汇集 (七十二) | 蒋中正总统文物-特交档案-一般资料- | 张嘉璈等呈蒋中正拟于七月五日拆迁大冶厂矿并附大冶各厂矿机件运输办法等文电日报表等二则 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-105 |
| 50824 | 002000001888A | 一般资料—呈表汇集 (七十二) | 蒋中正总统文物-特交档案-一般资料- | 张嘉璈等呈蒋中正调整西南物资运输情形应先抢运至株州以南各站或以四分之一为度运至长沙文电日报表 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-106 |
| 50825 | 002000001888A | 一般资料—呈表汇集 (七十二) | 蒋中正总统文物-特交档案-一般资料- | 郭汝栋等呈蒋中正请再给病假一月并以萧毅肃代理军长职务等文电日报表等二则 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-107 |
| 50826 | 002000001888A | 一般资料—呈表汇集 (七十二) | 蒋中正总统文物-特交档案-一般资料- | 陈仪等呈蒋中正已派员侦察闽东共党残部活动情形及请令别动总队前往人员先来福州一谈等文电日报表等二则 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-108 |
| 50827 | 002000001888A | 一般资料—呈表汇集 (七十二) | 蒋中正总统文物-特交档案-一般资料- | 庞炳勋呈蒋中正请饬发步枪三千八百枝轻机枪二百三十四挺重机枪五十二挺等各式武器文电日报表 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-109 |
| 50828 | 002000001888A | 一般资料—呈表汇集 (七十二) | 蒋中正总统文物-特交档案-一般资料- | 阎锡山等呈蒋中正请酌发陈奇司修筑黄河河防工事伙食及材料费等文电日报表等二则 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-110 |
| 50829 | 002000001888A | 一般资料—呈表汇集 (七十二) | 蒋中正总统文物-特交档案-一般资料- | 何应钦呈蒋中正请饬拨七月份应需战务费及增加经费数目文电日报表 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-111 |
| 50830 | 002000001888A | 一般资料—呈表汇集 (七十二) | 蒋中正总统文物-特交档案-一般资料- | 贺国光呈蒋中正关于范绍增部请准拨每月六万元编成师及拟以马昆山为师长事文电日报表 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-112 |
| 50831 | 002000001888A | 一般资料—呈表汇集 (七十二) | 蒋中正总统文物-特交档案-一般资料- | 蒋鼎文呈蒋中正拟于天凤公路先铺砂石一层俟路基沉实再筑正式路面文电日报表 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-113 |
| 50832 | 002000001897A | 一般资料—呈表汇集 (八十一) | 蒋中正总统文物-特交档案-一般资料- | 毛庆祥呈蒋中正决定军事委员会统辖下各机关临时设置昆明等敌方情报及敌将华北法币携沪调换外货并彻底统制节用铁料等情报日报表等九则 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00508-009 |
| 14663 | 002000002105A | 对英法德义关系 (六) | 蒋中正总统文物-特交文电-领袖事功-革命外交 | 宋子文电蒋中正查石曾于七日抵马赛即赴日内瓦参加文化会与国际诸友商决 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090103-00016-120 |
| 14664 | 002000002136A | 领袖指示补编 (十三) | 蒋中正总统文物-特交文电-领袖事功-领袖指示 | 蒋中正电重庆行营查抗战建国纪念日各界人士踊跃捐输奉献兹规定各军事机关学校及未入战斗序列部队官佐献金办法以每人一日所得为最低标准请转饬所属遵照 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090106-00013-009 |
| 10015 | 002000002183A | 八年血债 (二) | 蒋中正总统文物-特交文电-日寇侵略-日寇侵略 | 刘戡电蒋中正何应钦陈诚称敌第一○八师团两联队配合炮骑由济源西犯我军围攻于邵源镇迤西地区激战十日因敌援大至奉命向垣曲北侧山地转进 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00026-106 |
| 10016 | 002000002183A | 八年血债 (二) | 蒋中正总统文物-特交文电-日寇侵略-日寇侵略 | 阎锡山电蒋中正称据杨集贤电朔县县长称敌在井坪放散含毒食盐毒死甚多村民 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00026-163 |
