吴新荣日记>19380625
一昨日に右眼下睑が二回振动した。
屹度南河に何かあったではない【か】と妻に手纸を出して见た。
昨晚六甲に着いて见ると、果して南河の经过が良くないと云ふのだ。
この间の神秘的に[な]关联に[を]私は科学的理解することが出来ない。
私はそれを何回となく经验したのだ。
南河は三十九度も升热し、下痢と呕吐、それから咳嗽と食欲不振等であった。
岳母はこんな状态では衰弱するばかりだと云った。
雪芬は一层佳里へ归へらうと云った。
昭川义兄は一寸した消化不良だから、もう二、03日样子を见ようと云った。
结局その意见に从って、私は今朝迟くなってから佳里に归って来た。
佳里に归って来ると、母亲は“问王爷看咧”と云ふから、私も反对する气になれなかった。
それで父亲と一绪に将军に归って、老大帝、太子爷、地藏王とかを请じて指教を愿ふことになった。
午后私は子良庙の林泮先生を访ねて、南河の运图を见て贳った。
その结局今年は凶年で殊に上半年は恶いと云ふ。
然し来年から好运になるから心配することがないと、慰めて下れた。
序でに汉方药の处方を愿って归って来た。
夕方顷、江淮を派して六甲に行かせて、その间の消息を传へせしめた。
林泮先生は又南河の贵人は东方と南方にあると云ふ、六甲で治らなければ台南で治ると云ふわけだ、もう二、03日经过を见て、若しも轻快なければ台南の庄司医院へ入らせることは前からの计画だ。
とにかく人事を尽して天命を俟つのみ、私のこの不可解な气持を忘れる为めに、晚清吉、自尺、国津三君を招いて麻雀を打った。
前天右眼下睑的眼皮跳了两次,心想一定是南河有甚么事情了,就写信给妻子。
昨晚到六甲一看,果然南河的病况不是很好。
关于这阵子的一些不可思议的关联,均无法以科学性来理解。
这些事我已经验好几回了。
南河高烧三十九度,下痢、呕吐加上咳嗽和食欲不振。
岳母说在这种状态下,孩子会渐形衰弱。
雪芬说,不如回佳里去。
昭川义兄则认为只是消化不良,再过两三天看看,我就听从他的意见。
时间不早了,就回佳里来了。
到家之后,母亲说“问王爷看咧”,我也不想反对,就和父亲一起回将军去,请老大爷、太子爷、地藏王诸神明的指示。
下午到子良庙的林泮【1】先生家拜访。
请他看看南河的运势如何。
结果他说今年是凶年,尤其是上半年更坏;
但明年开始好转,不用挂虑。
他这么地安慰我,我顺便请他开汉药处方就回家了。
傍晚,派江淮到六甲去传达这些消息。
林泮先生又说过南河的贵人在东方和南方,如果六甲治不好就要到台南去。
再看看这两三天的情形,如果未见好转就要到台南的庄[庄]司医院,本来就有这个计画,反正只能尽人事听天命。
为了想排解这些不可解的烦闷心情,晚上邀清吉、自尺、国津三位打麻将。
【注】
【1】林泮(1891-1946):字芹香,号畅园,晚号陆沉散人,台南县佳里镇子良庙人。
名汉学家。
自幼好学,博览经史。
尝于大正初年(约1915年)在麻豆庄下街开设“浚亨商行”。
其间与黄文楷、高山辉共创义学“麻豆书香院”(亦称“芹香书院”)。
广集地方失学青年施教,因日人忌恨,遭阴胁而解散,并命高等特务监视行动。
后游大陆,日益向往中国文化,守志如钢,不言日语,不着和服,不穿木屐,奉行“三不”。
吴新荣曾受业门下,甚尊崇其人品,吴新荣之四子女的名字(河、图、姬、雄),皆请教林泮而取的。
哲嗣有林芳年、林树墩、林树洲、林炳文、林金茎。
