1947年(昭和22年)10月07日
[1]石炭国管案もめる 01:39
9月30日、衆議院では石炭国家管理法案の自由討議が行われました。内閣の命をかけた重要法案だけに久しぶりに活況を呈し傍聴席も超満員です。
<自由党 植原悦二郎氏>
「この法案は炭鉱の国管による炭鉱業者の民主化などと吹聴されておりますが、実質的にはなんというても炭鉱の官僚管理であり官庁統制であることは一点の疑問がありません」
<民主党 后藤悦治氏>
「37万人余の炭鉱労働者が増産意欲を持つか持たないかというところに増産のカギがかかっておる。しかるに、しかるに、それをですね、それを単純なる就業形態のままにまかして、そうしてなんら国家意思が介入しない、国家資金を入れるけれども、国家の監査をさえもさせない、国家意思は全然入らないというような形態では、石炭の増産は望むべきもないのであります」
<共産党 徳田球一氏>
「当然に労働者、農民、中小商工業者の全体を投入し、どうして、いつでもわれわれがこの議会で過半数を有し、堂々(聞き取り困難)議員を先頭として闘うところの体制にまで諸君が大奮闘せられることがこの石炭増産の秘訣であるということを私は申したいのであります。」
[2]楽泉園の実状 群馬 02:02
9月18日、衆議院で国立栗生楽泉園でのらい病患者の取り扱いが問題となりました。
<武藤運十郎氏(社)>
「らい患者の監禁としましては、30日というのがこれが規定された原則であって、かように長い期間らい患者を特別病室、これは名前は特別病室でありますけれども、異常な恐るべき構造を持つところの重監獄であります。ここへ監禁をしておきましたことは、これははなはだしい違法であり、かつ人権蹂躙ではないかと」
そこで9月21日調査団が派遣されました。ここには約1000人の気の毒な患者が収容されています。見たところ何不自由もなく暮らしているようですが、今まで世間から隔離されていたので、職員の不正や強制労働の実状がわかりませんでした。
問題になった特別病室というのは刑務所よりもひどいコンクリートの牢屋で、4重の扉で厳重に閉ざされています。部屋は4畳で、小さな窓からかすかに明かりがくるだけで、冬には昼夜の別さえわからないといわれています。ある患者が無実の罪でここに入れられたと壁に書き残した痛ましい文字、また日数を数えたらしい跡も見られます。この婦人は、夫の罪を妻であるというだけの理由で391日間ぶち込まれていました。この牢屋で死んだ人が24人、患者たちは人間としての生活を保障せよと政府に要求しました。
[3]個人段階つづく -東京裁判- 00:47
9月24日、審理は重臣の段階に入りました。まず平沼被告の反証では、重臣会議当時が中心となり、軍部が重臣を嫌っていたと岡田元大将が証言。かわって平沼節子さんが初の日本婦人証人として喚問されました。次いで26日、広田被告の反証では桑島元東亜局長が外交部に対する軍部の圧迫を証言。このところ当時の東条軍政に対する攻撃に終始した形です。
[4]スタァも署名運動 東京<時の話題> 00:35
映画スターがサインを求めています。これは政府がまた映画、演劇の入場税を15割に引き上げようとしているのに反対する映画人の署名運動です。山田五十鈴さんの顔も見えます。
[5]親分自首 静岡·東京<時の話題> 00:25
85日の間、逃げ回り伊豆伊東の隠れ家に潜んでいた例の関根親分は、9月30日自首して出ました。
<関根親分>
「あまりにも自分でもってなにかこう犯罪行為がないという感じで私は考えておりました。そういった点からですね、まず様子でも見て、それから出ていくものなら出ようと、こう思っていました」
[6]全日本選手権ボートレース 隅田川<時の話題> 00:28
第25回全日本選手権ボートレース、9月28日、隅田川2000メーターコース。800メーター京大リード、向こう側東大、しかし東大力漕、ついに京大を3艇身抜いてゴールイン、タイム7分9秒。
[7]動物たちデモる 大阪<時の話題> 00:24
ぼくたちにもえさをよこせと家畜たちが一大デモンストレーションをおっぱじめました。9月25日、大阪は大手前での出来事です。
[8]水害后のなやみ 足尾<関東大水害第三報> 01:38
今度の関東大洪水で栃木県の足尾銅山では、唯一の動脈である鉄道線路が切れ、鉱山資材がこなくなり、活動はまったく停止してしまいました。線路はおびただしい土砂に埋まり、崖崩れで約80個所が切断され、3万1000の人たちが孤立するにいたりました。そこで坑夫たちは山を捨て、まず自分たちの手で線路の掘り出しにかかりました。この線路が通じないと食料もこないので、残りの人たちは大挙して16里の山道を越え、2日がかりの買い出しに必死です。こうして足尾は全町をあげて復旧に立ち上がっています。