| 10017 | 002000002187A | 八年血债 (六) | 蒋中正总统文物-特交文电-日寇侵略-日寇侵略 | 鹿钟麟电蒋中正转报田家宾部多系土匪人数千余枪枝多系土造与民众情感恶劣秩序不佳等郓城城武菏泽敌情 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00030-183 |
| 10018 | 002000002197A | 八年血债 (十六) | 蒋中正总统文物-特交文电-日寇侵略-日寇侵略 | 顾祝同电蒋中正称王东原受令驱逐王斯温桥等以北地区之敌掩护我军左侧背之安全并派员于曹羊桥收容整理二十六师零星散兵等情 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00040-119 |
| 10019 | 002000002199A | 八年血债 (十八) | 蒋中正总统文物-特交文电-日寇侵略-日寇侵略 | 阎锡山电蒋中正二日徐海东旅围攻义城村杨城北之敌并击退沁水方向敌之援军等情 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00042-170 |
| 10020 | 002000002200A | 八年血债 (十九) | 蒋中正总统文物-特交文电-日寇侵略-日寇侵略 | 顾祝同电蒋中正由虹口开往南京之敌约五万均携新式武器及杭郊闸口等处敌方向供宸桥射击似有南犯企图等情 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00043-138 |
| 10021 | 002000002200A | 八年血债 (十九) | 蒋中正总统文物-特交文电-日寇侵略-日寇侵略 | 阎锡山电蒋中正第二战区王靖国军六月在离石李家湾王家榻伤兵与消耗弹药情形 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00043-226 |
| 10022 | 002000002204A | 八年血债 (二十三) | 蒋中正总统文物-特交文电-日寇侵略-日寇侵略 | 李宗仁电蒋中正据报颖上县受日机两次轰炸计有八○二灾户三九九九受灾人口三八八一间屋毁七十八人死亡九十九人受伤 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00047-053 |
| 1257 | 002000002497A | 俄帝侵华罪行 (四) | 蒋中正总统文物-特交文电-俄帝阴谋-俄帝阴谋 | 杨杰电蒋中正第一第二两次借款条约草案苏方审查已毕伏罗希洛夫称专候我方认可答覆后即可签字生效现各货已开始准备在此准备期内拟请准暂离此赴法 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090400-00007-159 |
| 6529 | 008000001848A | 往来函电(二十一) | 陈诚副总统文物-文件-书函与日记-函电与函件 | 陈诚签蒋中正检呈边疆政治工作计画及边疆民族训练计画 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 008-010202-00021-001 |
| 19020 | 017000019020A | 各路工程合同-交通部总务司机要案卷合同(2) | 交通部 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | ||
| 405 | 001000003987A | 节孝教子题颁匾额案(二) | 国民政府-人事-褒扬-匾额、题赠 | 行政院院长孔祥熙呈国民政府为褒扬四川广安县邱唐居贞请题颁匾额 | 1938/07/11 | 1938/07/13 | 001-036180-00025-003 |
| 4489 | 001000004810A | 各机关团体及个人捐款(二) | 国民政府-内政-社会运动-捐款 | 国民政府文官处函军事委员会办公厅为广东省台山县白水市昌蕃学校电为旅美纽约埠昌蕃协进会侨胞第二次捐款一案奉交查收掣据 | 1938/07/11 | 1938/07/13 | 001-054531-00003-032 |
| 406 | 001000003987A | 节孝教子题颁匾额案(二) | 国民政府-人事-褒扬-匾额、题赠 | 国民政府指令行政院据呈请褒扬四川广安县邱唐居贞一案指令准予题颁匾额 | 1938/07/11 | 1938/07/16 | 001-036180-00025-004 |
| 6530 | 008000001848A | 陈诚副总统文物-往来函电(二十一) | 陈诚副总统文物 | 1938/07/11 | |||
民国文件目录-繁体>19380711
| no | 入藏登錄號 | 卷名 | 檔案系列 | 題名摘要 | 卷件開始日期 | 卷件結束日期 | 數位典藏號 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 13229 | 002000000207A | 籌筆—抗戰時期 (十四) | 蔣中正總統文物-籌筆-抗戰時期- | 蔣中正電何應欽令各軍注重馬匹調養速定調養騾馬獎懲與檢查辦法 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-010300-00014-021 |
