1947年(昭和22年)12月16日
[1]厳寒を前に供米すすむ 01:21
<青森>
雪にうずもれた村里。やがて来る厳しい寒さを前に、ここ青森県新城村では、都会の人たちへお米をと、農民たちのひたむきな供米の努力が日夜続けられています。この村は全国に先がけいち早くも1200%の好成績といわれています。
<新潟>
同じく実を結んだ新潟県刈羽郡のある村では、見返りの御神酒でうれしい酒盛り。
<東京>
しかし、11月末現在で全国の供米成績は予定の33.4%。東京駅前にできた供米塔は一層の精進を訴えています。
[2]大山郁夫氏“山宣”の墓へ 京都 01:05
京都を訪ねた大山郁夫氏は、12月9日、取るものもとりあえず宇治川のほとり、かつての同志山本宣治氏の墓前に詣でました。背後にある大衆の支持を信じて、同じように今日まで生き長らえてきた、たね子母堂と大山郁夫氏。
<大山郁夫>
かあさんの産んだ子どもさんは、山宣ののちを知れば、激励になると思うんです。あの人の死は決して無駄ではなかったけども。
死にいたるまで節を屈しなかった山本宣治、侵略戦争に反対して、昭和4年反動の凶刃に倒れた当時の労農党の同志を偲んで、2人の面には感慨深いものが見られました。
[3]最後通告を追及 -東京裁判- 00:40
12月8日の法廷には、奇しくも日本海軍最高責任者の1人、嶋田被告が証言台に立ちました。6年前、海軍大臣として東条元首相とともに対米開戦の枢機にあずかり、全国民の耳目を集めた人。今はクレーマー裁判長代理らの注視を浴びて、真珠湾不意撃ち攻撃の真相を追及されています。
[4]アンデパンダン美術展 東京<時の話題> 00:45
12月9日から東京上野に日本初めてのアンデパンダン美術展が開かれました。しちめんどうな監査は行わず、流派にもこだわらず、自由に出品された作品が二百数十点。会場でなお手を加える赤松俊子さん。この日本美術界の新しい動向は注目されています。
[5]追い立てられた地下道住人 東京 00:33
東京都では、12月9日真夜中、突如、上野地下道の住人の強制収容を行いました。女、子どもを入れて922名、乾パンを1袋ずつもらって、まず各施設に送られました。
[6]熱戦の終始 早明ラグビー 明19-15早<スポーツ> 01:41
12月7日、東京ラグビー場、左が早稲田、右が明治。予期にたがわず猛烈な白熱戦。片山首相もかたずをのんで見ています。明大フォワード突っ込み鋭く、前半9分、ルーズからの球をハーフ·安武取って、スクラムサイドを抜けて最初のトライ。さらに丹羽のトライに8対0と引き離しましたが、中ごろから早稲田奮起。スタンドオフ堀猛烈なダッシュで明大バックスを抜きゴールラインに迫りました。あわやトライかと思われましたが、明大よく防ぎ、ゴール前の混戦。26分、早稲田新村インターセプトからワントライを返して、試合は白熱化しましたが、前半は16対6で明大リード。後半に入って早稲田の追撃鋭く、形勢は予断をゆるさず、かくて16対12と早稲田迫りました。明大ペナルティーゴールを得て再び引き離し、これに対して早稲田のウィング·大月、左隅にトライを返すなど奮闘を続けましたが、ついに19対15で明大の勝ちとなりました。優勝確定した明大チーム。
[7]苦闘する炭坑 01:56
経済危機の真っただ中でどうしたら石炭が出るか。問題の石炭国管案は、参議院に移って委員会で否決されながらも、12月8日かろうじて本会議を通過、成立しました。
<松平参議院議長>
衆議院修正案は可決せられました。
労働者、資本家双方からいじめられていた水谷さんもやっとこれでご満悦の体です。
ところで現場はどうか。九州·大峰炭鉱は米代を要求してスト中でしたが、マ司令部主導の石炭増産調査団の視察を機に、5日、罷業をやめ、月3万トン増産に邁進しています。
同じくこの調査団の北海道班は、8日、夕張炭鉱を視察、労働組合代表と懇談しました。その労働組合は今連日2時間残業という強行増産中で、外で働いていた5万の従業員も坑内に入ってシャベルやドリルを握っています。しかし、この石炭の輸送が及ばず、山の人たちは一日も早く必要な貨車が来るのを待っています。