吴新荣日记>19380119
吾々はその日のことを终へると洋服と皮靴を脱いて[で]私服と下驮を[に]取り换へる。
寝る时に寝卷でも着たら01日の半分は和服生活である。
そして吾々は好んで“泽庵”、“味素[噌]汁”、“刺身”、“锄烧”をしばしば食べる。
又叠の座席は[を]家庭に设けるを夸りとしてゐる。
而して日本语で谈话し、日本语で书物をなす、はては日本的方法で物事を思考へ[し]处理する、总てが便利【だ】からだ。
その便利と必要は同化の缺くべからざる条件である。
吾々は已にその便利と必要に迫ま【ら】れて同化された台湾人である。
如何なる人も吾々を日本人と非[否]认することが出来ない。
恐らく大和民族が形成される以前の日本人は殆んど之と变りがなかっただらう。
晚徐清吉君が访ねて来て郭水潭、叶向荣两君を萧垄信用组合の监事选举に立候补するに对し、陈清汗及陈其和两君を佳里渔业组合の监事选举に立候补させようと提议した。
私は勿论之を赞成し、同时に徐君も出马せる样彼の承诺を得た。
彼は又萧垄信用组【合】の理事が增员する场合、私を推荐すると了解を求めたが、私は若し一般の支持を得ればともかく自ら出て运动することを赞成しないと言明した。
とにかく青年达は跃进しつヽある。
五年前迄は一寸も青年达の存在を知らなかった。
然し少くとも五年后ではこの街の凡ゆる机关は青年达に占领されるであらう。
我经常在结束当天工作之后,脱下西服和皮鞋,换上私服,穿上木屐;
就寝时穿上日式睡衣,一天中有一半的时间是穿和服的生活。
喜好吃腌萝卜、味噌汤、生鱼片、寿喜烧,又以家中设有榻榻米的座席为荣。
并且以日语交谈,以日文书写,结果是以日本方式来思考、处理事物,因为这样较为方便。
其方便性与必要性是同化不可或缺的条件。
我们是迫于方便和必要性而被同化了的台湾人。
无论是谁都不能否认我们是日本人,也许大和民族形成之前的日本人几乎与此相同吧!
晚上徐清吉君来访,提议推荐郭水潭、叶向荣两位参加萧垄信用组合【1】的监事选举之候选人,相对的,推荐陈清汗【2】和陈其和【3】两位参加佳里渔业组合的监事选举之候选。
我当然赞成,也希望徐君出马参选,而且也得到了他的承诺。
他说如果萧垄信用组合的理事要增加席次的话,想要推荐我,并征求我的同意。
我则明说如果我可以得到一般大众的支持的话,还可考虑,但要我自己出来拉票的话则免谈。
总之,青年人正在跃进。
五年前没有人知道青年人的存在,不过顶多五年之后,这个镇上所有的机构都会被这些青年给占有了吧!
【注】
【1】萧垄信用组合:今佳里镇农会前身。
【2】陈清汗(1907-?
):台南县七股乡人。
台南州立嘉义农林学校毕业。
历任七股庄助役、信用组合专务理事。
战后1951年起当选第一届至第三届七股乡乡长,以及七股乡农会总干事。
吴新荣之至友。
元配毛氏雪与三弟寿山之神主牌为他所书写。
【3】陈其和:台南县七股乡人。
吴新荣至友。
曾任职佳里渔业组合、三民主义青年团中央直属台湾区团台湾分团北门郡支部(主任为吴新荣)七股庄小队长、台南县参议会参议员、二二八事件处理委员会北门区支会(主席委员为吴新荣)常务委员。