| 13230 | 002000000207A | 籌筆—抗戰時期 (十四) | 蔣中正總統文物-籌筆-抗戰時期- | 蔣中正電林蔚取消鞏洛警備司令祝紹周職務移交司令長官部 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-010300-00014-022 |
| 13231 | 002000000207A | 籌筆—抗戰時期 (十四) | 蔣中正總統文物-籌筆-抗戰時期- | 蔣中正電令康澤登報取消別動總隊擅委司令以後不得再行擅委 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-010300-00014-023 |
| 31231 | 116000000142A | 全面抗戰敵反攻晉南各役案(一) | 閻錫山史料-文件-電報-要電錄存 | 閻錫山電蔣中正等下馬西羊村茶坊等地之敵經旬血戰斃敵甚眾刻已成包圍之勢 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-091 |
| 31232 | 116000000142A | 全面抗戰敵反攻晉南各役案(一) | 閻錫山史料-文件-電報-要電錄存 | 閻錫山電金師長整軍拒敵殊堪嘉慰希仍倍加努力 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-092 |
| 31233 | 116000000142A | 全面抗戰敵反攻晉南各役案(一) | 閻錫山史料-文件-電報-要電錄存 | 閻錫山電蔣中正等陽城方面之敵退回晉城即向清化退去刻晉城仍殘留數百名 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-093 |
| 31234 | 116000000142A | 全面抗戰敵反攻晉南各役案(一) | 閻錫山史料-文件-電報-要電錄存 | 衛立煌電閻錫山聞喜香山寺被敵攻陷續向泉頭進犯與我軍激戰中 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-094 |
| 31235 | 116000000142A | 全面抗戰敵反攻晉南各役案(一) | 閻錫山史料-文件-電報-要電錄存 | 郭宗汾電閻錫山敵在西河灘掩護割麥我便衣隊襲擊斃敵三十六 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-095 |
| 31236 | 116000000142A | 全面抗戰敵反攻晉南各役案(一) | 閻錫山史料-文件-電報-要電錄存 | 續範亭電閻錫山我軍將清源城出城之敵百餘全部擊潰 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-096 |
| 31237 | 116000000142A | 全面抗戰敵反攻晉南各役案(一) | 閻錫山史料-文件-電報-要電錄存 | 王靖國電閻錫山離石之敵三十餘進攻馬茂莊被我便衣隊擊退 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-097 |
| 31238 | 116000000142A | 全面抗戰敵反攻晉南各役案(一) | 閻錫山史料-文件-電報-要電錄存 | 續範亭電閻錫山我軍在平遙香樂村伏擊火車斃敵二十餘 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-098 |
| 31239 | 116000000142A | 全面抗戰敵反攻晉南各役案(一) | 閻錫山史料-文件-電報-要電錄存 | 蔣中正電閻錫山第二戰區除以必要兵力扼守據點外須加緊游擊戰 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 116-010101-0127-100 |
| 26512 | 001000001606A | 兵役法案(二) | 國民政府-總類-國防法令-兵役法令 | 國民政府指令行政院據軍政部呈送兵役法施行暫行條例修正草案請鑒核備案暫准備案 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-012330-00005-013 |
| 26513 | 001000001632A | 懲治偷漏關稅暫行條例 | 國民政府-總類-財政法令-財政法令總目 | 行政院長孔祥熙呈國民政府據財政部呈以懲治偷漏關稅暫行條例施行期間擬請再予延長一年等情轉呈核准施行 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-012400-00001-021 |
| 26514 | 001000001815A | 電政法令制定(八) | 國民政府-總類-交通法令-電信法令 | 行政院長孔祥熙呈國民政府林森有關軍事委員會函送非常時期全國電信統制辦法呈備案 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-012720-00008-033 |
