吴新荣日记>19450411

昨日、书いた战局に对する见当がみごと外れた。
今日、防空壕の中で必ず佳里はやられたと思った。
起きて见ると何处も安泰だ。
后で西港がやられたとの报道が入った。
それは恐らくあの长大な曾文溪桥の为めだらう。
去る01日に出した、奇珍兄や昭癸兄に出した手纸の返事は今日で[に]やうやく两方とも来た。
殊に奇珍兄は台南の防空壕に入れてある数千圆の家具が盗难にかゝったと知せて来た。
自分も万一の为めに正厅や居室及防空壕に夫々用心棒を一本づつ备へて置いた。
昨天所写对战局的猜测,完全猜错了。
今天,在防空壕中想到,佳里一定已遭受袭击,出来一看,好像什么都没发生。
事后的报导传来西港被炸的消息,大概是因为有一条长长的曾文溪桥的关系吧!
04月01日寄给奇珍兄和昭癸兄的信,一直到今天才同时收到回信。
奇珍兄提到放在防空壕里的价值数千圆的家具被偷了。
我为了预防万一,在正厅、屋室和防空壕各置防身棍一枝以备用。