杨基振日记>19450911

家族の冬支度が全然整はざるに外气は日增しに冷たさが身に沁みて子供三人自分迄风邪を引いたので本日公务をも兼ねて天津、北京に出张した。
麻袋等にて得た金合计160万圆を株若しは其他の物に变へるべきか迷ひつつあるので天津、北京の状况を研究して方途を决定するのも自分の出张目的の一つである。
汽车は12时过に渐く唐山を出て16时顷唐山[天津]着、合礼に立寄り三连兄、甲斐兄等と落合ひめまぐるしき变化に一惊した。
和平と同时に物似の惨落に依り合礼は勿论一般商人は何れも大打击を被り、倒溃せる者少なからざる实情である。
过去相当の行迹を举げて来た合礼行が今度の打击を被ったのは实に遗憾千万である。
夜三连兄宅に于て御驰走になり今后の合礼の行方、更に我等の政治的立场、特に祖国に归った故山の施政问题、平津に于ける同乡会等の诸问题を讨论し合った。
12日朝、袁、陈总协理に工厂周边に于ける8月15日以降今日に至る迄の治安状况并びに治安工作を具さに报告した。
华系警备队の解散、更に日系警备队に对する措置、石炭欠乏に依る工厂の生产对策等主要问题を讨议研究した。
总协理何れも态度は昔日と异なり稍々消极的に看取された。
后で知った事だが袁总理は日本败退后に于ける彼の政治的立场が可成困难になったので身柄の不安を忧虑されてゐるのが原因らしい。
陈协理は挽近开发から贳った莫大なる金で全部株を买ひ公司に莫大なる损害を与へたのを悲しんで元气がないらしい。
何等か一般の空气は昔日の如き温さがない。
夜李金源を访れ启兴又物凄い打击を受けたるを知り商卖に于ける一切は全部失败に归したるを察した。
然し世界が平和になり特に故乡が解放されて祖国の怀ろに归って来た喜びの为か必ずしも深くは悲叹の念が起らない。
13日朝の急行で约3ヶ月ぶりに北平に归り早速弁公处に行き沙处长と弁公处に于ける和平后の经过を听取した。
一番心配してゐた洋灰似格も全部清算を终り小学校の设立も顺调に进捗して嬉しかった。
唯第一四半期の反似格と清算似格の差额3千4百万圆だけ未收なので自分が此の工作を进めることにした。
此の问题は先づ14日开发に于て木村主干と大岛理事に面会し更に15日川上课长を彼の自宅に访れて谅解を求め、大体支払の约束をして引上げた。
后は弁公处特に幼呈兄に残して努力を继续することにした。
约一周间の滞在中沙处长、吴姐夫、京屋君等から招待を受けて御驰走になり、沙处长宅に于ては周协理以下彼の旧友多数に会い时局谈を思ふ存分に语り合った。
吴姐夫宅では中屋女史と知合になり莫大なる资产の处置方に苦虑する彼女を见て一抹怜悯の情を催した。
京屋君宅では多数の乡友に会い祖国に归った故乡の政治的问题并に同乡会を讨论し合った。
张家口から避难して来た一族は七条の家に落着かせ、启兴の问题を刘会长と二回会见を重ねて协议の结果其の权利を卖却し启兴を解散する事に方针を决定し以后の工作を幼呈兄に御愿いした。
09月11日
星期二─9月17日
星期一
家里还没做好过冬的准备,但天气转凉,寒气逼人,连三个孩子与我都感冒了,今天趁公务前往天津、北京出差。
犹豫是不是该将麻袋等得到的钱共计160万圆,换成股票或其他东西,决定研究天津、北京情势后再作打算,这也成为我出差的目的之一。
火车过十二点从唐山出发,下午到达唐山[天津],经过合丰找三连兄、甲斐兄,惊于情势之瞬息万变。
和平的到来,物价跟着暴跌,别说是合丰行,就连一般商人也遭到莫大打击,实际上倒闭者不在少数。
过去业绩辉煌的合丰行如今也受打击,实在是遗憾万千。
晚上在三连兄家吃晚餐,讨论今后合丰的去向,以及我们的政治立场,特别是回归祖国后的故乡施政问题以及平津同乡会等问题。
12日早上与袁、陈总协理具体报告8月15日以后工厂周边的治安状况以及治安工作。
研究讨论解散华系警备队以及如何处理日本警备队,还有煤炭不足下的工厂生产方针。
总协理看起来与平常大不相同,稍稍显得消极。
之后才知道袁总理苦于日本败退后的政治立场,担心自身难保。
听说陈协理则是把从开发拿到的金子全投去买股票,对公司造成莫大的损害,使他难过得无精打采。
气氛少了往日的温暖。
晚上造访李金源,得知启兴也遭到庞大的损失,这才查觉到一切商业都告失败。
但由于世界和平的到来,特别是对故乡从此解放、重回祖国怀抱一事充满喜悦,虽然悲伤,但还不至于太过难过。
13日早上的快车回到久违三个月的北平,马上前往办公处听沙处长报告办公处在和平到来之后的状况。
最担心的水泥价格终于全部结算清楚,小学的设立也顺利进行,喜不自胜。
唯独第一四半期的预定价格与结算价格相差甚多,还有三千四百万尚未回收,决定自己着手处理。
14日先去开发找木村主干与大岛理事,之后15日前往川上课长家拜访,请求谅解、做了大体支付的约定后告辞。
之后回办公室与幼呈君继续努力剩下部分。
一个星期中常被沙处长、吴姊夫、京屋君等邀请吃饭,在沙处长家与周协理等许多他的旧识见面,闲谈时事。
在吴姊夫家与中屋女史认识,看到她苦于处理庞大资产,让我不免对她产生一丝同情。
在京屋家见到许多同乡,讨论回归祖国后的故乡政治问题与同乡会状况。
有一家从张家口前来避难,我安排他们在七条的家里落脚,与刘会长见面两次讨论启兴问题,决定卖掉权利并解散启兴,并将日后工作委托幼呈兄处理。