| 26515 | 001000002021A | 中國國民黨地方黨務案(一) | 國民政府-總類-地方黨務-地方黨務總目 | 行政院長孔祥熙呈國民政府為奉令發省黨部省政府聯席會議要旨已通飭施行 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-014200-00001-003 |
| 6276 | 002000000359A | 革命文獻—抗戰方略:敵後作戰 | 蔣中正總統文物-革命文獻-抗戰時期- | 蔣中正條諭徐永昌研究辦法令各戰區長官召集訓練整頓或來武漢受訓 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-020300-00005-016 |
| 6277 | 002000000361A | 革命文獻—抗戰方略:整軍 | 蔣中正總統文物-革命文獻-抗戰時期- | 蔣中正條諭白崇禧各軍師旅團營長無論前後方部隊必須抽調加緊訓練 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-020300-00007-027 |
| 6278 | 002000000397A | 革命文獻—對蘇外交:軍火貨物交換 | 蔣中正總統文物-革命文獻-抗戰時期- | 楊杰電蔣中正第一第二兩次借款條約草案蘇俄已審畢即可簽字生效 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-020300-00043-057 |
| 6279 | 002000000399A | 革命文獻—對法外交 | 蔣中正總統文物-革命文獻-抗戰時期- | 宋子文電蔣中正有關孫科來電在法國與達拉第洽談各節是否楊杰參預其間 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-020300-00045-024 |
| 2261 | 001000003640A | 民國二十五年國慶授勛(三) | 國民政府-人事-勛獎-頒授勳章(以勳章名稱細分) | 國民政府文官處函考試院為陳介晉授勛章案茲准外交部函送相片送請轉行銓敍部填給受勛証書 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-035111-00050-023 |
| 2262 | 001000003667A | 頒贈外員勛章(八) | 國民政府-人事-勛獎-頒贈外員勳章 | 國民政府文官處函參軍處為蒲蘇魯馬壽年勛章除送軍委會查收轉發外相應列單查照登記 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-035113-00010-018 |
| 2263 | 001000003667A | 頒贈外員勛章(八) | 國民政府-人事-勛獎-頒贈外員勳章 | 國民政府文官處電軍事委員會銓敘廳為蒲蘇魯馬壽年之雲麾勛章經派秘書朱文中乘機專送適因該機損壞改於明晨乘機來漢 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-035113-00010-022 |
| 3277 | 001000003907A | 革命先烈先進褒卹公葬案(十四) | 國民政府-人事-褒卹、喪葬-褒卹、喪葬總目 | 國民政府主計長陳其采呈國民政府主席林森為黃隆生公葬費援照董修武公葬費案辦理並令行政院監察院考試院分別轉飭知照 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-036000-00125-021 |
| 737 | 001000004080A | {#劉湘#}國葬案 | 國民政府-人事-喪葬-國葬 | 國民政府文官處函行政院為奉頒四川省政府劉故主席湘國葬典禮辦事處關防小章請查收見復 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-036320-00012-042 |
| 5658 | 002000000610A | 事略稿本—民國二十七年七月 | 蔣中正總統文物-文物圖書-稿本(一)- | {#蔣中正#}赴三民主義青年團團本部紀念週訓話以青年團的組織精神和根本任務為題,蔣中正手諭{#何應欽#}通令各砲兵團營長注重馬匹之調養檢查並由軍政部速定調養騾馬之獎懲辦法與馬政司輪流定期檢查辦法又手諭{#林蔚#}應即取消{#祝紹周#}之鞏洛警備司令名義其職務移交可司令長官部等 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-060100-00130-011 |
| 4563 | 001000005763A | 軍事學校申請保送 | 國民政府-國防(軍事)-軍事院校-軍事院校總目 | 黃煒呈國民政府主席林森為請准入陸軍大學將官班接受軍事常識 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-074200-00001-006 |
| 4564 | 001000005849A | 中央機關人員疏散(四) | 國民政府-國防(軍事)-民防-疏散 | 王汝翼呈國民政府文官長魏懷為撤回服務團登記表並檢具現在工作證明文件 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-077550-00004-035 |
