1944年(昭和19年)12月15日
[1]特攻護国隊 03:31
< 一昨日、参謀総長から陛下に、皆さまの先駆けとして立派な活動をされた万朶(ばんだ)隊の状況を奏上いたされたときに、陛下からかしこくも次のお言葉をいただきました。
「体当たり機は大変よくやって、立派な成果を収めた。身命を国家に捧(ささ)げて、よくもやってくれた。」
こういうお言葉をいただきました。第一線にお伝えをし、そのご家族にお伝えをしました。この機会にお伝えをしておきます。終わり。>
<遠藤中尉:
一同を代表いたしまして、ご挨拶申し上げます。甚だご懇篤なる訓辞を賜り、ただただ、感激のほかありません。遠藤以下、誓ってこの重任を完遂いたします。>
敵艦船に弾(たま)と砕けて国を守らん。陸軍特別攻撃隊護国隊。遠藤中尉以下、内地基地進発の時至る。
かしこき辺りの思し召し、栄えの門出にありがたさ極まりなく、また忝(かたじけ)なくもご訓辞とお見送りを東久邇防衛総司令官の宮殿下より賜り、勇士の感激はいや増すばかり。今、勇士たちは祖国の土を離れていく。はるかに霊峰富士を仰ぎ。
12月07日、往きて再び帰ることなき神鷲に、比島方面陸軍航空部隊指揮官、富永中将は、拝命、護国の二字も鮮やかな鉢巻きを送った。その鉢巻きを固く締め、寄せ書きに決意を残し、進発の時近く、ただ必死必殺の策を練る、若武者たちであった。若き神鷲、遠藤隊長、愛機の上で端然と右手を挙げて、整備の労を謝す。整備員と交わす最后の挨拶であった。護国の翼、今ぞレイテの決戦場へ。敵艦船轟沈(ごうちん)へ。神鷲は敵の頭上へ殺到していく。
[2]「薫」空挺隊 03:17
勲しは薫る。千代に薫る空挺(くうてい)隊。必死必殺の尽忠に生きる大和魂、体にあふれ、眉にみなぎり、朝鮮、台湾の出身者を加えて、内·台·鮮混然一体の「薫」空挺隊。
敵飛行機、爆破。敵施設、爆砕。レイテ島なる敵航空基地覆滅の大任は重く、命令一下、空から加える殴り込みの時は近し。骨身を削り、気迫に燃える隊員の猛訓練。腰にたばさむ義勇刀。切り込み挺身(ていしん)の義勇刀を一閃(いっせん)すれば、仇敵(きゅうてき)アメリカ兵は血にまみれて倒れるであろう。日本人の大義に生きんことを誓い、隊長、中重男中尉は、出陣の訓辞を与えた。時に11月26日。
<中重男中尉:
このたび大命を拝して、出動するに当たり、隊長として一言。自分の考えを述べておく。現在の戦闘に関しては(聞き取り不能)よって、聞いてのとおりだ。この重大なる戦地に遭遇して、この決戦場に今から飛び込んでいく。日本人としてこれ以上の栄誉、武人としてこれ以上の本懐はない。今日(こんにち)までただ日夜、血みどろの訓練を繰り返してきたが、このたびの攻撃に成功せんがために訓練を重ねてきたのである。その磨いてきた知恵と力をもって、あらん限りの戦闘を続行し、この重大任務を必ず達成する心構えをひとつとなって、さらにあらん限り(聞き取り不能)終わり。
我が特別攻撃隊、薫空挺隊は、11月26日夜、輸送機4機をもってレイテ島ドラッグおよびブラウエン敵飛行場付近に強行着陸を敢行。その要部に決死突入して、偉大なる戦果を収めた。
[3]桂林攻略 02:54
突兀(とっこつ)とそびえ立つ山々。異様な地形を示す広西の戦野に、皇軍は猛進撃の手をゆるめず、桂林外郭飛行場を占領した。ニミッツ艦隊の目指す支那(シナ)沿岸接岸作戦に呼応せんとした、在支米空軍西南支那(シナ)飛行基地群の拠点桂林に、累々と横たわるB-25。P-38。そしてアメリカ軍隷下にある重慶空軍機。おびただしい敵機と飛行場施設を皇軍は完膚無きまでに粉砕した。
要塞(ようさい)都市桂林に、皇軍は殺到した。
桂林死守。蒋介石の厳命に、敵将白崇禧は、ここに23個師の大軍を集結したが、たちまちその主力は壊滅。11月10日12時、桂林は完全に我が手に帰した。ここに、かつて我が軍の猛撃を知らざる広西の長城は潰(つい)え、大陸縦断2000キロ、アメリカ重慶連合作戦に致命的大打撃を与えたのである。