年月日:1938:19380525:19380525-h-roc-s27-006-吴新荣日记



吴新荣日记>19380525

昨日は遂に终日雨になった。
今日昙がちだか患者はやはり少ない。
それを幸にして昨日からすっかり妻子の看护人になり切った。
妻はロヂロンの一筒で效いたらしい。
南河はインテレコンで下痢はよくなつた。
然しその衰弱振りを见ると、医人たる父は全く悲しいことである。
最も高贵な药品、最も合理【的】な治疗でも病魔は顽强に抗战してゐる。
然し吾々は最后に之を屈服させるのであらう。
吾々は科学者【だ】からだ、科学はつねに胜利だ。
午近、昭江义兄が访ねて来た。
北京へ行くと云ふので、亲父から吴子瑜氏への、私から张深切氏への招待状を贳って行った。
そして今日は丁度南鲲鯓庙の祭日なので、一绪に参拜に行った。
雪芬も行ったが、心平らかならざるものは祈っても驮目だらう。
昨天整天都下着雨,今天是阴霾的天气,病患很少,正好趁此机会从昨天就能整日做妻子的看护人。
妻子因一筒的ロヂロン就见效了;
而南河服用了インテレコン之后,下痢也治好了。
做为医师的父亲看儿子衰弱的样子,内心感到很难过。
再好的药,再好的合理治疗,病魔依旧顽强地抵抗着,我想最后一定可以战胜病魔才是。
我是科学家,科学永远是胜利的。
近午,昭江义兄来访,说要去北京,就将父亲要给吴子瑜【1】的请帖,以及我要给张深切【2】先生的请帖带走了。
今天正是南鲲鯓【3】的庆典,所以一道前往参拜,雪芬也同行,但是在心情不能平静下来的情况下,祈求神明也是不会见效的。

【注】
【1】吴子瑜(1884-1951):字少侯,号小鲁,台中县太平市人。
幼读诗书,愤日人据台,时抱恢复之志。
会辛亥革命成功,遂挈眷赴沪,追随孙文,始终不渝。
后居北平,以丁父忧,而返乡营祖茔于台中之冬瓜山,墓园宏大,遍栽荔枝二千株;
筑室庐墓,号曰东山别墅。
内有丛桂山房,为栎社墨客击钵之所。
其墓于1999年的九二一大地震时全毁,目前已修复。
【2】张深切(1904-1965):南投县草屯镇人。
广东中山大学法科政治系毕业。
于广州组织“广东台湾革命青年团”为台湾独立革命运动之先声。
被捕入狱2年。
1934年与赖明弘等人倡议组织“台湾文艺联盟”,主编机关杂志《台湾文艺》。
战后曾与刘启光等合组电影公司,拍摄自编自导台语片《邱罔舍》,获第一届金马影展特别奖。
著有《里程碑》(又名《黑色的太阳》)、《在广东发动的台湾革命运动史略──附狱中记》、《纵谈日本》(遗稿)等。
【3】南鲲鯓:此指南鲲鯓庙,即台南县北门乡“南鲲鯓代天府”。
庙址在北门乡鲲江村蚵寮,主祀李府、池府、吴府、朱府、范府五府千岁。
本庙原创建于南鲲鯓屿,清嘉庆22年(1817)始迁建桄榔山虎峰今址。
土地面积十九公顷。
信徒遍布全台各地。

年月日/1938/19380525/19380525-h-roc-s27-006-吴新荣日记.txt · 最后更改: 2025/07/26 11:53 由 127.0.0.1