叶盛吉日记>19450107

01月7日(日)

朝めしのおかゆをつくって居たら、藤本【1】来たり、南乡【2】へ行かう、切符を买ったからとてさそはれるまゝに行くことにした。
が仙台どまりの列车のみ
①なので一まづ源贞さんの家を访ねて见た、主司さんが居たので上り、息子が二高をうけるとて色々二高の事にっき话しした。
松炭の火钵、干柿、上品なお芋、それに出された昼食のフイスカレーの真白の御饭、汁の优秀なる豆ふ、一としてこらざるなく、さすがはブルだと思はれた。
②十二时すぎの汽车で南乡へ、近顷の汽车は混むことよりも宁ろ、延着することと、寒いことが特色だ。
鹿岛台についたらすごい吹雪、でも长靴で、头よりマントを被つて行くと割合暖く、而も见渡す限り一面白银の世界、满洲の旷野を思はせるばかり、雪は细い粉の雪で水气少く、感じよし、なっかしの感恩桥を渡り、有邻馆をとほって武者省之助家へ。
子供たち等大势よろこんで迎へて吴れた、寒いのでこたつにもぐって居たが。
居ろりで火にあたり、夕食は真白い御はんの优待になり、后こたつには入り、藤本の持って来た二高の写真帖を见たり、たべったり、千代子ちやんは随分大きくなって、大人らしくなった、子供たちも一年半前と变らぬ面影、早いものであれ以来二度も正月を送った、皆二つも年をとったのだから。
九时轰沈、外は满天の星で真白に雪が积って居た。
子供たちに何か读物などを送ってやり度いと思った。
利一君が武者家の子息ではなくて、作男だったことも初耳だし、
彼氏は入营して目下满洲に居る。
また武者家の长男は昨年南海で战死されたさうだ。
田舍はいい、东北は纯朴、俺たちが来たことをかくも喜んで吴れるんだも。
东京に行き度い气がまたにぶる。
01月7日(日)

正在煮早餐要吃的粥时藤本来了,他说已经买好了车票邀我去南乡,但火车只有到仙台。
①所以只好先去拜访源贞家看看,管家在而能够拜访,因为他儿子也要考二高,所以谈了许多二高的事。
用松炭烧的火盆、柿干、高级的芋头,加上他们招待的午餐咖哩饭用了白白的米饭,汤也加了好豆腐,实在是忍不住了,觉得真是有钱人。
②十二时过后才搭上火车前往南乡、最近的火车与其说是挤,倒不如说是误点和很冷才是特色。
到了鹿岛台下着很大的暴风雪,还好穿着长靴,加上盖住头的斗蓬,所以还算温暖。
放眼望去都是一片银白世界,只令人想起满洲的旷野。
雪是细细的粉状,水气少,感觉很舒服。
走过怀念的感恩桥,经过有邻馆前往武者省之助家。
许多小朋友高兴地出来迎接我们,这么冷的天气他们本来都待在暖炉边。
暖炉生着火,晚餐请我们吃白米饭,然后就到暖炉边,看着藤本带来的二高相簿一边聊天,千代子已经长大许多,看来也更成熟了。
孩子们与一年半前毫无改变的面容,时光飞逝,已经经过了两个新年,大家也都长了两岁。
九时就寝,外面有满天星斗和洁白的积雪。
觉得想要送些什么读物给孩子们。
第一次听说利一君不是武者家的孩子,而是佣人。
他也入营了,现在在满洲。
且听说武者家长男去年在南海阵亡。
乡下真好,东北真是淳朴,他们竟然为我们的到访如此欢迎。
反而使我不那么想去东京了。

【注】
【1】藤本:藤本达郎,日本宫城县人,记主第二高等学校明善舍舍友。
【2】南乡:宫城县乡镇名,1889年设南乡村,1954年升格为南乡町,二〇〇六年与邻近的小牛田町合并后,改称“美里町”。