| 1444 | 001000005891A | 公教人員薪資所得稅 | 國民政府-財政-直接稅-報酬、薪資所得 | 國民政府文官長魏懷函財政部所得稅事務處四川辦事處為二十六年六月至十二月份薪給所得稅表單查所送表單間有不符一案自應照辦開單函達查照 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 001-081112-00001-019 |
| 50823 | 002000001888A | 一般資料—呈表彙集 (七十二) | 蔣中正總統文物-特交檔案-一般資料- | 張嘉璈等呈蔣中正擬於七月五日拆遷大冶廠礦並附大冶各廠礦機件運輸辦法等文電日報表等二則 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-105 |
| 50824 | 002000001888A | 一般資料—呈表彙集 (七十二) | 蔣中正總統文物-特交檔案-一般資料- | 張嘉璈等呈蔣中正調整西南物資運輸情形應先搶運至株州以南各站或以四分之一為度運至長沙文電日報表 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-106 |
| 50825 | 002000001888A | 一般資料—呈表彙集 (七十二) | 蔣中正總統文物-特交檔案-一般資料- | 郭汝棟等呈蔣中正請再給病假一月並以蕭毅肅代理軍長職務等文電日報表等二則 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-107 |
| 50826 | 002000001888A | 一般資料—呈表彙集 (七十二) | 蔣中正總統文物-特交檔案-一般資料- | 陳儀等呈蔣中正已派員偵察閩東共黨殘部活動情形及請令別動總隊前往人員先來福州一談等文電日報表等二則 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-108 |
| 50827 | 002000001888A | 一般資料—呈表彙集 (七十二) | 蔣中正總統文物-特交檔案-一般資料- | 龐炳勳呈蔣中正請飭發步槍三千八百枝輕機槍二百三十四挺重機槍五十二挺等各式武器文電日報表 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-109 |
| 50828 | 002000001888A | 一般資料—呈表彙集 (七十二) | 蔣中正總統文物-特交檔案-一般資料- | 閻錫山等呈蔣中正請酌發陳奇司修築黃河河防工事伙食及材料費等文電日報表等二則 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-110 |
| 50829 | 002000001888A | 一般資料—呈表彙集 (七十二) | 蔣中正總統文物-特交檔案-一般資料- | 何應欽呈蔣中正請飭撥七月份應需戰務費及增加經費數目文電日報表 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-111 |
| 50830 | 002000001888A | 一般資料—呈表彙集 (七十二) | 蔣中正總統文物-特交檔案-一般資料- | 賀國光呈蔣中正關於范紹增部請准撥每月六萬元編成師及擬以馬昆山為師長事文電日報表 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-112 |
| 50831 | 002000001888A | 一般資料—呈表彙集 (七十二) | 蔣中正總統文物-特交檔案-一般資料- | 蔣鼎文呈蔣中正擬於天鳳公路先鋪砂石一層俟路基沉實再築正式路面文電日報表 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00499-113 |
| 50832 | 002000001897A | 一般資料—呈表彙集 (八十一) | 蔣中正總統文物-特交檔案-一般資料- | 毛慶祥呈蔣中正決定軍事委員會統轄下各機關臨時設置昆明等敵方情報及敵將華北法幣攜滬調換外貨並徹底統制節用鐵料等情報日報表等九則 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-080200-00508-009 |
| 14663 | 002000002105A | 對英法德義關係 (六) | 蔣中正總統文物-特交文電-領袖事功-革命外交 | 宋子文電蔣中正查石曾於七日抵馬賽即赴日內瓦參加文化會與國際諸友商決 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090103-00016-120 |
| 14664 | 002000002136A | 領袖指示補編 (十三) | 蔣中正總統文物-特交文電-領袖事功-領袖指示 | 蔣中正電重慶行營查抗戰建國紀念日各界人士踴躍捐輸奉獻茲規定各軍事機關學校及未入戰鬥序列部隊官佐獻金辦法以每人一日所得為最低標準請轉飭所屬遵照 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090106-00013-009 |
| 10015 | 002000002183A | 八年血債 (二) | 蔣中正總統文物-特交文電-日寇侵略-日寇侵略 | 劉戡電蔣中正何應欽陳誠稱敵第一○八師團兩聯隊配合砲騎由濟源西犯我軍圍攻於邵源鎮迤西地區激戰十日因敵援大至奉命向垣曲北側山地轉進 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00026-106 |
