吴新荣日记>19380501
试みに白麻の夏服を着て见ると、断然暑くなった。
患者も急に五十名以上に突破し、往诊も外庄だけで数个あった。
何んだか周围が泼刺として气分が明朗になった。
昨日から来访した叶陶氏は今朝归って往った。
孟尝君ではないが、とにかく时々色々な来访者がある。
一昨日も台南の吴藻舟(画人)や廖汉臣(论客)が夫夫访ねて来た。
勿论多くは文人墨客であるが、应接するに时々苦劳を感じた。
人良【し】で【あ】らうか?
南河は新化から归って来ると热が出た。
やはり气管支炎だが、高热时でもパパと呼んで怀しがる。
やはり我が子だ。
我が子と云へば南星は骨相ばかりでなく、左颜部の黑子迄父の遗传である。
朱里は大体六甲型だが、左利だけはやはり父の遗传だ。
试穿了白色麻纱夏服,反而变得更热。
患者也忽然突破了五十人以上,光是其他庄的往诊也有好几个。
忽然觉得周遭活泼起来而且呈现了一片明朗的气氛。
昨天来访的叶陶【1】氏于今晨回去了。
我非孟尝君,但常常有各式各样的人来访。
前天有台南的吴藻舟(画家)和廖汉臣【2】(论客)分别来访。
当然多数是文人墨客,但是常感到应接不暇的劳苦,也许是因为我是好好先生吧!
南河从新化回来之后,开始发烧,而且是支气管炎。
高烧时还口喊爸爸,令人爱怜,到底是我的儿子。
说到孩子,南星不仅骨相,就连左脸的黑痣都遗传到我这个做爸爸的,而朱里大致上是属于六甲母系,只有左撇子这一点,也是遗传到我这个爸爸。
【注】
【1】叶陶(1904-1969):杨逵之妻。
高雄市旗津区人。
任教于高雄公学校,后投入农民组合运动而结识杨逵。
1927年为农民组合妇女部长。
结婚前夕,夫妇双双被捕入狱。
出狱后,夫妻共营首阳农场于台中,卖花维生。
战后又被捕入狱数月。
杨逵于火烧岛(绿岛)12年的狱中,叶陶独力养育子女。
【2】廖汉臣(1912-1980):字毓文,号文澜,台北市人。
曾任《新高新报》汉文记者、《新东亚报》台北支局记者。
参与新文学运动,1934年先后参与创刊《先发部队》、《第一线》杂志。
战后曾任台湾省文献委员会编纂。
编著:《台北城下的义贼廖添丁》,《台南县志稿》卷八人物志(合纂)、《台湾的年节》、《台湾省开辟资料续篇》等书。