| 10016 | 002000002183A | 八年血債 (二) | 蔣中正總統文物-特交文電-日寇侵略-日寇侵略 | 閻錫山電蔣中正稱據楊集賢電朔縣縣長稱敵在井坪放散含毒食鹽毒死甚多村民 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00026-163 |
| 10017 | 002000002187A | 八年血債 (六) | 蔣中正總統文物-特交文電-日寇侵略-日寇侵略 | 鹿鍾麟電蔣中正轉報田家賓部多係土匪人數千餘槍枝多係土造與民眾情感惡劣秩序不佳等鄆城城武菏澤敵情 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00030-183 |
| 10018 | 002000002197A | 八年血債 (十六) | 蔣中正總統文物-特交文電-日寇侵略-日寇侵略 | 顧祝同電蔣中正稱王東原受令驅逐王斯溫橋等以北地區之敵掩護我軍左側背之安全並派員於曹羊橋收容整理二十六師零星散兵等情 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00040-119 |
| 10019 | 002000002199A | 八年血債 (十八) | 蔣中正總統文物-特交文電-日寇侵略-日寇侵略 | 閻錫山電蔣中正二日徐海東旅圍攻義城村楊城北之敵並擊退沁水方向敵之援軍等情 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00042-170 |
| 10020 | 002000002200A | 八年血債 (十九) | 蔣中正總統文物-特交文電-日寇侵略-日寇侵略 | 顧祝同電蔣中正由虹口開往南京之敵約五萬均攜新式武器及杭郊閘口等處敵方向供宸橋射擊似有南犯企圖等情 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00043-138 |
| 10021 | 002000002200A | 八年血債 (十九) | 蔣中正總統文物-特交文電-日寇侵略-日寇侵略 | 閻錫山電蔣中正第二戰區王靖國軍六月在離石李家灣王家榻傷兵與消耗彈藥情形 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00043-226 |
| 10022 | 002000002204A | 八年血債 (二十三) | 蔣中正總統文物-特交文電-日寇侵略-日寇侵略 | 李宗仁電蔣中正據報穎上縣受日機兩次轟炸計有八○二災戶三九九九受災人口三八八一間屋毀七十八人死亡九十九人受傷 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090200-00047-053 |
| 1257 | 002000002497A | 俄帝侵華罪行 (四) | 蔣中正總統文物-特交文電-俄帝陰謀-俄帝陰謀 | 楊杰電蔣中正第一第二兩次借款條約草案蘇方審查已畢伏羅希洛夫稱專候我方認可答覆後即可簽字生效現各貨已開始準備在此準備期內擬請准暫離此赴法 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 002-090400-00007-159 |
| 6529 | 008000001848A | 往來函電(二十一) | 陳誠副總統文物-文件-書函與日記-函電與函件 | 陳誠簽蔣中正檢呈邊疆政治工作計畫及邊疆民族訓練計畫 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | 008-010202-00021-001 |
| 19020 | 017000019020A | 各路工程合同-交通部總務司機要案卷合同(2) | 交通部 | 1938/07/11 | 1938/07/11 | ||
| 405 | 001000003987A | 節孝教子題頒匾額案(二) | 國民政府-人事-褒揚-匾額、題贈 | 行政院院長孔祥熙呈國民政府為褒揚四川廣安縣邱唐居貞請題頒匾額 | 1938/07/11 | 1938/07/13 | 001-036180-00025-003 |
| 4489 | 001000004810A | 各機關團體及個人捐款(二) | 國民政府-內政-社會運動-捐款 | 國民政府文官處函軍事委員會辦公廳為廣東省台山縣白水市昌蕃學校電為旅美紐約埠昌蕃協進會僑胞第二次捐款一案奉交查收掣據 | 1938/07/11 | 1938/07/13 | 001-054531-00003-032 |
| 406 | 001000003987A | 節孝教子題頒匾額案(二) | 國民政府-人事-褒揚-匾額、題贈 | 國民政府指令行政院據呈請褒揚四川廣安縣邱唐居貞一案指令准予題頒匾額 | 1938/07/11 | 1938/07/16 | 001-036180-00025-004 |
| 6530 | 008000001848A | 陳誠副總統文物-往來函電(二十一) | 陳誠副總統文物 | 1938/07/11 |
报刊图>19380711






































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